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Dual Kaleidoscope 昇藤 4

実際にはもっといるのだろうが、俺の知る限り、俺の母親、神崎美浦にプロポーズした人間は二人いる。

 一人は今日突然かつ果敢な奇襲を見せた近藤一夫。そして、もう一人は、見事母さんを射止め、二児の親となった男、すなわち俺の父親だった柳田善治(やなぎだよしはる)だ。


「久しぶりだね、美浦」

「……善治?」

 ああ、善治とたった一言。

それで俺には全てが分かってしまった――母さんは善治という男にまだ未練があるのだと。


「どうしても話したいことがあってね。恥を忍んで、こうして合いに来たんだ」

 整髪料で綺麗に整えられた黒髪、彫りの深い顔立ちとどこか陰を感じさせる細い目、長身ながら威圧感を与えない細身の体躯――柳田善治は最後に見た時と何ら変わらぬ姿で、今俺たちの目の前に存在している。

 もう二度と"お前たち"の顔は見たくない――そう言った男がもう一度俺と母さんに会いに来たのだ。


「また聞きした神旺町の住所を訪ねたら、誰もいなくてね。それでこうして家の前で待っていたんだ」

 善治のためらいがちな言葉に、母さんは固まったままだ。

 近藤さんとの昼食の後、俺を買い物に付き合わせ、ふと家に帰ってきて見れば、元夫との突然の再会となったのだから無理もない。一方、俺は冷静に元父親を見つめ、改めて変わってないなと、そう思わずにはいられなかった。


「……駿と少し出かけていてな。雅人はおそらく友だちのところへ遊びに行っているのだろう」

「ああ、とりあえず、会えてよかったよ。僕がこんなこと言う資格はないかもしれないけど……」

 母さんのいまいち要領の得ない言葉に、善治は気まずげだ。時より俺の方を見るが、話しかけていいのか躊躇っているのもわかる。この男は、俺たちを見捨てたことを後悔しているのだと思う。おそらく、その気持ちに偽りはなく、言葉通りもう一度会いに来たのは恥を忍んでのことだったのだろう。


 もしかしたら、一言謝るために、なかなか帰ってこない俺たちを家の外で何時間も待っていたのかもしれない。そういう優しさを持ちながら、あれだけ言った相手に顔を見せに来る優柔不断さも同時に併せ持ち、そして、その優しさと優柔不断さが同居するあたり、昔と全くもって変わっていない。

 そう、この柳田善治という男は、優しく物腰柔らかで、よく言えば相手や周りを尊重する、悪く言えば周囲に流される自己主張の少ない人物で、そして容姿だけは間違いなく一級の水準にある、言ってみれば俺の母親、神崎美浦の男の趣味と理想のパートナー像を具現化したような存在なのだ。


「えーっと……その、駿? 大きくなったね」

「ああ、最後に顔を合わせたのは五年以上前だからね」

 まだ固まったままの母さんを一先ず置き、ついに息子である俺に声をかける善治の表情は複雑だ。後悔、懺悔、恐怖、それらが絡み合った名状しがたい父親ぶった顔とでも表現すればいいか。


「すまなかった。今更かもしれないが、まず美浦と駿には謝りたい」

「別に気にしてないよ」

 これは本心の言葉だ。

 俺は別にこの男を恨んでいるわけでも、嫌っているわけでもない――母さんと違って未練があったり、好きなわけでも決してないが。あえて言うなら、俺のことはともかく、一度よりを戻した母さんと新しく生まれた雅人を拒絶したことは少なからず根に持っているけれども、長男としてはどうでもいいとしか思っていない。

 柳田善治には神崎という血脈の闇に耐えられる人間的強さがなかった――それだけの話だ。


「話とは、さっき言っていた、どうしても話したいこととはなんだ?」

 やっと落ち着きを幾分取り戻し、さも冷静そうに尋ねる母さんの目には期待の光が宿っている。〝もう一度やり直したい〟、そんな言葉を期待しているに違いない。

 だが、善治の性格を考えるとそれは望み薄ではないか。俺がまともになったおかげで、一時は母さんと復縁し、二人目の子ども、雅人をもうけたが、その雅人がかつての俺と同じく普通見えないものを捉えていたことが原因で、再度破綻した関係をやり直すような根性がこいつにあるとは到底思えない。


「……実は相談に乗って欲しんだ」

「相談? 一体何の相談だ?」

 訝しる母さんと違い、俺は相談と聞いて、直感する――この男は碌でもないことを言うつもりだと。


「神崎家、つまり、代々霊的資質を受け継いできた名家の長女としての君の力を借りたい」

 ああ、やっぱり"そっち方面"の話か。

 気にしてないという言葉は撤回だ――俺は今この男を殺したいと思った。




 俺の母親の実家、神崎家(旧名神無月家)はかつてここ神旺町において、所謂陰陽師を始祖とする由緒正しき名家であり、母さんはその長女として類まれなる霊能力を持っていた。

しかし、母さんが生まれた当時、神崎家は何百年もの年月を経て、陰陽道と神道と土着信仰がごちゃ混ぜになり、最早当初の神性も訓えも形骸と成り果てており、少なくとも三世代以上は遡らなければ、霊的能力と言えるだけのものを持ち合わせている人物はいなかったのだ。

そんな中突如として、神無月初(かんなづきはつ)という五百年以上前に君臨した、女性当主の生まれ変わりともて囃されるだけの圧倒的〝力〟を持った子どもが、つまり俺の母親のことだが、生まれたのだから、驚天動地のごとく我が実家は揺れ動き、結果母さんはその古き訓えの体現者のように扱われることになってしまう。

 そして、母さんは望んでもいない神崎家の英才教育を押し付けられ、ついには嫌気がさして家を飛び出し、柳田善治と出会って結婚し、俺を産むのだが、何故か母さんの霊的能力は出産と同時に失われ、生まれてきた子どもである俺が、まるでそれを受け継ぐように、様々な超常的力を示したのだった。さらにその俺の力も、十年前の"あの事件"を境に失われ、後に次男として産まれた雅人も、俺程ではないとはいえ、ある程度の霊的資質を持ち合わせていた。


 さて、ここで柳田善治という男はどうしたかというと、俺が産まれてしばらくして母さんとは別居状態になり、俺が力を失うと手のひらを返すように関係修復をはかり、雅人が産まれ、俺と同じような力があることに気付くとまた勝手にいなくなり、最後には離婚を突き付けられたわけだ。つまり、簡単に言えば、俺たちの到底一般的ではない霊能力、神崎家の闇ともいえるものから逃げ出したということだ。

俺たちを見捨てた理由をきちんと確かめたことはないけれど、既に成人し、自分の力を完全に制御し、滅多なことでは表には出さなかった母さんはともかく、その異常な能力を辺りかまわず現出させてしまう子どもには、耐えられなかったと考えるのが妥当だろう。

 そんなヘタレ男で俺の元父親、柳田善治は、今俺たちの前で、頭を地面にこすりつけ、平伏して坐礼、すなわち土下座していた。


「助けてくれ」

「いや、すまいないが、お前も知っての通り、もう私にはそんな力は……」

 神崎美浦は出産、つまり俺を産んだと同時にその力を失っている――そんなことは百もこの男は承知しているはずだ。にも関わらず、どうしてそれを言う?

 この男、まさか……。


「美浦には力がないのはわかっている。だが、駿や雅人には――」

「ふざけてるの?」

 ああ、駄目だ、やっぱり自分でも気持ちが抑えられない。

 よくもまあ、抜け抜けとそれを口に出来るな。


「おい、駿――」

「母さんは黙ってて」

「っ!?」

 うろたえる母親をおき、息子である俺は元父親に言わなければならない。

  俺たちから逃げたことはもう何も言わない。

  だが、逃げたものに今更頼るなど恥を知れと。


「あなたは、俺たちの霊能力がおそろしくて、逃げ出したんだろう。それを今更、逃げ出したものに縋ろうなんて、いくらなんでも虫が良すぎる」

「……わかっている、わかっているんだ。だが、僕に他の選択肢はないんだ。もう既に、何人もの〝そういう力〟があると自称する人たちに頼ってきたが、全く効果はなかった」

 お前の事情なんて知ったことではないよ。

 それに、何が〝そういう力〟だ? 

 曲がりなりにも俺たちの親だった人間が何を言っている。


「さらにもう何人かのそういう人たちに頼ればいいだろ。俺たちを巻き込むな」

「駄目なんだ、彼らでは! 美浦や駿を見たからわかる、所詮連中は似非だ。本物でないと僕の問題は解決しない」

「本物だって?」

 お前はその本物から逃げ出した張本人だろう。

 もうこれ以上薄汚い口で囀(さえず)らないでくれ――本当に殺してしまいそうだ。


「何が本物だよ。その本物とやらから逃げたのはあんただろ」

「わかっている、全部わかっているよ。今になって弁解しようとも思わない。だから、僕に出来るのはこうしてただ頼むだけだ、助けてくれと」

「……一生やってろ」

 哀れに許しを請えば、自分のやったことが帳消しになり、助けて貰えるとでも思っているのか。俺はあんたの、柳田善治のそういう甘えた根性が大嫌いだ。

 そう、改めて思えばどう取り繕ったところで、俺はこの男を許してはいないし、嫌悪している。だから、少なくとも、俺に助ける気持ちは毛頭ない――息子の俺には。

 けれど――――


「駿、お前の怒りはよく分かる。だが、まだ詳しい話も聞いていないのに、そんな態度で突き放すこともないだろう」

「は?」

 母親である神崎美浦は違う。

 母さんは、柳田善治を未だに切り捨てられていない。


「母さんはこの男に〝女として〟未練があるんだろう? 今日俺に、どんなになってもお前の母親だよって言ったのは何だったの? 母親として息子の俺を大切にするより、女として昔の男を助ける方を母さんは選ぶのかな?」

「そんなことは、ない!」

「なら――」

「頼む、駿」

 頭に昇った血が一気に下るような衝撃――あの母さんが頭を下げたのだ。一度も他人に阿ったことなどないだろう、自尊心の塊である神崎美浦が、俺に頼むとまで言ったのだ。


「お前の言う通り、私は善治を助けたいと思っている。だが、同時にお前たちの母親でもありたい。お前と雅人は一切巻き込まないから、私がこの哀れな男に手を貸すのを許してくれ」

「そこまで、母さんは……」

 この軽薄な男を救いたいと思っているのか。

 俺たちを捨て、今になってのうのうと助けてくれと頭を下げるプライドも矜持もないゴミ以下の存在に、まだ未練があると言うのか。

 ああ、この人はどれだけダメ男好きなのか――付き合いきれない。

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