Dual Kaleidoscope 昇藤 11
どんなに凄腕のドライバーであっても、乗っている車がエフワンカーでなく、普通の公道車であれば、たいした速度は出せない。
だから、母さんや、あるいは部長や俺みたいな異端者ではなく、宍戸のような一般人なら、凄腕のドライバーであるところのかの神無月初もたいしたことは出来ないはずだ。それに、宍戸は一度東防山に出向いているから、縁という意味でも都合がよく、代わりになる人物は他にいない。
そう部長がもっともらしく説明する横で、宍戸はお気楽にはしゃいでいる。
「なんかこれ、変な気分になるかも」
彼女は今桂家の離れの一室で古めかしい椅子に腰かけ、これ見よがしに妖しげなお札が何枚も張られた小箱から取り出された、これまた明らかに何かありそうな古縄を両手と両足に巻きつけられているのだから、本当にいい度胸をしている――少しは危機感というものを持てよ。
「大丈夫よ、特に危険があるものではないはずだから、楽にしていればすぐに終わると思うわ」
「はーい、おとなしくしてますね」
返事は可愛いが、宍戸、お前は長生き出来ないタイプだ。
しかし能天気な阿呆はさておき、部長が〝はず〟とか〝思う〟とか、不安になる単語を連発しているので、危険はないと信じていいのか段々怪しく感じてきた。
「部長、しつこいようですが、これ本当に危険はないんですよね? 成功するかはともかく、流石に俺の家の厄介ごとに宍戸を巻き込んで、危ない目に合わせたら洒落にならないですから」
「大丈夫だよ、神崎。問題ないって」
「あのなあ……」
大丈夫でも問題ないわけでもなさそうだから、こうして色々心配しているのだろう。それともお前は、〝神は言っている、ここで死ぬ運命ではないと〟とか言って復活出来るのか。
「宍戸、お前はちゃんと理解しているのか? お前の体にあの神無月初を降ろすんだぞ。そのまま惹き込まれて、正気が戻らなくなってもおかしくない」
実際、母さんはほぼ一日意識を取り戻さなかった。
部長のおかげで何とか事なきを得たが、"あのまま"だった可能性も十分にあったと俺は思っている。
「そんなに心配しなくても、大丈夫だって。ね、部長?」
「えっ……、ええ、大丈夫、大丈夫」
「部長、今私にいきなり振って来られても、困るわって顔してませんか!?」
「神崎君は神経質になり過ぎ。大丈夫、ノープロブレム!」
いい笑顔でサムズアップする部長に、危機感ゼロの宍戸。
この二人は取り合わせとしてこの上なく危なっかしい。
「さあじゃれ合いはこの辺にして、そろそろ本日の主役にご登場頂かないとね」
「いや、本当に――」
「私を信じて、神崎君」
「部長……」
そういう風に言われると返す言葉がない。
元々宍戸を巻き込みたくない気持ちと部長を信じたい気持ち、どちらが重いかと言われれば後者だ。そして、確かめるまでもなく、宍戸も部長を信じて身を任せているに違いない。
「私のことはいいよ、神崎。部長が大丈夫って言うなら、私はそれを疑わないから」
「そう、だな」
宍戸に自己犠牲的な気負いは感じられず、また彼女は俺よりも桂明梨と付き合った時間という点では長い――両者の間には確固とした信頼関係があるのだ。
「……では、お願いします、部長」
「ええ、これからかの高名な陰陽師にして、当代一の栄華と権威を手にし、最後には時代の潮流にのまれた悲劇の女傑、神崎君の遠いご先祖様、神無月初を呼び出しましょう」
◇◇◇
濡羽鏡――室町中期にさる高僧が作製し、神無月家に贈与されたとされる柄鏡だ。
その鏡面に身を映した者には神格が宿り、永遠に現世に自らの意志を留めておけるのだという。我がご先祖様は死の寸前、贈与された濡羽鏡の一枚で身映しを行い、現在に至るまでこの世に留まり続けていた――換言すれば鏡に封じ込められていたのだが、つい先月にその鏡が割れ、解き放たれた意志が母さんに憑りついたのを、部長が我が家に秘蔵されていた別の濡羽鏡でもう一度封じ込めたのだった。
そして、今は封じ込めるのに使った鏡を部長は掲げている。
母さんから神無月初を引きはがした時と同じようにして。
「それじゃあ、封を解くわよ。神崎君は絶対に鏡に映ったり、鏡面を見たりしないでね」
神無月初を封印した後は桂家に預けられていた鏡は、幾重にも古布で覆われており、宍戸に巻きつけているいわくありげな縄なんて目ではない禍々しさを放っている。その封を今から解くのだと思うと、やはりどうしても平常ではいられない。
「安心して、神崎君。私が傍にいるから」
「……はい」
部長柔らかな笑顔を俺に向けてから、ゆっくり布を剥いでいく。宍戸は憮然とした様子で部長の手際を眺めていたが、最後の一枚が剥され、ついに鏡面が露わになった瞬間、糸が切れたようにぐったりとなってしまう。
「宍戸?」
「……いとくちをし」
「ひっ!?」
うなだれていた宍戸がゆっくり顔を上げ、そこには神無月初が表れていた。
外見こそ宍戸のものでも、中身はもはやあの恐ろしきご先祖様に入れ替わったのが、体から感じる異様な悪寒でわかる。東防山の時と同じように、他人の身体を媒介として、不吉なその存在が降臨したのだ。
そして、萎縮する俺を置き、部長は躊躇いなく一歩前へ出た。
「ご機嫌麗しゅう、陰陽頭殿。私は桂家当主代行、桂明梨にございます。此度お呼び立てしたるは、その御力をもて、ここにいます貴殿の末裔をお救い頂きたく思へば」
「…………」
部長は一切怯むことなく、神無月初に口上を述べ、恭しく一礼する。大した度胸だとは思うが、肝心の神無月初は無言で、当然あまり機嫌が良さそうでもない。
「たわけが。いかで我が桂家の頼みを聞かなくてはいけざる?山での件、忘れきとは言はせずぞ」
しかし、神無月初は驚くことに普通に喋っていた。
東防山で邂逅した時は、とても意思疎通など不可能な、物の怪そのものだったのだが。
「お怒りはごもっともでございますが、私めではなく、神崎駿、すなわちあなた様の御一族を救うのであります。私はその手助けに過ぎませんので」
「御一族? 桂家が御一族などと申すや!」
嘲笑うような攻撃的な笑みを浮かべるご先祖様を、部長は涼しい顔で受け流している。二人のやり取りには圧倒されるばかりだが、本来俺が頼まなくてはいけないことだ。
覚悟を決め、俺も部長のように一歩前へ出る。
「俺の母親が厄介事に巻き込まれているのです。お願いします、助けてください」
「……ふん」
神無月初は突然しゃしゃり出た俺の方へ目をやり、品定めするようにまじまじと見つめてくる。そして、しばらくそうしていたかと思うと、今度はゆっくり口を開いた。
「よからむ。けだし、代えに我の望みも聞き届けてもらふぞ」
「望み?」
意外にもイエスの返事が来たことに驚くより先に、彼女の言う〝望み〟が気にかかった――我がご先祖様の望むことが、俺たちにとって好ましいものではないだろうことは考えるまでもない。
「あの女、貴様の母親の身をもう一度貸せ」
「それは出来ません」
そんな条件は絶対に呑めない。
東防山の二の舞は御免だ。
「ほう? では貴様の身でも良からむ。あやつには劣れども、その身でも望みは叶はむぞ」
「俺の身体ですか?」
あっさり譲歩したところをみると、初めからこうなることも見越していたのだろうか。あるいは仮にそうだとしても、俺に出せるものは自分の身体ぐらいしかない以上、要求を呑む他ない。分かりましたと口を開きかけたところに、部長が割って入るように待ってと一声を上げる。
「神崎君、それは……」
「大丈夫ですよ、部長。俺に何かあったら部長が助けてくれるのでしょう?」
「無理よ。小夜ならともかく、あなたやあなたの母親の身体を彼女に渡せば、私には制御出来る自信はない」
「はははっ! しかり、しかり! 貴様のごとき小娘、我が血族の身体に宿れば、何のこともなし!」
神無月初は露骨な嘲笑を顔に張り付かせている。
部長に東防山で一杯食わせれたことを根に持っているのだろう。
「部長は一度東防山で、母さんに憑りついたのを封じ込めているじゃないですか」
「あの時彼女は解き放たれたばかりで万全ではなかったし、ちゃんとした手順を踏まずに鏡を割ってしまっていたから、私でも何とかなったのよ。今回は曲りなりにも場を整えて呼び出しているから、小夜から神崎君たちに移れば、事実黄泉返りになってしまう」
「そう……、ですか」
今回は東防山と同じというわけにはいかないのか。
だが、だからといって、どうすればいい?
それに、そもそもご先祖様は、母さんや俺の身体を使って何をする気なのか。二度目の生を謳歌しようとでも?
「あなたは母さんか俺の身体で何をする気なんですか?」
「知れたこと、反魂の術にて勝久を常世に呼び戻さむ。貴様の弟ならそれが叶おうぞ」
「反魂の術?」
死者をこの世に呼び戻す、つまり我がご先祖様は乱で横死した最愛の弟を蘇らせるつもりなのだ。
もはや何でもありな感があるご祖様だ。
「そんなこと、不可能だ……」
「何をか言う。貴様とて我が末裔なら、一から説かずとも、その理を解しておろう。彼岸は"繋がって"おるのだ」
「……そうですね」
俺でさえ、霊能力を失う十年前は、普通の人から見れば超能力としか思えないようなことが出来ていたのだ。それが俺の家の歴史の中でも最高と称される神無月初なら、死者の一人程度この世に呼び戻せても不思議はない。そも彼女自身が死者であるにも関わらず、今こうしてその意志を現世に留めているのだ。
「神崎君、悪いけどそろそろ限界よ」
「限界?」
突然部長は指を神無月初が座る方へ向ける。指差したところをよく見ると、部長が宍戸にまきつけていた妖しげな縄が今にもちぎれんばかりに風化していた――まるで何百年も野に晒されていたようだ。
「ふっ、もう幾ばくもせず、縛めは解けたならむ。まあ、良し。応(いら)へを楽しみにしたりぞ、駿」
「――っ」
神無月初は最後にもう一度口元をつり上げ、嘲笑の表情をつくりながら、また部長の掲げる濡羽鏡に封じ込まれていく。部長がもう一度古布で鏡を覆う頃には、嫌な悪寒はすっかり感じなくなっていた。
「最後、名前呼ばれていたわね、神崎君」
「…………」
そう、彼女は俺の名前を呼んだのだ。
〝駿〟と言うその口ぶりは、あの人にひどく似ていた。いや、正確には逆が正しいだろう。あの人――母さんが神無月初に似ているのだ。
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