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Dual Kaleidoscope 銭葵・上 6 "二組の二人"

「はぐれちゃったね」

「わざとだろ。あたしも共犯だけどな」

 夕日も沈み、いよいよ夜の時間帯、私は幼馴染と祭りの喧騒から少し離れたベンチに腰かけていた。そこに神崎と部長の姿はない。人ごみが増えてきた頃合いを見計らってまいたのだ。


「あの二人、今頃どんな話してると思う?」

「さあな。あたしみたいな一般人には、あの二人の考えはわかんねえよ」

 晃は所在なさげに冷えたたこ焼きを咥える。

 部長が大好きなこの幼馴染にしては珍しく、今の状況に対して不平を言わない。私が部長と神崎を二人っきりにすることを予想していたのだろう。


「晃は神崎のことどう思ってるの? 告白したんでしょ?」

 部長と神崎、私と晃。二組に分かれれば、何かが起こるはずだ。それは部長たちだけではなく、私たちにも当てはまるかもしれず、こうして晃に神崎のことを遠慮なく質問出来る。今日のような特別な日は、人の口を軽くしてくれるわけだ。


「まあ好きだよ。一緒にいて楽しいし、なかなか男らしいとこもあるし」

「それは神崎の表面的な評価だよね。もっと深い部分はどうなの?」

 神崎駿(かんざきしゅん)――五月に突然都会から転校してきた少し変わった男子高校生。

 転校してくるやいなや、神旺町では知らない者のいないあの桂家の息女、桂明梨の幼馴染を名乗り、私たちの民俗学研究部に入部する。身長は一七五程度、剣道をやっていたというだけあって筋肉質のがっちりした体格で、性格は明るく社交的。

 男子校にいた反動なのか女の子に飢えており、かわいい子に積極的態度を示すが、本人に恋愛経験はないらしく、いまいち空回ってしまう。

 ――私が知る神崎の情報。

 けれど、全ては"表向き"の話だ。


「だから、わかんねーよ。部長もそうだけど、ああいう現実離れした奴のことは」

「だよね」

 匂いでわかると言えばいいのか。

 部長という特異者と長年付き合ってきた私や晃は、普通とそうでない人間の違いに敏感だ。

 そして、神崎駿は間違いなく後者に属している。

 でなければ、部長とあんな風に――ごくごく自然になんて、接せられない。


「お前はどうなんだ、神崎のこと?」

「まあ、おもしろい奴だよね。あの部長に好き好き言うし、私や晃にも色々言ってくるしね。最初はただチャラチャラした男って思ってたけど」

「それこそ表面的な話だろ? 深い部分は?」

 普段の明るく、人当りのいい性格は、神崎の本質ではないだろう。

 彼の本質は部長と同じように、私たちが踏み入れない領域にある。

 ただ、もしそれでも何かわかることがあるとすれば――


「うーん、私は"部長より"ヤバいかもって思ってる」

「どうして?」

「部長はこれはヤバいってすぐわかるけど、神崎はすぐにはわからないからかな。ほら、あいつ基本はただの三枚目じゃん」

「そうかもな。部長とは違った意味で、あいつはあたしたちとは違う」

「うん。そして、そのことをぱっとわからなくするぐらいには、世間慣れしている。だから、余計に怖い」

 神崎は部長と違って、擬態しているということだ。意図してか、それとも環境のせいかはわからない。けれど、あいつは、表面はごくごく普通の高校生だ。部長のように見て聞いてわかる逸脱は、神崎にはない。たぶん、私や晃や赤石のような鼻の利く人間でなければ、あの男のズレには気付けないだろう。


「あいつが来てから部長が活き活きしだしたのは、偶然じゃないよな?」

「当たり前でしょ。だって神崎は部長の幼馴染だったのよ」

「……幼馴染ね。あたしとお前みたいにか?」

「違う、違う。晃もわかっているでしょ」

 私たちは生まれた時からずっと同じ場所で育ってきた。一方で、部長と神崎は幼い頃こそ同じ神旺だったけれども、その後は十年も離れていたのだ。神崎は都会の男子校に通い、部長は神旺町で王子様の帰還を待っていた。そして、念願かなって王子様はご帰還なされたと、今はそういうわけなのだ。


「そうだろうな、違うだろうな」

「うん」

 短く頷き、これで確認すべきことは全て出尽くしたと互いに納得する。私たちはそれ以上何も言わず、遠くで賑わう人々の喧騒に耳を傾けた。

 おそらく聞こえてくる人々の幾人かは私の知り合いだろう。田舎は狭いのだ。神旺町にはある意味での安心感と、ある意味の息苦しさがある。そんな益体もないことを考えている私に、ふと、晃が思いついたように呟く。


「……なあ、お前は神崎が部長と付き合えると思うか?」

「まさか。相手は晃じゃないんだよ。釣り合いとれないよ」

 私は笑って答えてやる――晃の男の趣味は最悪だよと。




◇◇◇

「つながらない」

「私も」

 携帯は全く役に立たず、宍戸と望月の行方はつかめなかった。

 はぐれてからかれこれ一時間近く経っており、時刻は八時をまわろうとしている。いい加減二人を探しつかれた俺と部長は近場の段差に腰を下ろし、小休止といった具合だ。


「あいつら、二人で話してると思ったら、いなくなりやがって」

「私たちが目を離したのも悪かったのよ」

「子どもじゃあるまいし」

「そうね」

 俺と違い、部長はあいつらと別れてもあっけからんとした様子で、望月から貰ったカステラをもそもそ食べている。まったく、リスみたいで愛らしい限りだ。


「もしかしたら、わざとかも。私と神崎君を二人きりにするためにね」

「なんで、そんなことを。単にはぐれただけでしょう」

「どうかしら? 私はこれでも部長よ。あの二人のことはそれなりにわかっているつもり……、これ食べる?」

「いただきます」

 カステラは冷えて少し硬くなっていた。

 けれど、程よく甘く、悪くない味だ。

 三度噛んでから呑み込むと、隣に座り込んでいた部長が立ち上がり、正面からこちらを見据えてくる。


「神崎君は九旺祭の起源について知ってる?」

「九旺祭の起源?」

 わざわざ立ち上がるぐらいだから、てっきり、はぐらかした望月の告白のことをまた聞いてくるのかと身構えてしまった。

九旺祭の起源なんて、ここらの人間なら誰でも知っていることだろう。部長も当然知っているはずだ。


「確か大昔にあった騒乱の終結を祝い、その死者を追悼する目的で始められたんですよね」

「その通り。九旺祭は文明十四年に応仁の乱の終結を祝い、死者を慰むために始められたお祭り。じゃあ、どうして九旺祭と言うかは知っている?」

 名前の由来?

 それは聞いたことがない。


「それは知りませんね。九旺の旺は神旺の旺だろうとは思いますけど」

「そう、旺の字は神崎君の推察通り。そして、九の字はかつて争いが起こった九つの戦場のことをさしているのよ。ここ中神泉も九つのうちの一つね」

「へー、ここで昔お侍の切り合いがねえ。他はどこが戦場なったんです? うちの学校がある藤兼(とうけん)あたりとか?」

「藤兼(とうけん)もそうね。中神泉(なかしんせん)、藤兼(とうけん)、東防山(ひがしほうさん)、西防山(にしほうさん)、麻翠(ますい)、江千(こうせん)、蕗野(ふきや)、百峡(ひゃっきょう)、桂尾(けいび)、この九か所よ」

「中神泉、桂尾……」

 頭の中で神旺町の地図を思い描き、部長のあげた地名を確認していくと、東西南北万遍なく九つの戦地が散っていることが理解できた。神旺みたいな片田舎でそれほど戦火が広がったことは、乱が苛烈であった証左だろう。


「それ、ほとんど神旺町全部ですね」

「ええ、当時無法者の足軽集団が跋扈し、彼らが神旺を荒らしまわったそうよ。だからひどい荒れ具合で、町民も三分の一にまで減っていたらしいわ」

 後の戦国時代において重要な役割を担う足軽の台頭。

 そこまで言うと部長は一旦言葉を区切る。


「……本題はここからで、実は九旺祭には裏があるの」

「裏ですか?」

しばらくしてもう一度喋り出した部長の表情はわずかにかげり、それが部長の儚げな美しさをより際立たせる。

 何か重要なことを喋ろうとしている――十年前の彼女の面影が頭をよぎった。


「こんな話よ……、応仁の乱終結直後、乱で死んだ人間が怨嗟から悪霊となり、神旺に厄災をもたらした。その厄災を沈め、霊を鎮魂するためにかつての九つの戦場で、さる高名な霊能力者が自身の命を捧げる特別な祓(はら)いを行った」

「要は人身御供ですか?」

 時代が時代だけにあえないことではないだろう。

 誰かが人柱として死者を治める――生贄を捧げるのだ。


「まさしく神崎君の言う通りね。そして、九旺祭は元々その命を捧げた霊能力を讃えるために行われたものが時代を経て、今の形になったという話よ」

 応仁の乱という未曽有の争いで散った数多の無辜の魂を、また別の誰かの魂で鎮め慰める。死者のために死者を生み出す鎮魂。人が死んだことで起こった厄災とやらを、人を供すことで治める――ひどく矛盾しているようで、ある意味ではひどく正しい。怨恨にまみれた人が前を向き、人として生きていくためには、何かの生贄が必要なのだ。


「さる霊能力者の名前は神無月初(かんなづきはつ)。神旺一帯に強い影響力を持つ豪族の女性当主だったらしいわ」

「……神無月初」

 その女性当主がどんな人物だったのかは、俺には知る由もない。だが、他人を助けるために自分の命を差しだす高潔さが、この場合の生贄になったことは想像できる。高潔故に割を食ったわけだ。そして、そいつはきっと世を恨みながら死んでいったのだろう――俺にはそれが"よくわかる"。


「さて、ここで問題です! その神無月初の直系の子孫が神旺町にいるのですが、それは誰でしょう?」

「は?」

 神無月初に不思議な共感を覚えていた俺は、唐突な部長のクイズに面食らう。

 いきなりこの人は何を言い出すのか?

 よもやここまで話を引っ張ったのは、部長がその直系ということなのか?


「まさか、部長が?」

「ブブー! 私ではないわ」

 ブブーって……可愛いけれど、もう少し場の空気に合わせて欲しい。真面目な雰囲気が台無しだ。

 しかし、そんなことは一切気にかけず、彼女は微笑むのだ。


「神無月の姓は、明治時代に戸籍法が施行された際に変更され、現在彼らが名乗っている姓は――――」

 望月と宍戸の掛け合いを見ていた時と同じように、嬉しそうにして彼女は語る――俺のことについて。


「"神崎"。誰のこと言っているかわかるわよね?」

「――っ!?」

 部長の言葉に息をのむ。

 俺がその神無月初とかいう霊能力者の子孫など、荒唐無稽な話だ。


「冗談でしょう? それに神崎なんてありふれた姓じゃないですか」

「本当よ。私の家は昔からの名家だから、すごく古い史料とか謄本帳とかあるのだけど、それらを辿っていって確かめたの。むしろ神崎君は知らなかったの?」

「全然知りませんよ」

 全く思い当たる節がない。

 今までそんなことは考えもしなかった。


「神崎君の家は今ではそうでもないけど、ほんの数十年前までは私の実家と比肩するぐらいの格式ある名家だったのよ」

「嘘でしょ……」

 神崎は母方の姓だが、その母方の親戚筋とはまったく疎遠だった。ほとんど家出の様な形で独り立ちした母さんは自分の実家を忌み嫌っていたし、実家からも勘当のような扱いだ。だから俺は、自分の生まれた家のことを少しも知らない。


「知らなかったのね」

「いや、待てよ……」

 よくよく思い出してみれば、家の離れにやけに古臭い本やら、何に使うか皆目見当つかない骨董品があった。その中に神崎家の歴史について書いたものがあったような……。


「何か思いだした?」

「いえ、何でもありません」

 もし見せてくれといわれても困るから部長には黙っておこう。あれはあの人の私物で、俺が軽々しく触れていいものではないのだ。


「なら、聞いてみたら?」

 淡々と言う部長はまだ微笑んでいるように見える。


「誰にですか?」

「もちろん、親によ」

 親に聞け。

 部長は簡単にそう言う。

 しかし俺の場合、それは一人しかいない。

 あの人、母さんだ。

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