道具のお話し(カメラ編その1)
こんにちは
道具のお話し、今回は前回の予告からカメラ編を書いてみようと思います。
今回で終わらなければ何回かに分けないといけないかも知れません。
我が家の掟
私の家では、父親がカメラ趣味に絶対反対と高級なカメラを購入するのは御法度でした。クルマやパソコンを趣味にするのは理解されましたが、カメラだけは絶対に首を縦に振ることは、有りませんでした。
理由は、もの凄くお金がかかる事でした。
カメラだけでは写真は撮れずレンズも望遠になれば何百万とお金がかかるし、現像代も数重ねるととんでもなくなると言うのが理由。今思えば理解出来なくも無いですが、クルマやパソコンも飛んでも無くお金のかかる趣味だった事は間違いありません。
フィルムの時代はわからない
そんな理由で、子供の頃から殆どカメラと言う機械はふれていません。しかし私は子供の頃から鉄道が好きで、ブルートレインブームの頃、駅に写真を撮りに行く為カメラを買って貰った記憶があります。所謂コンパクトカメラですね。それでもとても嬉しくて広島駅に何度かブルートレインを撮影しに行ったもんです。その後御法度なので、中学生の頃友人がミノルタのα7000を買ったと言うので見せてもらって感動しました。
デジタルカメラの登場
世の中にデジタルカメラが出て来て、お〜ぉと思い買ったのがカシオのQV10でした。今思えばおもちゃみたいなもんですが、簡単なメモみたいな使い方で使っていました。しかしデータをPCで使うのに転送するのが面倒とかで、キヤノンのパワーショットA5Zoomを購入して使い始めました。この頃撮った写真は残っていませんが、重宝しました。この頃まだ父親は健在でしたが、小さいカメラだと何もケチはつけませんでした。
父親が居なくなって
我が家でカメラ禁止令を出していた父親が私が30歳になった頃、すい臓がんで他界しました。もう禁止令を出す人は居ません。かと言って特に写真を取る趣味もないので、新たにカメラを買う事も無かった訳です。
ある日、トイレを借りに行ったパチンコ屋さんで、使用料にと1000円をパチンコに使った所、エラい事大当たりして、泡銭が出来てしまいました。
帰り道ふらっと寄った家電量販店、店を出るときには、キヤノンEOS kISS DIGITAL Nが手元にありました。これが沼の入り口だと全く知らずに・・・
CANONのカメラを中心に
カメラを手にしてそれ程使う事はありませんでした。
特に撮りたいと思う何かが無かったのです。
そんな時に街中の本屋でふと手にしたカメラ雑誌をみて、おおコレだよと見入ったのが鉄道写真でした。
カメラの使い方を雑誌や、特集本などで理解していく度に、この機種では何か思った写真が撮れない気がし始める訳です。とても下手くそな癖に・・・
そしてカメラ沼に自ら入水して行きます。
当時の中級機、EOS30Dを購入→40D→7D→追加で5Dmk2→追加で60D→5Dmk3→追加で5Ds→5Dmk4まで
APS-Cカメラは7Dmk2までとEOS M3まで購入して遊びました。
一眼レフは旅のお供には辛かった
私はこの頃良く18切符を使ったり夜行バスでどこかに出かける事もありました。その際にカメラも一緒に持って行きたいのですが、レンズとボディ合わせると結構な重さで、荷物も大きくなってしまうので、難儀してました。
そこに登場したのが、OLYMPUSのマイクロフォーサーズミラーレスのE-P1でした。飛びついてしまいました。その後E-M1mk2まで、ボチボチとレンズも揃えて使っていました。時には特価でLUMIXのGH1も使いましたが、OLYMPUSの方が私には使いやすかったと思います。
どうしても気になって買ってしまった
こうやって身軽な旅で写真を撮るシステムと腰据えて撮るシステムのマルチマウントを維持する中で、私は千葉県の職場に異動となります。関東で生活する中で、ポートレートを撮り始めワークショップなどにも参加し始めて、写真を撮る事も好きになってきます。そんな中でどうしても気になってしまい、買ってしまったカメラが、Nikon Dfです。Nikonのカメラには最初抵抗がありました。なんかAFが遅い感じがしたり、モニターで撮ってすぐの色が私には合わなかった。しかしDfは、見た目で欲しいと思いました。
レンズキットと35mmF1.8、神レンズと言われる58mmF1.4と調達し家でにやけてました。これで、3マウントになってしまいました。
今でもNikon Dfは大事に持ってます。
長くなってしまったので、今回はこの辺で、もしも興味がありましたら次回その2を楽しみにして下さい。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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