それはそれとして、パーティーはやりたい。

突然だが、Xの話をする。
pha氏の『パーティーが終わって、中年が始まる』という本がバズっており、内容というより、このタイトルについて様々に議論されていた。
私個人としては、pha氏の生き方はかなり独特のものであって、男だから女だからという範疇にはないと思うのだが、そこで「女性はむしろ中年からパーティーが始まるのだ」という意見が多く見受けられた。若い頃の様々なしがらみから抜け出し自由に生きられるようになった、という意味合いであるということはわかる。
しかし、pha氏のいう「パーティー」はそういうことでもないと思う。といっても私がpha氏に特別詳しいわけではなく、私はインターネット人間のため、インターネット情報による把握でしかないが……

さて、前段は本題ではない。
パーティーの話題を発端とした、「女性は中年から人生が楽しい」というネット発信に、私は辟易している。これも、頭では、「女性は若い頃しか価値がない」という言説のカウンターであることは理解している。何歳でも人生は楽しい。楽しめるものだ、という前提は私も持っている。
でも、あまりにもポジティブな「中年になれば(自動的に)人生が楽しく」なる、というような言葉を浴びると、じゃあ私の人生はなんだったんだ、という感情が湧き上がってしまうのだ。
私はまだ中年ではないが、私が10代の頃、母親は中年だった。そして、ともに同じ地獄にいた。楽しいと思える瞬間もあった。しかしそれは束の間の気休めであって、貧困と暴力が私たちを支配していた。年を取れば自動的に、楽しくなるわけではないことは身を持って知っている。もっと悪くなることだってある。
若い頃のような、セクハラに遭わないって? それは、出世したからでは?
そんなふうに、思ってしまう。
非正規雇用の中年女性は弱い立場に置かれているし、セクハラに遭うし、狙われる。そして中高年、年齢を重ねるほど、働ける仕事、住める家を探すのも難しくなってくるし、容姿だってぜんぜん言及されるし、子供がいればウィークポイントにだってなる。特別、将来を悲観してるわけではない。ただ、中年女性も狙われるのだと知っているからこそ、私は「楽になる」はなかなか信用できないし、その言葉に妬みすら感じる。

そう、これは妬みである。
私は今地獄の真っ只中にはいないから、その点では「楽になった」と言えるだろう。もう子供じゃないから、子供を狙う大人の対象にはなりようがない。そして、もう「普通」にはなれないと、いろいろなことを諦めようともしている。楽になった部分もあれば、この年齢だからこその苦しさもある。
そして、暴力の記憶は、時間が経てば自然に消えるものではない。私は、暴力の真っ只中にいる、そして、暴力の記憶に苦しむ人のことを考えたい。何歳でも人生は楽しいからこそ、楽しくなれない人のことを考えたい。子供でも若者でも、壮年でも中年でも高齢者でも。何歳でも人生は楽しいし、苦しい。そう思う。

それはそれとして、パーティーはやりたい。
おしゃれしてパーティーして、思いっきり楽しむのだ。


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