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Dual Kaleidoscope 昇藤 15(完結)

 女は一言でいうなら異常なストーカーだった。

 そいつは神崎部長の元夫、柳田善治という男に手ひどく振られたことを根に持ち、ストーキングを始め、その過程で神崎部長を知ることとなる。女は柳田善治の妻だった神崎部長に嫉妬心を抱き始め、勤め先に脅迫の電話までするようになり(神崎部長への怪電話の主はこの女だったのだ)、部長と善治が接触を持ったことを契機とし、ついにあの凶行に及んだというわけだった。


 結局、その現場に偶々居合わせた僕が部長を庇い、すぐに部長が女を取り押さえて警察に突き出した上に、僕が負った傷も命に別状はないものだったから、大事には至らなかった。

 部長曰く、ここ最近の悩みとは件の元夫、柳田善治からストーカー被害の相談を受けていたことであり、あの脅迫電話の相手も薄々そのストーカーではないかと疑っていたらしい。そして、怪我人が出たとはいえ、女を逮捕出来て、悩みはすっきり解決して良かったよとのことだ。


 ただ、一歩間違えば部長が命を落とす可能性もあったし、何より部長の話にはいくつかおかしな点があるように僕は思うのだ。

 まず、僕と会った時に部長はもう悩みは解決したと言っていたのに、あの時点では女は捕まっていなかった。悩みが解決したと言っていた時の部長は、嘘をついているようには到底見えなかったことを考えると、何故女が捕まっていない段階でもう解決したと判断したのか疑問が残る。


 次に、部長はあの職場への脅迫電話を受けた時に相手に心当たりがあったと言うが、それはおそらく嘘だろう。もし、心当たりがあれば、部長なら何か言い返して相手の反応をさぐるぐらいのことはしたはずだ。けれど、あの時のあの人は何も言わずにただ相手の罵声を聞いているだけだった。


 また、元夫である柳田善治がどうしてストーカー被害を、すでに離婚している部長に相談したのかということだ。部長は大変優秀な方だが、ストーカー相手にどうか出来るかは疑問符がつく。そもそも論として、そうした悩みは警察なり弁護士なり他に相談すべき相手がいる。これではまるで、柳田善治が自分の問題は、部長しか解決できないと思っていたようだ。


 最後に桂家の存在だ。ストーカー被害を解決するのに桂家の伝手を頼らなければいけない理由を、僕はどう考えても思いつかない。もちろんあの連中がその気になれば、その程度のことは〝解決〟可能だろうけど、桂家がそんな些末なことを請け負わなければいけない訳なんてないだろう。部長の立場で考えてみても、ストーカー被害を桂家に頼る必要性は思いつかない。これもまた、部長が善治の問題は、桂家しか解決できないと判断したのだと考えなくては辻褄が合わない。


 以上のように改めて今回の件を整理してみても、部長は何か隠したいことがあって、僕に色々と脚色した顛末を伝えたのではないかと疑念が湧いてくる。

 無論、仮にそうだとしも、それを問い詰める気はない。

 あの人は僕なんかでは到底及びもつかない方なのだ。抱える問題もまた、余人に扱えるものではないだろう。だから部下に過ぎない僕ごときは、何はともあれ、ストーカーの元凶の女が捕まったことで、全ては解決したのだと素直に喜びたい――それぐらいの距離感を部長も望んでいることだろう。



◇◇◇

「傷の具合はどうだ?」

「問題ありません。すぐ退院出来そうです」

 昼過ぎになって見舞いに現れた部長は、傷は大事なく手術も無事に成功したと告げると、人心地ついたのを示すように一つ溜息をついた。


「そうか、良かった。しかし、今回は巻き込んでしまって済まなかった。そして、庇って貰ったことに礼を言いたい」

「いえいえ、ほんと部長に御怪我がなくて良かったですよ。それを思えば、僕が刺されたぐらいは、どうということもないです!」

 もし部長があのまま後ろから刺されていたらと考えるとぞっとする。それに比べれば、自分が刺される程度は屁でもないことだ。けれど、部長は怪我のことを重くみているらしく、深刻そうに眉間に皺を寄せていた。


「怪我が治ったら、ちゃんとした礼をしたい」

「それなら、飲みにいきましょう。部長のおごりでね」

 一杯飲めば貸し借りはなしだ――あまり部長に気遣われるとこそばゆい。そう気軽に言った僕の誘いに、部長はしばし黙っていたかと思うと、何かを決断する時の強い目線でこちらを見つめてきた。


「飲みに行くのもいいが、どうだ、一晩ホテルでもとって、そこでゆっくりするのは」

「……へ? それは、その――」

「はっきり言わないと分からないか? 一晩私を好きにしていいということだ」

「――――」

 ああ、そうか、僕はもう死んでいたんだな。

 今こうしているのは、死後の世界で僕の妄想が具現化しているとかそんなだろう。でなければ、こんな夢でも見たことのない美味しい展開になるはずがない。


「なんだ、一晩では不満なのか? なら週末の二日間に増やしてやる」

 そういう問題ではない。

 いや、二晩と言わず、有給を全部取って一週間だともっといいけれど。


「……はは、あんまりからかわないで下さいよ」

 懸命に笑い顔をつくり、動揺を隠そうとする僕を見つめる部長の目は依然鋭い――冗談をいう人ではないのだ。しかし、しかしだ、あの神崎美浦と一晩を共にするなんて、簡単に信じるには実感がなさすぎるだろう。


「お前は私がからかっているように見えるのか?」

「ほ、本気ですか?」

「ああ、無論だ」

「でも――、ぅっ!?」

 それは甘く、情熱的なキスだった。

 あれこれ言う女の口を男がキスで封じてしまうという、ドラマとかでたまに見るシーンが、男女逆にして再現されたのだ。

 しばらくして唇を離した部長は、とても凛々しく見えた。


「女にあまり恥をかかすな。こういう時は素直に受け取るものだ」

「はっ、はい!」

 この人は格好良すぎる!

 ここまでくると男とか女とかを超越した、人としての器の大きさを感じる――結局神崎部長との夜が一晩なのか二晩なのか、気にし出した自分の下種さ加減を恥じて、穴があったら入りたい気分だ。

 そんなどうしようもない様子の僕を見て、部長は優しい、どこか母性を感じさせる柔らかい笑みを浮かべる。


「ただ、お前の結婚を前提にして云々は少し考えさせてくれ。今回の件で改めて、もうしばらくは"あの子たちだけ"の母親でいたと思ったんだ」

「……いつまでもお待ちしております」

 ああ、本当に眩しいお方だ。


 神崎美浦という人は、無駄がなく、容赦もなく、そして、この上なく崇高な生き方をしている。

 僕はこの人を好きになれたことを心から誇りに思う。

 あるいは、それが分を過ぎたものだとしても。

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