知るも知らぬも逢坂の関【小説ノック10】
現代の関って、駅?
***
「はい、着いたよ」
「どーも」
母親の車から降りて、後部座席の荷物をおろす。停まっているのは駅のロータリーじゃなくて、少し離れた場所にある有料の駐車場だ。いいといったのに、母親は俺ともう少し一緒にいたいらしい。断ることもできたけど、孝行だと思ってなあなあにした。
これから俺は、電車で東京へと戻る。るり湊から鈍行で岡山へ、岡山から新幹線で東京へ。時間で考えれば四時間もない道のりだけど、そこには大きな隔たりがあった。
盆前、帰省ラッシュを避けて帰ってきた俺は、世の中の動きとは逆に東京へ戻っていく。それがなんだか、寂しいような気がする。
大学生の長い夏休みも半ば、短い帰省は終わろうとしている。たかだか二泊三日のそれは、後ろ髪を引かれるには充分だった。
「荷物おろした? 忘れ物ない?」
「おー」
そうは言っても、大きなキャリーケース一つと、今身に着けているボディバッグしかない。忘れるも何もないのだけど。
るり湊の中心部は古くからの町で、駐車場は少ない。ぽつりぽつりと点在する町中の小さな駐車場。そこから大きなキャリーケースを引きずって、駅へ向かう。
母親が日傘を開いた。大きなそれを、俺にも差し掛けるように傾けて。青いノースリーブからのぞく母親の二の腕が、日を受けて光って見える。俺なんかより、自分の日焼けを心配しろよ。そんなことを思ったけど、口には出さなかった。
「お土産ちゃんと買って行きなさいよ」
「わかってるって」
そう言われても、限られた知り合いに配るものなんて、その辺で売ってるやつで十分だ。どうせ、駅の中にも売店はあるし、そこで買えばいいだろう。
見えてきたるり湊駅の駅舎は、確か合併の翌年に建て替えられたものだ。シンボルは、《瑠璃》と《港》をモチーフにした、正面の壁画。最近はSNSなんかにアップされる機会が増えて、有名になりつつあるらしい。
その壁画の前を通り過ぎて、構内へと入る。世間は夏休み、駅周辺には観光客も多い。駅とメインの観光地が近いから、こればっかりは仕方ない。この辺りで仕事をしている人は、結構大変だと聞いている。
土産物も売っている駅の売店に入ると、冷房がひどく強かった。きゅっと体に差し込むような冷気に、思わず首をすくめる。
「うわ、さっむい」
母親が呟いた。ノースリーブでは、そりゃ寒いだろう。昼前ということもあってか、土産物が並ぶ棚には人が少ない。なんか適当に、なんでもいいんだけどな。そんなことを思いながら、饅頭だのクッキーだのを眺めていた。
「あ、これいいんじゃない? かわいいよ、ほら」
そう言って指さしていたのは、寒天ゼリーの詰め合わせだった。るり湊をイメージした、青色のお菓子らしい。
「可愛いけど、青い食べ物って、なんか」
少なくとも俺の中では、まだ違和感がある。
「えー、メロンソーダだって、似たようなもんじゃん。だいたい、雪が食べるんじゃないでしょ?」
それもそうか。
「じゃあ、これで」
そういう訳で、勧められるままに、その『るり湊のゆめぜりぃ』というやつを手に取った。ゆめってなんだ、とはちょっと思ったけど。
「それだけでいいの? 少ないんじゃない」
「別に、そんなには友達いないし」
「やだ、自分で言わないで」
事実なんだからしょうがない。結局サークルの人に配る……というか、部室においといたら誰か食べるだろうから、数なんて関係がないのだ。
会計を済ませて時計を見ると、まだ四十分以上ある。母親にせっつかれて家を出た時間が、そもそも早すぎたんだ。せめて二十分くらいは、時間をつぶしたいところだ。
「ねえ、そこのカフェ入らない?」
「あー、いいけど」
最初からその予定だったな、これは。
セルフ方式の、チェーンのコーヒー店。母親がコーヒー二つと、ケーキを注文する。それらを受け取って、席でぼーっとしながら飲んだ。
「もう行っちゃうんだね」
「あー、うん」
話半分に、聞き流す。
「雪さ」
「うん」
「……就職、どうするの?」
はっとして、母親の顔をまじまじと見た。帰省中、ずっとそわそわしていたのはそのせいだったのか、とようやく理解する。
今は三年生の夏、この秋からは就活が解禁される。その先のことを、母親はずっと聞きたくてしょうがなかったのだろう。コーヒーをマドラーで意味もなく混ぜながら、うつむく母親は。
「帰ってくるよ、普通に」
「えっ、そうなの?」
驚く母親に、こっちが驚いた。そんな、東京に残る前提みたいに考えてたのか。
「就職はこっちでする。だから、秋以降は時々帰ってくると思う」
「面接で?」
「うん」
母親はどういう感情なのか、よくわからない顔をした。まるで、嬉しいとほっとしたと、心配を混ぜたような。
「俺、この町が好きだから。ちゃんと帰ってくるよ」
「……そっか」
やっと、母親が笑う。この人にはあんまり心配をかけたくはないのだけど、他人から見るとそうは思えないのかもしれない。何考えてるかわからないとか、ふらふらしてるとか。大学でも、よくそんなことを言われているし。
「雪、東京の方が好きなのかなーって、ずっと思ってた」
「そうでもないよ」
そうでもない。あの町も、嫌いではないけど。俺にはやっぱりこの、適度に気の抜けたるり湊の町が合うと思っている。開発から取り残された住宅街も、寂れかけているのにのほほんとした駅近くの商店街も。
東京は常にターンオーバーがされているというか、いつまでも蠢いている町だ。生き死にが激しい街。そこで生きていくのは、多分、俺には合わない。
「東京の大学に行ったのは」
「うん」
「箔が欲しかっただけ。それが手に入ったら、後はどうでもいいっていうか」
「そう、なんだ」
「うん」
本当に俺はただ、“東京のいい大学を出た”という事実を手に入れたかっただけ。東京は、面白いし出会いも多い。それでも天秤にかけた時に、俺にはこのるり湊の方が重かった。
「じゃあ、卒業したら一緒にアパート探そっか」
「実家暮らしじゃ駄目?」
「うーん、良いけど。良いけどさ。雪は家のこともしっかりしてくれるし」
「いいじゃん」
「うーん?」
納得いかないような顔でいる母親、でも、これなら説得は簡単だろう。どうせ今のところ結婚の予定もないし、だいたい実家の位置的に利便性がいいんだよな。
ちら、と腕時計を見る。もう、予定のニ十分前だ。
「そろそろ行くよ。ここ、払うし」
「だーめ、お母さんが払います」
引き下がることはしない。ありがたいのもあるし、孝行だとも思っているから。
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