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しょうもないこと考える時間って、大切

テレビを家からなくして、もう10年くらいになります。その結果、自分の時間は増えるし、余計なノイズは入ってこないしで、快適そのもの。ずっと心地よい生活を送れていました。

でも、ここ数ヶ月はそうでもなくなってきました。そう、あいつが現れてから…。

あいつとは、言わずとしれたYouTubeです。広告非表示のYouTubeプレミアムに加入してからというもの、しょっちゅう見るようになりました。

テレビを見ないと威張っていても、YouTubeばかり見ていたら本末転倒です。むしろYouTubeは、思考の余白がなくなるのでテレビより良くないと思います。

この「思考の余白」について、書いてみます。かっこつけて難しい言葉を使っていますが、要は「しょうもないこと考える時間って、大切だよね」みたいな話です。

YouTubeは見るだけでなく、音声だけでラジオ代わりにもできます。なので映像だけでなく、車の運転や食器を洗うときにも何かしら動画を流すようになりました。

最初のうちは、「時間を効率的に使えている!」と思っていたんです。

車の運転とか食器洗いとかは、生産的な活動ではないですよね。それらを、言わば生きるうえで仕方なくやりながら、同時にYouTubeで何かしら情報を得る。無駄な時間を有意義なものへ変えられるじゃないか、そう考えたわけです。

確かに情報取得の面では、良かったです。でもYouTubeで時間を埋めるようになった結果、大きなものを失いました。

それは冒頭にも書いた、「しょうもないこと」です。

すぐには役に立たない、どうでもいいようなことを考えなくなってしまったんです。

「え、しょうもないことなら、考えなくても良いのでは?」と疑問を持たれるかもしれません(持たれないかもしれませんが、続けます)。ともかくYouTubeって、意識がすべて画面や音声に集中してしまうんですよね。

同じ映像コンテンツでもテレビには地上波放送が民放5局とNHKしかなく、チャンネル数が限られているため、見たいものが必ず見つかるわけではありません。

ないならないで、つけっぱなしのまま本を読んだりスマホで調べ物をしたりと、別のことをやったりします。つまりテレビには、映像以外の別の思考の入ってくる余白がたくさんあるんですね。

一方YouTubeは、見るときにはホーム画面や関連動画から探し出します。何しろ膨大な動画がありますから、見たいものが見つからないケースはまずありません。見てみてつまらなかったら、また膨大な動画から選べば良いだけ。

能動的に見たいもの選ぶと、意識のほとんどはYouTubeへ向かいます。すると思考が情報で埋めつくされ、考える余白がなくなってしまうのです。

ぼんやりと考えごとをする時間って、すごく大事です。未来の自分の姿とか、これからの大きな方向性とか、そんな抽象的なことは、ぼんやりした時間から生まれます。少なくとも、自分はそう。

「さあ、これからの10年間をきちんと考えるぞ」と意気込むわけではないですけど、例えばコーヒーをフィルターから落としている数分の間、昇る湯気を見ながら取り留めもなく考えたこと。そんなふわふわした思考の集まりが、自分の考えや行動の大きな方向性を作っていくと思っています。

まずは、YouTubeのホーム画面に近寄らないことですね…。そこから目に止まった動画をクリックしてしまうと、無限に動画を見てしまう。

広く大きく、遠くまで見渡す視点を大切にしたいです。しょうもないことを、きちんと考えながら。


2020年5月に、初めての写真展をやります。
準備のあれやこれやを、Twitterでリアルタイムにお知らせしています。

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