雨とピアノ

娘が友達のうちに遊びに行って、夕方まで時間ができてしまったのだけど、何かあったらすぐにお迎えに行かなきゃいけないし、やらなきゃいけないことはあるけど、没頭できるわけでもないし、やりたいこともあるけど、エナジーはそこそこ以下だし、ビールを一本空けて、ピアノを弾いた。
私はピアノが弾ける人ではないのだけど、普段娘が遊んでいるように弾いてみると、なんだかコンテンポラリーなメロディーが奏でられ満足した。こういった遊びの中から音楽家は曲を作るのだろうか?それとも私が音楽を学んでいないから遊べるのだろうか?私の書く日記は遊んでるのと同じようなものだろうか?絵画でいえば、ドローイングというものがある。私はドローイングが下手である。ドローイングとは、友達と長電話しているときに無意識に書いてしまう謎の模様だったり、落書きするときについつい書いてしまう謎のキャラクターだったり、あるいは気持ちのいいだけの筆の運びだったり、見惚れてしまうだけの水彩の滲みだったり、作品になる前の、完成でも未完成でもない何かのことだ。大学に入って一番最初の課題がドローイング100枚だった。なるほど、美術作家になるならこう言った作業も必要なんだと思う。でも私はドローイングが苦手で仕方なかった。自分の脳みそが疑わしくてならないので、私が鉛筆や筆を走らせているときに単純な喜びは生まれない。絵を描くことが好きではないのだ。私の感性を表現したいわけじゃないのだ。そんな気持ちが濃縮されていってしまう。何かっぽいな、という嘘くささに耐えられなかった。でも私はドローイングみたいなことを日記でやっているような気がする。ロジカルに伝えたいものがあるわけではなく、ただ言葉を連ねているのを楽しんでいるような気がする。そして、さっきピアノの前でもなんか楽しかった。それは、学んでいないからかもしれないな、という気もした。

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