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白きをみれば夜ぞふけにける【小説ノック6】

関西弁チャレンジ。

***

「ちかくん」
「……うん?」
 急激に、意識が浮上する。慌てて飛び起きると、枕元にいたかづみちゃんが驚いた顔でこちらを見ていた。
「俺、寝てたんやな。……咲也は?」
「もう寝てる」
 息子を寝かしつけているつもりが、自分まで眠ってしまったらしい。目覚まし時計を見ると、九時半。九時前には咲也と布団に入ったから、結構寝ていたかもしれない。
「あー、なんかぼーっとする」
「静かやな、とは思うてたんよ。そしたら寝てたから。ちかくん、もしかして疲れてる?」
「そうかも」
 寝室で付いたままになっている、家庭用プラネタリウムのスイッチを切った。寝室の天井を照らしていた明かりが消えると、隣の居間からわずかな光が差すだけ。
「これ買ったん、五年前やんなあ。よう仕事してるわ」
 寝つきが悪い咲也のために買った、安物のそれ。祈る気持ちで買ったものではあったが、咲也が思いの外気に入ったために、長年使い続けていた。
「そやね。今はもう、ちゃんと寝てくれるし要らんのかもしれんけど」
「俺らの方が習慣になってるんやな、これが」
「ほんまそう」
 かづみちゃんは笑った。二人並んで布団に入り、プラネタリウムをつけるて……ぼーっとする時間を作ると、本当によく眠れるのだった。
「さむさむ」
 そんなことを言いながら、襖を開けて居間へ戻った。寝室と隣り合っているから、九時以降はテレビをつけないでいる。どうやら、かづみちゃんはこたつでノートパソコンを開き、ウェブサイトを見ていたようだ。
「何見てんの」
 かづみちゃんの向かいからこたつに入る。さすがに、暖かい。
「んー、福音館書店のサイト」
「なんか欲しいものある?」
「ないけど、良いのあったら買おうかな。入学祝というか」
「そやなー」
 咲也は、この春小学生になる。今までも大変だったが、これからも大変だ。怖いのは、“小1の壁”というやつ。共働きだから、学童に通わせつつやっていく予定ではある。俺たちには親戚が近くにいないから、どうにか二人でやっていくしかない……というところが一番の心配事だった。
「どうにかなるんやろか」
「やるしかないよ」
 かづみちゃんは、フルタイムで会社に勤める正社員。俺はというと、音楽教室で細々とアルバイトのピアノ講師をしている身分だ。どうにか調整するなら、俺の方に決まっている。
「仕事の方は都合着くんやけど、俺らの気持ちがな。慣れるまで大変やろなって」
「うちもわかるな、その気持ち」
 咲也が生まれて一年は、本当に大変だった。その、乳幼児を育てる大変さはひと段落して、これからは社会のシステムと折り合わせる大変さがやってくるのだろう。というか、既に折り合ってはいないのだけれど。
「ほんまに、社会が子育てに向いてないって思うときあるもんね」
「そやなあ」
「ほんでも働かな、仕方ないし」
 学生時代から希望していた仕事に就いたとはいえ、それなりの苦悩はあるらしい。ため息をつくかづみちゃんに、俺はわざと明るく振舞った。
「ま、ほんまにどうにもならんかったら俺が専業主夫にでもなればええし。代わりに、かづみちゃんが一生懸命働いてな」
 語尾にハートマークが付きそうなくらいにおどけたのに、かづみちゃんは動じなかった。悲しい。
「それはいいけど……ちかくん、ピアノ楽しいんやろ?」
「まあ、そやけど」
 ピアノは、子供の頃からずっと続けている。結局演奏家にはならなかったけど、講師をやる程度には腕がある、と自負していた。教室では、それなりに人気があると聞いてもいるし。
 もともとかづみちゃんの収入だけでもそれなりに暮らしてはいけたのだが、日々張り合いのためというか、そういう理由で仕事を始めた。咲也が生まれてからは、将来のためにお金を貯めておこう、という目的もある。
 でも一番は、家には置けないグランドピアノを、職場で思い切り弾けるということかもしれない。いろんな都合で、うちにはキーボードしか置いてないのだから。
「ピアノ弾くの楽しいし。教えるのも、向いてると思う。やりがいもあるし」
「そっか」
「できれば、続けたいなあ。みやこ先生のことも好きやし、あの人ほんまに面白い」
 みやこ先生は、音楽教室のオーナー。面白いというか、変わってるというか。面白いエピソードに事欠かない人だった。
「こないだなんか、差し入れにおっきいカステラ持って来はったんやけど、それが切れてないやつで。みやこ先生、一階のコンビニに割り箸買いに行ってん」
「なんで割り箸なん?」
「フォークでもええやんな? それで、大袋から割り箸出して、人数分に分けてんて。もう、俺おかしくって」
「ええ、余った割り箸、どうすんの」
「休憩室に置いとくらしい」
 ふふ、とかづみちゃんが笑った。パソコンをたたんで、こっちを向いた。
「ちかくん、職場の人と仲いいみたいで、うちも嬉しい。あんまりそういう話、しやんから」
「そう?」
 そうかもしれない。
「ほんまはね、心配してた時もあるの。だってあそこ、ちかくん以外みーんな女の人やない」
「うん」
 アルバイトの講師なんて、そりゃ大体は女の人だろう。以前、若い男の子がいたことはあったけど、その人もすぐに転職してしまった。確かに、一般的には男性がやる仕事ではないと思われているのかもしれない。アルバイトだと、収入もたかが知れているし。
「馴染めるかなーとか、すぐに辞めてしもたらどうしよ、とかね。世間体とか、やっぱり気になるんやないかなあ、とか」
「うん。言うてること、わかるよ」
 世間体。そういうことを気にしているのは、かづみちゃんの方だ。俺は生来能天気というか呑気というか。そんなんどーでもいいやろ、みたいなところがある。
「でもな、そんなん今更やろ……と思うねや。俺は俺のやりたいことやれる範囲でやってるだけやし。かづみちゃんもそう。やりたいこと、やりたいとこでやってるだけ。俺はかづみちゃんと、咲也と一緒にいられるなら、どこでもついてく」
「……うん」
「俺は、支える方が性に合ってる。教えるのもそう。自分が演奏家になるより、演奏してる人を助ける方が好きや」
 かづみちゃんは思い切りは良いのに、落ち込むときは結構落ち込むタイプの人間だ。そういう時に、俺が助けてあげたい。
「大丈夫。俺がついてるから。明日も仕事頑張ろな」
「うん」
 重ねたその手は冷えていた。しょうがない、毎日一緒に苦労しよう。

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