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世をうぢ山と人はいふなり【小説ノック8】

おうちとは。

***

 最初に、清志朗と暮らす予定の住所を母親に告げた時、「やだ、田舎じゃない」なんて言葉が返ってきた。この人は、そういうことをずけずけという。別に清志朗のことが気に食わないとかじゃなくて、本当に田舎だと思っているだけなんだろうけど。
 そんなことを、引っ越しの最中に思い出す。僕一人分のそこまで荷物は多くないから、業者じゃなくて自力だ。不動産屋に借りたバンに積んだ段ボールを、今やっと運び終えたところだった。
 傍らでは母親が手伝ってくれているけど、本当は手伝ってもらう程のことはない。僕もいい大人な訳だし、自分の荷物を運ぶくらいは自分でできる。正直重要なのは、この後買いに行く予定の家電に、少しでも援助をしてもらうことだった。
 清志朗は、月末に学校を卒業してから引っ越してくる予定だ。電話やメールで、ああでもないこうでもないと話し合ってはいるけど、やっぱり現地にいる僕が大抵のことをしなくちゃいけない。そういう訳で、るり湊の町中からはちょっと外れたところにある、この一軒家で朝から作業をしているのだ。
「いちか、やっぱりこの家、古いわよ。どうしてここにしたの?」
「賃貸の一軒家がいいって話、したよね?」
 それは、一年くらい前にした話だ。その時はふうん、と普通に聞いていたのに。
「そうだけど、もっと駅に近いとか、築年数新しくても良かったじゃない? この辺田んぼばっかりだし」
「確かにそうだけどさあ」
 言われた通り、この家がある辺りは田んぼが多い。距離としては、駅まで自転車で十五分かかるくらいには離れている。
「部屋数とか家賃とか、駐車場とかの折り合いだから。多少はリフォームしてあるし、大丈夫だって」
「そう?」
 築二十年近いとはいえ、水回りは綺麗にリフォームされている物件。色々考える中で、ベターだと思えるのがここだっただけの話だ。それに、二台分の駐車スペースも付いているし。正直それが一番の決め手だった。
「なら、私はいいんだけど」
 本当にいいと思っているんだろうか。
「ちょっと、それ開けなくていいよ、後で自分でやるし」
「あら、これいちかの洋服ね。嫌だ、お皿を出そうと思ったのに」
 書いてあるんだから見ればわかるでしょ、とは言わない。この人は昔からそそっかしいというか、能天気な人だ。毎度こんな感じなので、いちいち指摘するのもアホらしい。
 僕が日用品を出している横で、母親が食器を仕分けている。
「あなた、お総菜なんか買っても、ちゃんとお皿に移しなさいよ。その方がね、心にゆとりが出るから」
「わかってる」
 この人は、こういったことをよく言う。子供の頃から、何度も。
「いつも言ってるけどね、《窓辺に一輪の花を飾る心》を大切にしなさいね。いちかっていうのは、そういう意味でつけたんだからね」
「わかってるって」
 食器を入れたケースの梱包を解きながらの、口癖。それは、耳に胼胝ができるほど何度も言われてきた言葉だった。
「それにしても、まさかあなたが男の人と一緒に暮らすなんてねえ。私てっきり、女の子を連れてくるもんだと思ってたわ」
 そういうことを、またずけずけと言う。人が気にしていることを。
「しょうがないだろ、なんか……そういうことになったんだから」
 その辺りは、正直僕にも謎だ。女性とお付き合いしたこともあるけど、《人生のパートナー》になり得るかもしれないと思ったのは、清志朗が初めてだったから。
「清志朗くん、いい子よね。なんだかほにゃほにゃしてて頼りないけど、一緒にいて感じがいいし」
「それは、まあ」
 作り付けの食器棚に、母親が皿を並べていく。なかには、母親が譲ってくれた綺麗なティーカップのセットもある。どこの何かは知らないけど、結構高そうなやつだ。清志朗なら、わかるだろうか。僕なんかは、メーカーとかブランドには、さほど興味がないのだけれど。
 歯ブラシとか洗顔フォームとかを洗面所に運びながら、話半分に聞いている。
「こないだ遊びに来た時もね」
「うん」
 母親はこないだと言ったけど、あれは清志朗のお盆帰省に合わせて食事会をした時のことだ。うちの両親と、四人で。両家の顔合わせにしなかったのは、まあそういうのはいいかな、というやつだ。
「清志朗くん。ご飯美味しそうに食べるし、店員さんに態度もいいし。箸の持ち方は、ちょっとおかしかったけどね」
「それはそうだけど」
 清志朗の箸の持ち方は、何と言えばいいのだろうか。つまり、平均とはずれている。あまりに個性的だから僕も最初は気になったけど、もう慣れた。
「でも、清志朗くんがいいんでしょ? 一緒にいて居心地がいいし、感性も合うって」
「……まあ」
 そんなことも言ったような気がする。
「あ、お父さんが何も言わなかったのはね。今更いちかに何言っても無駄だからって、私には言ってたんだけど。結局清志朗くんのこと気に入ったのよね」
「なんか根拠あるの」
 とりあえず、自分の分だけは並べ終える。そういえばあ、清志朗は風呂場で歯を磨くんだったっけ? 合流してから、置き場所決めればいいか。
「そりゃあの人、嫌だったらすぐ顔に出るもの、嫌ですーって」
「そう?」
「そうよ。あなたが高校生のときなんか、毎日こーんな顔してたわよ。忘れちゃった?」
 母親が、顔を大袈裟にゆがめる。
「ああ……」
 僕がセクシュアリティーの悩みやらなんやらで、荒れていた頃の話だ。その頃は父親との関係が良くなくて、色々あった。今落ち着けているのは、奇跡的なくらい。それこそ、明るい母親のおかげだろう。
「さてと、私が手伝うのはこれくらいね。後は自分でできるでしょう。ああ、そう、冷蔵庫買うんでしょ?」
「そう。ちょっとくらいお金出してもらえると、助かるんだけど」
「あら、いいわよそれくらい。冷蔵庫はね、ちょっと大きい方がいいからね。二人用は意外と小さいから」
「そう?」
「そうよ。従妹の芽生子ちゃんいるでしょう。あの子、こないだ結婚したんだけど、そう言ってたわよ」
「え、初めて聞いたんだけど」
 芽生子は母親の兄の子で、昔は一緒に遊んだりしていた子だ。
「なんで言ってくれないの。いつだよ、結婚したの」
「先々月。だって、結婚式は写真だけで済ませたからって、私も後で聞いたんだもの。それにいちか、今はあんまり付き合いないでしょ」
「そうだけど」
 それでも、報告さえないというのは、なんとなく腑に落ちない。いや、芽生子とは五年くらい会ってないか?
「はあー、まあいいや、冷蔵庫買いに行こう。そのおっきいやつ」
「うん。これが最後になるかもしれないしね」
「え?」
「なんでもないわよ」
 母親は妙に楽しそうだ。そうだ。こうしてこの人と二人きりで出かけるのも、最後かもしれない。

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