幸せは数字で表せるのか?
「幸せは絶対量で表せるのか?」
この議論を一晩中したことがある。
私は幸せは相対的に感じるものだと思うので、バチバチに議論した。
まず、ここで語られる「幸せ」を定義すると、ご飯を食べた時に美味しいと感じる「幸せ」。友達と遊んだ時に感じる「幸せ」。夜寝るときに感じる「幸せ」なんでも含まれる。
とにかく、「幸せ」と感じたらなんでも「幸せ」なのだ。
幸せの感じ方は相対的であると思う。
毎日ご飯を食べれることに対して、「幸せ」を感じないが、貧困な生活をしている人からすると、毎日ご飯を食べれることは「幸せ」である。
「幸せ」は日常の平均値を超えたものにしか、感じるものではない。
毎日ご飯を食べれることを喜べと言われても、喜ぶふりはできても、本当の意味で幸せを感じることはできない。
だから、毎日ご飯を食べる幸せを数字で表そうとすると、人によっては1だし、1,000だったりする。
だから、幸せに数字を割り当てて人と比べることはできないと思っていた。
しかし、今はできると思っている。
その理由は、幸せを辛さに例えると納得できた。
「しあわせ」と「からさ」の漢字も似ているが感じ方も似ているのだ。
まず、辛さは数字で表せる。トウガラシ1つ分の辛さとか、トウガラシの量を2倍にしたら、トウガラシ2つ分の辛さになる。
当然である。
ただ、感じ方は人それぞれ違う。
辛いのが得意な人にとっては全然辛くないものでも、苦手な人にとってはメチャクチャ辛い。
「辛さ」は感じ方は相対的だが、数値で表せる。
だから、「幸せ」を相対的に感じるとしても、数値であらわせる。
証明としては、理論がばがばでいくらでも論破できるが、まあいだろう。
人それぞれ、幸せを感じるアンテナのセンサーが違うだけで、実は幸せは絶対量で表せるのだ。
だから、幸せを感じることが少ない人は、自分の幸せセンサーを磨けば、幸せに生活できるんじゃねって思う。
意外と幸せは転がってる。
カメ
サポートされた暁には、しっかりと喜ぼうと思います。 普段飲む牛乳のランクを一つ上げます