見出し画像

渋谷、メキシコ。起業してから今までずっと。島田俊一郎、最高の思い出をありがとう

これまでは個人のブログを、こちらで運営してましたが
noteに移行することになりました!皆様改めて宜しくお願い致します〜
はじめましての方はぜひ過去のブログを読んでください!赤裸々に書いた20代のまとめブログはいろんな方にご覧頂いてます。

簡単に自己紹介します。西側赳史(にしがわたけし)、大阪府生まれ神戸育ちの31歳です。総合商社で3年間、中南米でのトレーディング・事業会社に携わった後に起業して、メキシコに移り渡りました。メキシコに来て、早いもので5年目を迎えますが、絶賛コロナの影響を受けつつも・・明るく頑張ってます(笑)。ラテンマインドで生き残りをかけた戦いのど真ん中です。写真は10年前のモロッコでの輪投げ屋時代。輪投げ屋やって、アラビア語話しながら生き抜いてきたゴキブリ並みの生命力が持ち味です。

画像3

本日はタイトルの様に、島田俊一郎。シュンの話。僕の友人や渋谷encounterのお客様、メキシコでお世話になってる方々は皆ご存知だと思います、シュンこと島田俊一郎について書きたいと思います。奇しくも先々週くらいに書いていた文章が消えてしまい(笑) 心が折れそうになりましたが、再度書き上げたところシュンの32歳の誕生日に再完成しました。

画像5

2014年の夏から2020年2月まで、合計6年弱の間。Encounterを文字通り、何も無かった時代から30名のメンバーとなった今日までの会社を創り上げてくれた一番の立役者です。いつも「たけしがやりたいことを、俺はやりたい」と言ってくれて、「居場所づくり」に共感してくれた、まさに荒野を豪雨の中突き進むような日々を毎日、時に僕の隣で傘を持ち続けてくれて、時に道なき道を切り拓いてくれた人物です。縁もゆかりもないメキシコまで来てくれて。今ではスペイン語ペラペラですが(笑)。そんなシュンがEncounterを退職して1ヶ月以上が経ちました。寂しい気持ちはありますが、僕も前を向いてるしシュンも前を向いています。僕が何より嬉しかったのは「自分の幸せの価値観が定まったから、次のステップに進む」と言ってこれからの人生を歩もうとしてくれていることです。

画像6

いつの日か友達から親友へ、そしていつの日か漫才コンビの相方みたいな存在に

お酒の失敗は数知れず(笑)。「誘拐されたのでは」と死ぬほど心配した日もあれば、宴の帰り道に熱弁したと思えば翌日全く覚えてなかったり(笑)。これ以上書いたら怒られそうなので控えますが(笑) 、プライベートでも本当に誰よりも多くの時間を共に過ごして、いろんな感情と出逢いを共有しました。

画像1

僕も31年間、不思議と色んな経験をすることが出来て、国籍、年齢問わず沢山の方々にお会いしてきました。その中でシュンは、断トツで寂しがり屋で、ぶっちぎりで優しい。それでいて太陽のように明るい。

片手で数え切れる程度の数しかメンバーがいなかった時代から昼夜問わず共に仕事をして。プライベートのスケジュールも共有しながら、まさに年がら年中、同じ釜の飯を食い続ける。辛いことは全て共有して、楽しいことは共に祝って感動は倍増する。そんな日々を送ってきました。

「日が経つにつれて変わっていく価値観と、求める期待の内容」

ベンチャーを創業すると、良くも悪くも(笑)終わらない夏の選抜甲子園大会状態。負けられない試合がいつまでも続くし、大抵は7回裏まで圧倒的に負けてて、負傷者が発生してるみたいな状況が永遠と続きます。基本的には地獄。笑 この6年間、身も心もボロ雑巾みたく壊れかけていた時期もあるけど、少ない成功体験を共にしたり、感極まる瞬間に一緒に立ち会えたり、Encounterを通じて素敵な人々や景色に出会えたり。振り返ると全てが、まさにお金では買えない、人生を通じて得た財産です。

画像2

起業してる方々やベンチャー企業で働く方々は、頷いてくださると思うのですが、長年連れ添った創業メンバーは、日が経つほどに漫才の相方のような存在になっていきます。昔は言い合えたことが、照れ臭くなったり、「言わなくてもわかるっしょ」ってなってくる。プライベートも仕事のことも。昔はいつも肩を並べて緊張しながら参加していた打ち合わせは、社員の数が増えていくにつれて徐々に少なくなっていく。お互いが背負う責任や頭を抱える悩みが年々重さを増していくに連れて、昔は夜な夜な酒を飲みながら、酔いに任せてどうにか乗り切っていた日々が、不思議と阿吽の呼吸で乗り越えていく様になっていく。いや、カッコつけずに言えば「俺だって乗り越えてるし、辛いことだってあるんだから、そこは自分で乗り越えてよ」といった要求を重ね続けてしまった数年間だったと思います。

仲の良い芸人さんが言ってた「売れるか売れないか、そんな瀬戸際の時代が今よりも、何よりも一番楽しかったよね」という言葉が時に染みたりします。振り返ってみると、スタートラインから僕たちは遠いところまで来てしまって、背負うものが増えてしまったことで、ゆっくりとこれまでの軌跡を振り返って労いあうような時間や、日々変化していく其々の夢や目標についてシェアする時間が必要だったにもかかわらず、足りなかったのかもしれません。

画像7

*この頃はまだ10人に満たない、かつ日本人のメンバー(ほぼインターン生 笑)の方が多かった。

正直に言えば楽な時期は創業以来一切なかったし、精神的にも肉体的にも大きな負担をかけてしまったと思います。それでも常に前を向いて、途方もない到着点を目指して駆け抜ける僕。これはシュンに限ったことじゃないけど、僕のスピードや理想に対して妥協せず、伴走することは相当なストレスだと思ってるし、自覚しています。加えて、僕が期待する、「取締役」としての俊に対しての期待は年々膨張して行っただろうし、そのプレッシャーも重たくのし掛かっていたことで、悩ませてしまったり、押し潰されそうな日々を過ごさせてしまったことは事実だと思います。僕としても、なんとか成長や勉強の機会を提供しようと工夫したり、「シュンのためにどんな舵取りが今の自分に出来るのか」ということを考えに考えてきたつもりだったのですが、この1年、2年は辛い思いを沢山させてしまったと思います。ごめんねシュン。

「現場で仕事をして、場所に息吹を吹き込んで、居場所にするのが俊の才能」

「やっぱり現場で仕事がしたい」と言ってくれたシュンは、今年の夏から東京都内の飲食店で働く予定にしている様です。僕も一時帰国の際には必ず、そのお店に遊びに行こうと思ってます。そのときはきっとコロナも落ち着いてることでしょう(願い)。茹だるような日本の暑さと未曾有のネガティブキャンペーンを吹き飛ばすような、そんな居場所を彼はこれからも創り上げてくれると信じています。

僕は今でも「世界中で居場所作りをしたい」という想いを抱いていますが、
僕の中での「居場所」の定義は「どんなことがあっても、どれだけ時間が経っても、貴方が帰ってこれる場所」だと言語化していました。そして、シュンが退職するに当たって、改めて「居場所」という言葉について考えた時に、シュンにとっての居場所が僕だったり、Encounter Japanでこれからもあってほしいと思いました。同時に、シュンが僕にとっての居場所であることにも、これまで立ち上げてきた店舗を居場所にしてくれていたのも、シュンであったことを気づかせてくれました。

画像8

*映画「この世界の片隅に」のプロデューサーである真木社長とencounterで食事した夜。懐かしい。

どんな美味しい料理を提供しようが、煌びやかな装飾が空間に散りばめられていようが、それらの空間に魅力的な人間がいないと、その街や社会で生活する人々の居場所としての機能は果たされないと思います。シュンはまだ調理のレベルもサービスのレベルも一流ではないかもしれないけれど。空間に命を吹き込んで、居場所にすることに関しては超一流。希有な才能で、これから人と人のリアルな繋がりや拠り所を、より求めていくであろう今後の社会で、きっと愛されて、より需要のある人間になっていくと確信しています。

最後に

シュンはこれからも、生きてるだけで居場所を作っていける人間だから、どこにいっても活躍できると思うし、素敵な人たちが集まってくるんだと思う。この6年弱を共に過ごして、「魂の暖簾分け」をしたと思ってるので、またすぐに会おうね。こんな状況だけど、お互い生き残って、美味しいもの食べながら、浴びるほどお酒飲みましょう。

そしてこれを見てくれてる皆は島田俊一郎の未来に期待して、島田俊一郎の居場所になりましょう。誰よりも寂しがりな彼だから。笑 それじゃ、本当ありがとうねシュン。最高だった。何億円積んでも再現できない、掛け替えのない思い出を有難う。一個謝んないといけないのは、あれだね。一緒に30歳になったら離島で「ビーチボーイズ」再現しようって、1ヶ月休みとってやろうって常々酒飲みながら話してた件、実現できなかったこと。どっちが海沿いの居場所を先に作れるか、これからも長い人生で勝負やね。

画像4

現在クラウドファンディングに挑戦中です!ぜひこちらもご覧ください!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?