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Dual Kaleidoscope 昇藤 13

 仏作って魂入れずという諺があるけれど、小夜の時は魂入れて仏作らずというのが正しかったのだろう。

 神崎君に説明したように、凄腕のドライバーであっても、乗る車が凡庸の域を出なければ、エフワンカーの時のようなスピードは出せないし、発揮可能な運転技術を限られてくる。だから、私みたいな一流とは言えない人間でも、何とか抑えられたのだ。

 だが、超一流のドライバーがその技術を如何なく発揮できる、超高性能なスーパーカーに乗ればどうなるだろう。きっと誰も追いつけない速度でもって、他者を置き去りにするに違いない。

 そして、今回はまさにそういう場合――神無月初という超一流のドライバーが、神崎美浦というスーパーカーに乗り込んだのだった。


「――ははっ、はははははははははははっははははははははははは!」

 神無月初は鏡から呼び出すと同時、高笑いを始めた。

 その姿は小夜の身体に憑りついた時とは全く別次元の威圧感――単純な恐怖を超えた、畏敬の念とも言える感情さえ抱かせる神々しさが宿っている。


「やはり素晴らしいな、こやつの身体は! 生きている時と何ら変わらぬ姿形に能力、文句のつけようもない!」

「……ここまでくると、呆れるわね」

 神無月初の言うように、まさしく彼女は最高の状態にあるに違いない。言葉遣いが現代風になっているところを見ると、おそらく憑りついた神崎君のお母様の知識をも吸収し、自身の霊格と合わせ、完全な復活を遂げたというわけだ。

 その証拠に、一応の備えとして巻きつけておいた、小夜に使ったものより数段効果がある注連縄を神無月初は何の抵抗もなく解いている。

 それを見れば、自然に諦めがつくというものだ――これはどうしようもないと。


「ほう、これは四十四字の秘文か。それも血を使って描き上げている。流石は我が子孫、なかなか良くできているぞ」

 神無月初はふと指で、顔に描かれた紋様をなぞった。

 神崎君のお母様が対策として施したその術にどれほどの効果があるかは見当もつかないけれど、赤黒く紋様が光っているところを見ると、少なくとも私が用意した縄なんかよりは意味があるのかもしれない。


「まあ、良い。それより早く勝久を呼び戻さなくてはな」

「お待ちください。再度お呼び立てしたのは、ここにいる神崎美浦の元夫、柳田善治さんを助けて頂くためです」

 神無月初は悠然と部屋を出ようとするが、そうはいかない。

彼女を呼び出した目的はまだ何も果たされていないのだ。せめてそれを成し遂げてからでないと、この後どうにもならなくなった時に、神崎君に申し訳が立たない。

 まあ十中八九、私は死ぬと思うが、それぐらいは先輩としてせめてやっておきたい。


「そうだな、そう言えばそういう約束だったな」

 いいだろうと鷹揚に頷き、神無月初は善治さんの方へ歩み寄る。嫌に簡単にこっちの要求を呑んだのは、今の彼女にとって、その程度のことは最早どうでもよい細事だからだろう。


「ぁっ、ぁぅ……」

「ふむ、これは女の生霊だな。それもかなり強い。これほどの念となると、我の時代でもそう見はしなかったぞ」

 怯えきり、立つことすらままならない善治さんの顎を掴み、ゆっくり左右にふる――人間が捕えた動物や虫を観察するかのような、無機質で冷たい目つきだ。


「貴様、女たらしだな。こうまでなるとしたら、痴情のもつれで、よほど酷いことをしたのだろう。正直貴様のような輩を救いたいとは思わんが、そういう取り決めだから仕方ないな」

 善治さんの顎から手を放した神無月初は、何か呪文らしきもの――そういうものに一家言ある私でも、全く言葉として認識できない〝何か〟を唱え始める。

 あるいはそれは、神代の言葉というものかもしれない。


「――――終わったぞ」

 時間にしてほんの一分か二分。それだけで彼女は祓いを終え、善治さんは意識を失ってしまう。ただ、その顔は意識があった時よりも随分ましなものになっているから、祓いは成功したとみて間違いないだろう。


「さて、約束も果たしたことだ。そろそろ我は行かせて貰おう」

 当然のように歩み去ろうとする神無月初を、止ることも出来ずに、ただすれ違うその刹那、私は死んだと思った。

――彼女に睨まれただけで。


「お前のことは見逃してやる。本来なら桂家の娘など、何度殺しても殺したりないぐらいだが、貴様がいなければ我はこの身体を得られなかっただろうからな」

「……っ」

 彼女がこちらに向けていた視線を切り、部屋から出て行くと同時に膝が崩れ、床に倒れ込んでしまう。止められなかったという罪悪感より、死ななかったという安堵が心に溢れていた。


「……ごめんなさい、神崎君、私じゃどうしようもなかったわ」

 私はアレを甘く見ていたのだ。

神崎君には自信なさげに制御できるかわからないと言ったけれど、いざとなれば自分の命を引き換えにする覚悟で挑めば、もう一度封じてしまえるだろうと、高をくくっていた。


 そして、神崎君のお母様に身体に降ろしてしまえば、神崎君が危ない目に合わずに済むと言う考えもあった。

 しかし、その目論見はあまりに甘かったのだ。

 アレは――神崎美浦の身体に宿った神無月初は、私のレベルでは、いや、現代にいるどんな高名な霊能力者であっても、封じることは出来はしない。

 彼女は人の人智を超えた〝神〟そのものなのだから。



◇◇◇

「起きろ、駿」

「ぅん?」

 この声は母さん?

 どうして……、いや、あの後――俺が眠らされてからどうなったのだ?


「母さん! あれからどう――、えっ?」

 "違う"。

 居間のソファーで横たわっていた俺を見下ろしている〝モノ〟は、母さんではない。顔に何か複雑な紋様が描かれているが、そういうこととは別に、その身に纏う雰囲気が明らかに違っている。この恐ろしい感覚は東防山や今日部長のところで感じたものと同質の畏怖――俺のご先祖様、神無月初のものだ。


「眠っていた……、いや、眠らされていたのだな、あの女によって」

「くっ」

 あの女とは母さんのこと、つまり今俺の目の前にいるのは疑いようもなく神無月初なのだ。おそらく俺が意識を失っていた間に、母さんは部長の所に行って、神無月初をその身に憑りつかせ、そして、憑りつかせて、封印には失敗したということだ。


「なんだ、何か言わぬか。これでもお前のご先祖様なのだぞ」

「貴様! 母さんを、俺の母親をどうした!」

「どうしたも何も、今からは我がお前の母親になるのだ。本来なら勝久と二人きりといきたいところだが、血族の情けだ、お前の面倒ぐらいは見てやろう」

「ふざけるなよ……」

 お前が俺の母親なんて、身の毛もよだつような話だ。

 それに、どうしてそんなにダブるのだ――そういう話し方はまるで、母さん、神崎美浦みたいじゃないか。

 神崎美浦が神無月初に似ているとは認めたくない。


「今すぐ母さんの身体を返して、鏡の中に戻れ!」

「断る。身体が無くては勝久を黄泉返らせることも、一緒に暮らすことも出来ぬではないか」

 結局目的は大好きな弟、勝久を蘇らせることか。

   だが、そうなると雅人はどうなっているのだ?

   まさか俺が眠りこけている間にもう――


「……そうだ、雅人は、雅人はどうなったんだ?」

「お前の弟ならまだぐっすり寝ているぞ。そもそもこうやって先にお前を起こしに来たのは、最後に弟に別れの挨拶ぐらいはさせてやろうと思ったからだ」

「何を言って――!?」

 掴みかかるべく起き上がろうとした矢先、機制を制すように神無月初が俺の肩に触れ、耳元で何か呟く。およそ言葉とは言えないその声は、しかし、脳の内部にまで響くように耳朶の中で反響した。


「まあ、良い。そんなに不平があるなら、そこでじっとしておれ。朝になれば全てが終わるだろうから、貴様もそうすれば受け入れるしかなかろう」

「お、ぁ……」

 動けないし、喋れない。

 喋ろうとしても音が連続で出ずに単なる呻きとなり、両手足は石膏で塗り固められたかのようにビクともしない。


「さてと、まずはこの鬱陶しい四十四字を解くのに一辰刻、そして勝久を反魂するのに二辰刻といったところか」

「まぁ……ぇ」

 待てと言うことすら出来ない己の無力さを嘆き、助けてくれと心の底から願う――あるいは願いは届いたのか、玄関に続く廊下から聞きなれた声が聞こえた。


「待ちなさい」

「ぶ、ちょ、う?」

 この声は紛れもなく部長のものだ。

しかし、どうしてここに来れたのだ? 神無月初がここにいるのなら、部長は突破され、無力化されていなくてはおかしい。


「貴様は……?」

「私の可愛い、可愛い神崎君に手出しはさせないわ」

 現れたのはやはり俺の知る部長――桂明梨だ。

 だが、その雰囲気は普段の部長のものではない――どころか、むしろ神無月初と比べてもそう遜色はない、十年前に初めて出会った時のような妖しさを纏っている。


「……ふん、"そういうこと"か。相も変わらず桂家の連中は下種ばかりだな。本当に反吐が出るよ」

「ぶ、ちょう、にげ――」

「動くな! そこでじっとしていろ! 私がこの悪霊を追い払うまでな」

「っ!?」

 神無月初は動こうともがく俺を一喝したかと思うと、無言で数歩動き、立ち位置を変える。まるで俺を守るかのように、部長の真正面に立ちふさがったのだ。


「ふむ、なるほどね。神崎君のお母様が施したその紋様はかなり効いているようね。おそらくマックスの半分も力を出せない……、これなら私でも何とかなるかも」

 一方の部長は部屋に入ってからは一歩も動かない。

 眼前の敵を目で威圧し、俺からは後ろ姿だけが見える神無月初も、おそらくは部長を睨みつけているのだろう。


「消えろ。今すぐ私たちの前から消え、二度とその汚れた魂をさらさないと誓うのなら、黄泉平坂に送るのは勘弁してやる」

 部長と神無月初は睨み合ったままだ。

 先に動いた方が負ける――そんな空気さえ感じる緊張が場に張りつめているのだ。


「ふうん? あの世に還るべきはあなたでしょう、乱世の"負け犬"さん」

「貴様ぁ!」

 挑発に乗り、先に動いたのは神無月初だった。

 飛び掛かるようにして一気に間合いを詰め、部長の首を狙い両手で掴みかかる。それを部長は読んでいたかのように、右に跳んでかわし、どこからか取り出した小さな手鏡で、神無月初の顔を照らした。

 そして、それが勝負ありの一手だった。


「花手折り、夢儚くして、強者あり! 常世にすまうものは悪、なれば善なるその御霊は還るべし!」

「ぎっ、ざぁまあああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 断末魔を上げながら、神無月初は手鏡から発せられる光に包まれていく。東防山あるいは桂家でそうされたように、また鏡に封じ込められたのだろう。


「……終わったのか?」

 手鏡から光りが消え、神無月初が剥がれた母さんの身体が倒れるのを見届けてから、動くようになった体をゆっくりと起こし、辺りを見回す。当然倒れたままの母さんの身体と、手鏡をしまう部長しか目には映らない。だが、本当にこれで安心してしまっていいのだろうか?


光に包まれる直前、神無月初はこちらを見て何か伝えようとしていたのだ。その何かが俺には逃げろという意思表示に思えてならなかった――なぜなら、神無月初がこちらを見た瞬間、まるで彼女が意図的に術を解いたかのように、体が自由になったのだから。


「大丈夫、神崎君?」

「部長……」

 こちらを伺うよう覗き込む部長は特に不自然ではない。

 いつも会っている桂明梨そのものだ。

 けれど、何だ、この言いも知れぬ"違和感"は。


「驚いたでしょう、さっきの手鏡。実は何枚かある濡羽鏡の一枚を小さくして、持ち歩けるように加工したの」

「はあ……」

 おかしくはない。

 この適当な感じはまさしく部長の語り口だ。

 ただ一点変わっているところは――彼女から感じる異様な妖しさだ。神無月初にはある種の神々しさがあったが、今の部長はそうしたものとは対極の、目にしてはいけないものを見てしまったかのごとき禁忌を感じる。


「どうかしたの、神崎君?」

「……いえ」

 あなたはそんな風に微笑む人だったのか?

 今の部長の笑みにはただ恐ろしさがあるだけだ。


「そう、じゃあ神無月初は封じ込めたから、後片付けは任せるわね。あんまり夜更かしは出来ない体質なの、私って」

「……ありがとうございました、部長」

 俺がやっとのことで口から出した礼の言葉を聞き届けると、すぐ踵を返し、部長は軽い足取りで去っていく。正直に言って、その後ろ姿は神無月初よりも恐ろしかった。

 だが、彼女は、そんな俺の怯えを見透かしたように、突然足を止め、くるっと振り返る――恐ろしい笑みを湛えたまま。


「ねえ、今度私の名前を呼ぶときは部長っていう呼び方じゃなく、下の名前で呼んでくれると嬉しいわ、"駿"」

「っ!?」

 おやすみなさい。

 最後に聞いた言葉は夢か幻か。あるいは、今晩あったことが全て幻想だったのかもしれない。

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