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Dual Kaleidoscope 銭葵・上 4

「はは……あっははははははははっはははあっはっはっ――」

「笑い過ぎ、宍戸」

 偶然出くわした部活仲間、宍戸小夜(ししどさよ)は破顔していた。

 品も何もなく、腹を抱えてげらげら、笑いに笑っている。


「――だって、だって、部長のカレーを食べて死にそうになった晃を介抱してたら、ゲロふっかけられたんでしょ……っぷ、ははっははははははははははっ!!」

「笑うなって! 大変だったんだぞ、トイレから出たら店員さんから白い目で見られるし、結構な値がしたズボンには据えた匂いが染み付くし、もう散々だ!」

 あの惨劇の後、ゲロによって異臭を放つ汚物になってしまったチノパンをはき替えに望月をコンビニにおいて家へ帰り、もう一度神旺グランハイツに向かう途上で、何故か宍戸に出会ったのだ。

 バイトとやらはどうしたと言いたい。


「てか、バイトじゃなかったのかよ? 何でこんな所にいるんだよ」

「嘘に決まってるじゃん。九旺祭の時間までここらで時間つぶしてたの」

 宍戸は舌をペロっと出して、悪びれずに答える。

 悔しいがその仕草がど直球に可愛かったので、咎める気をなくしてしまった。


 あわい栗色のショートヘヤーに丸っこい顔立ち、ボリューム感醸し出す胸元と肉付きの良い太ももの小悪魔系女子――望月の幼馴染であり、民研最古参メンバーでもある宍戸小夜は、今日も今日とてかわいい。

 部長や望月が美人の部類なら、こいつは女子女子した〝カワイイ子〟だ。その女子高生らしい愛らしさでお茶目にとぼけられたら、健全な男子高校生はもうどうしようもない。


「……お前、部長の料理の腕が壊滅的なこと知ってたろ?」

「まあねー、私と晃は一年ぐらい前にハンバーグで地獄送りされたからね」

 ちなみに私はその時以来、ハンバーグは食べられなくなりましたと宍戸は付け加え、若干引きつった顔をする。普段見ない渋面(じゅうめん)に、部長の料理へ付き合うことを強いるのは気の毒という気もするが、それならせめて一言知らせて欲しかった。


「知ってたなら、教えろよ! 俺も望月も大変な目にあったんだぞ!」

「別にいいじゃん。結局晃が神崎の分まで食べたんでしょ? 晃は本当に部長が大好きだなぁ」

 宍戸は少しだけ口元をつり上げ、笑っているのか皮肉っているのかよく分からない表情をした。


「今日も一番尊敬している人だって言ってたよ」

「尊敬か。晃らしい」

 こいつはいつも望月と部長の関係を、どうともとれる曖昧な表情で語る。望月とは生まれた時から、部長とは高校に上がる前から、関わりがある彼女は色々思うところがあるのかもしれない。

 転校して三ヶ月も経っていない新参者の俺にはわからない微妙な機微(きび)だ。


「民研に、部に一番最初に入ったのってお前だったよな?」

「そだよ。私が中学三年、晃が高校一年、神崎が高校二年の順だから、私が一番古参でしょ。まあ、顧問の赤石先生のことを考えなければだけど。あの人は部長が中一の時からだからねえ」

「どうして望月はあんなに部長が好きなんだ? 望月とも部長とも長いお前ならわかるんじゃないのか?」

「どうしてって、うーん……」

 宍戸はうつむき気味に顔を伏せ、視線を泳がせる。


「何なんだよ?」

「案外そういう趣味なのかもね。流石の私も確かめたことはないけど」

「そういう趣味?」

「だ・か・ら、好きなんだって。ライクじゃなくてラヴの意味でね」


「……?」

 とっさには何を言っているのかわからなかった。

 しかし、しばらくしてその意味するところを悟ってしまう。

 つまり、かのクールーューティ望月晃さんは――


「じょじょじょ、冗談でしょうっ?」

 混乱しすぎて呂律が全く回らない。

 対照的に小悪魔は意地の悪い笑みを浮かべる。


「さあ? でも、スマホの待ち受けは部長の寝顔を隠し撮りしたやつだよ」

「隠し撮り!?」

 俺も欲しい……じゃなくて!


「他にも部長が使っているのと同じ文房具使ったり、髪型を真似てみたり、月に一回のあの日には――ってこれは言ったらヤバいか」

「月に一回だと!?」

 こいつは何を言っているんだ?

 いや、望月は何をしてるんだよ!!


「まあ、何にせよ、晃の部長への思い入れは半端じゃないってことは確かだね。生まれた時から晃の幼馴染やってる私が言うんだから間違いなし!」

「待てよ! 望月は何をやってんだ?」

「えっ、ほんとに聞きたいの? 部長が月に一回のあの日に、晃が何をしてるのか」

 脅すような鋭い目つきに俺は尻込みしてしまう。

 そこへ畳み掛けるようにクールビューティの幼馴染は言う。


「いやいや、女子は男が思っているより、そういう方面はえげつないよ? それでも、聞きたい?」 

「やっぱりいいです……」

 女子コワイ。

 ああ、先輩――俺に剣道を仕込んでくれた桐島先輩見てますか?

 〝女ほど怖い生き物はいない〟

 先輩の言葉は正しかったです。

 男だけの剣道部は先輩の言う通り楽園でした。


「最初に〝それ〟を知った時はね、私は戦慄したんだけ――」

「あーあーあー聞こえない! 何も聞こえない!!」

「聞きたくないの? ここまで来ると逆に面白いって思うかもしれないよ? 私は晃との絶縁を真面目に考えたけどね」

「マジやめて!」

 部活仲間の秘めたる一面なんて知りたくない!

 知らぬが仏、言わぬが花だ。

 まして望月はあんな形とはいえ、今日俺に告白してきたわけなのだから、心の中では美人で勝気なクールビューティのままいて欲しいと思うのが人情だ――仮に真実が残酷だったとしても。


「そこまで言うなら黙ってるけど」 

 宍戸はしばらく慌てる俺を横目で楽しむと、すぐ元のすました顔に戻る。

 相変わらず切り替えの早い奴。


「それはそれとして、何で集合場所が神旺グランハイツなわけ? あそこ超がつく高級マンションでしょ?」

「部長が姉の水無さんって人から貸して貰ったらしい。部長の実家は九旺祭やる中神泉とはかなり離れてるから、代わりにだって」

「水無さんか、なるほど、なるほど」

「知ってるのか?」

 旧知の間柄だろうか。

 部長とは一番長いこいつなら、そうであっても不思議はない。


「まあ、一応。何回か会ったこともあるよ。今は近くの国立大学に通ってるらしいね」

「どんな人なんだ?」

「どんなって言われても。神崎は会ったことないの? 部長の幼馴染だったんでしょう」

「たぶんない」

「たぶん?」

「覚えてないんだ」


 十年前の事故は俺の記憶を曖昧にしてしまった。

 正直細かいことはほとんど覚えていない。

 覚えているのは断片的な部長との思い出と、それから"母さんのこと"ぐらいだ。他は思い出そうとしたところで梨の礫であり、思い出したいとも思わない。


「……十年も前のことだからな」

「私はそこらへんをイマイチ謎に感じるな。それに、神崎と部長って何か変だよね」

 俺が少しだけ感傷的になっても、宍戸は無遠慮に切り込んでくる。


「変とは失礼な」

「幼馴染らしくないじゃん。そういうこなれた雰囲気が全然感じられない」

「お前と望月みたいには中々なれないだろ」

 宍戸と望月の二人は色々と別格の存在だろう。全く気負いなく、互いが互いを完全に理解していなければ、あんな風には出来ない。


 今まで見たどの信頼関係よりもはるかに強固な何かが二人にはきっとあると、二月半の付き合いしかない俺にすら思わせてくれる。

その何かは好き嫌いを超越した家族愛のようなものか、ともすれば、さらに高次の自己愛じみた何かだ。

 宍戸小夜は望月晃の一部であり、逆もまた真。

 彼女たちは不可分の関係に違いない。


「まあ、私と晃みたいとかは置いておいて、部長は神崎のことどう思ってるのかなぁ、ねえ?」

「それは、……それは愛してくれている、はずだ!」

 いつも可愛がってくれるし、今日なんて手料理をふるまってくれた。味はあれだったけど、好意がなければそんなことはしてくれないはず……好意あってあの味だったら逆に怖いな。


「神崎の方はそうだとしてもさ、部長は本当にそうなのかな? あの人に好きとかあると思う、神崎?」

「どういう意味だよ。部長だって年頃の女の子だから、恋の一つぐらいしてもおかしくないだろ」

 そして意中の相手は俺だ。

 ただ、そうなるとよくわからない三角関係が出来上がることになる。望月は俺に告白しておきながら実は部長のことが好きで、俺は望月に突然愛を告げられながらも部長が好きで、部長は望月と俺に好意を持たれつつ本命は……、昼ドラみたいなドロドロした人間関係だな。


「そう? そういう感情なさそうだけど」

「なんでだよ?」

「だって、あの人から生きてる感じと言うか、実在感というか、まあ、そういう人間臭さとでも言うものがないよね」

「人間臭さ?」


 なんだそれは?

 部長が人でないとでもいうのか?

 幽霊やお化けみたいな存在とでも?

 バカらしい。部長はちゃんと足がある生きた人間だ。

 しかし、宍戸小夜は茶化すようでもなく、ふざけるようでもなく、むしろ本気さを感じさせる表情で、部長について語っていく。


「簡単に言えば、あの人は作り物のキャラみたいじゃん。名家の生まれで、現実離れした美人で、そして皆から忌み嫌われている。まるでどこかの誰かが、頭の中でそうあるように考えた、空想上の人物みたい」

「空想上……」

 ある面ではそうかもしれない。

 名家生まれ、図抜けた美人、忌避。全て部長を――桂明梨という一個人を形作る重要な要素であり、また同時に非現実的な側面を感じさせる。


 良い家柄に生まれただけなら、ありふれている。皆が羨むレベルの美貌を持つ女性も探せばいるだろう。他人から嫌われ避けられている人間に至っては、どこにでもだ。

 けれど、その全てを満たすとなれば、それこそ宍戸の言う通り作り物のキャラじみてくる。少なくとも俺の知る限りでは、そんな人は部長しかいない。


「あと、神崎は部長のことを適当な人間だってよく言うよね?」

「そうだけど、それが?」

 部長ぐらい適当で、いい加減な人は滅多にいないと思う。

 宍戸はそう思ってないのだろうか?


「部長は、神崎が来る前はね、ただただ無気力な……、こんなこと言うのも気が引けるけど、かわいそうな人だったよ」

「……かわいそうな人?」

 わからない話だ。

 確かに部長は神旺に住むほとんど全ての人から良く思われておらず、敬遠されている。だけれども、宍戸や望月や赤石といった理解者が少ないながらもいるし、実際いつも楽しそうにしている。俺がここへ戻ってきてから見た桂明梨の最初の顔は笑顔だった。


「だって、ずっと他者から避けられて育ってきた人だよね、部長って。人から遠ざけられ、関わりも持たず、そして――自分からは何もしない。それが私の知る桂明梨という人」

 宍戸が見てきた部長の表情は俺とは別モノなのか。

 俺が知らない部長の十年はどうだったのか。

 拭いきれない違和感誤魔化したくて俺は、宍戸を睨(ね)めつける。

 そんなはずはない。

 そう願いを込めて。


「だから、私はよく思ってた……、この人は生きているんだろうかってね。人と関わらない部長は生きた人間なのか、そんな風に思ってたよ」

 だが宍戸は縋るような俺の目線には応えない。


「他人から認められず、疎外され続けて、自分からも接点を持とうとしない人間はいても、いなくても同じだよね。仮に死んだとしても、周りは驚きも悲しみも喜びもせず、何も変わることなくいつも通りなんだから」

 彼女はただはにかむ。


「生きるって周囲に何かの影響を与えることだって私は思う。そして、部長は神崎が来るまで何の影響もない人だったよ。死人と同じでね」

 はにかみながら、もう一度問う。


「神崎はさ、そんな部長――桂明梨がちゃんと生きている人間だと思う?」

 その問いは鋭く、本質的だ。

 宍戸が言い、俺が聞くからそうなのだ。宍戸は部長を間近で見続け、俺は十年も前に出会っているのだから。


「そういえば、俺も……」

「俺も?」

 似たようなことを母さんから言われた覚えがある。

〝お前は生きてはいない。三途の川で彷徨っている死人の餓鬼だ〟

 当時は何を言っているのか理解できなかった。

 けれど、もしかしたら宍戸と同じようなことをあの人は言いたかったのではないか。当時の俺は"そういう"ガキだった。


「なんでもない」

 何せよ今となっては詮無いことだろう。

 過去はあくまで過去だ。


「そう? 私もなんでもないよ」

「ああ」

 俺がそれっきり黙ると宍戸もそれ以上は何も言わない。

 やはりこの部活仲間は絶妙な距離感の持ち主だ。

   近づきはしても踏み込み過ぎない――宍戸らしい。

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