組織で働くことと個人で働くこと
昔から、退職していく人を送り出すたび、それでも組織は回り続けるということを強く感じる。
友人が勤務する外資系企業では、レイオフの嵐が巻き起こっているという。精神的に疲れてしまうようだけど、それでも組織は回っている。
職人さんや小さな町の片隅にあるバーのマスターはそこに居続ける。その人が辞めたら、場はなくなる。
その違いはなんだろう?
どっちの方が幸せなんだろう?
そんなことを考えていたけど、どっちだたしても、幸せになれるし、不幸にもなっちゃう。
何と出会うかのように思った。
組織のために働くのは虚しい。
組織のために働くのは虚しいと感じる。誰かのためだけに働くのも虚しい。
あくまでも自分のために働きたい。自分のために、自分の能力を発揮したり開花させる機会を与えてくれる組織があれば、人はイキイキきていく。それが私の理想だ。
そして、水の交換ができる場と思考があれば、そうあ離続けられるのではないかと考えている。
受容性を高める
人材の流動性を高めることには賛成派だ。けれど当事者が求めていない場合は、長く働ける環境を整えてあげたほうがいい。競争ではなく共創の場を作ることができれば、きっとうまくいく。価値観が揃っていれば、どちらの思考の人がいても、きっとうまくいく。
最近、当社もおかげさまで事業が拡大傾向にある。だからいまは、採用活動が常に回っている。
昔からいつでもウェルカムな姿勢は変わらないが、ありがたいことにポツポツとインターンシップのエントリーが時期を問わず年齢を問わず舞い込んでくる。
社会にある課題が垣間見える
当社に辿り着く理由はさまざまだけど、なんとなく社会の課題にぶつかって辿り着く人もちらほらいる。たぶん、個の能力をそのままに評価されない社会がここにはあって、だからこそ当社のような小さな組織でも、あらゆるスキルや経験を持つ人々が順調に集まってくれているのだろうと思う。
組織は多様であっていい。
決まった形はなく、様々な考え方の会社があっていい。けれど嘘はついちゃいけない。トライする方も受け入れる方も。
今、ここで働くみんなからは、日々それを教えてもらっている。もっともっとそれぞれが能力を発揮できるように、組織のかたちを変容させ続けなければと模索し続けている。
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