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人間は、知っているものからしか選べないのだ

以前、知り合いのお子さんに、「将来、なりたいものはありますか」と質問しました。大人って、こういう質問を子どもにしがちです。このときの答えが印象に残っていて、その子は「スーパーのレジ係になりたい」と言ったんです。

みなさんなら、この答えを聞いたときなんて思いますか。

スーパーマーケットのレジ係は、言うまでもなく大切な仕事です。でも、高度なスキルや知識は必要としません。規定年齢に達していて、普通に生活できている人であれば、まあ誰でもやることができます。

分別ある大人がこの子の回答を聞いたとしたら、「夢にしては、ハードルが低いなあ」と感じそうですね。ぼくにしろ、「スーパーのレジ係なら、高校生になったらバイトでやれるよ」と現実的な話をしてしまいました。

ただよくよく考えてみたら、ぼくも小さいころなりたかった職業は、同じような感じでした。

ぼくは小学生のころ、家から学校までバス通学をしていました。普段の生活でよく接する大人といえば、親と学校の先生。友達のお母さん。そして、バスの運転手がいました。

バスを運転していて、定期を確認したりお金を受け取ったりしている。それが子ども心におもしろそうに見え、大人から「将来、なりたい職業は?」と尋ねられると、一時期、「バスの運転手」と答えていました。

すると周りの大人たちから、笑われたのを覚えています。そのときはなぜ笑われるかわかりませんでしたが、「手近なところから選んでるな。子どもらしいな」と微笑ましく思われたのでしょう。

レジ係になりたい知り合いの子どもと、バスの運転手になりたかった子どものころの自分。このふたつには、共通点があります。子どもの狭い生活圏の中で、出会っている職業から選んでいるんですね。

知り合いの子どもは、お母さんと一緒によくスーパーへ行っているんでしょう。自分にとって身近な職業の一つにレジ係があり、おもしろそうに思えたから、それを夢に選んだ。

ぼくにしろ、学校へ行くとき接するバスの運転手に興味を覚え、その職業をやってみたいと思ったのです。

大人たちはそれを聞いて「やっぱり子どもの考えることだ。所詮、狭い世界だな」と笑うわけですが、でも今の自分だって対して変わっていないように思います。

何か食事しようと思ったら、これまで食べた中から選んでいる。洋服を買おうと思ったら、これまで目にしたものから選んでいる。結局、子どもの将来の夢と同じで、自分の知っている範囲から選択して毎日を暮らしています。

つまり子どもも大人も関係なく、ぼくたちは知っているものの中からしか選ぶことができないのです。こう書くと当たり前のことですが、結構、大事なことだと思いました。

ぼくたちは日々、選択を繰り返しています。もはや考えるまでもなく、無意識レベルで選んでいることもたくさんあるでしょう。

毎日着る洋服やランチなどは、それほど悩む必要はないですね。いちいち悩んでいたら、それこそ疲れてしまいます。

でも例えば、家を建てるとしたら。結婚式を上げるとしたら。車を買うとしたら。普段と桁の違う支出をするとき、果たして選択の幅を可能な限り広げているでしょうか。

「人間は、自分の知っている範囲でしか選べない」このことを自覚せず、「誰かがやっていたから」とか「テレビCMで見たから」とか、記憶の範囲内で選択していないでしょうか。

何かを決める際にまずやるべきは、選択の数を増やすこと。ぼくたちは、あまりにも知らないことが多すぎるんです。子どもの夢を笑ったとしても、「だったら、世の中の職業を100個書き出してみろ」と言われて、すらすら出せる自信がぼくにはない。

そう言えば、一昔前に村上龍さんの、『13歳からのハローワーク』が爆発的に売れました。内容は、いわば職業の百科事典。そこには、500以上もの職業が紹介されています。

小さいころの自分にしろ、知り合いのお子さんにしろ、『13歳からのハローワーク』のような本に出会っていれば、夢の幅は一気に広がったでしょうね。

選ぶのは意志の力を消耗するのでしんどい部分もあるんですが、「大事なことを決めるときは、選択肢をできるだけ増やす」これを心に留めておきたいところです。

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