憧れの街東京に出た人間がUターンを決意した話

皆さんこんにちは。
浜松市引佐町で地域おこし協力隊(山里いきいき応援隊)として
活動しています西田です。

私は今月から13年住んだ東京を離れ地元浜松に戻り、
地域おこし協力隊として生まれ育った街、浜松市引佐町で活動をしております。
なぜ東京に憧れて地元を離れた人間が、Uターンを決断し、
地域起こしという山間地域の街起こしの
プロジェクトに入るようになったのか、その想いを文章にしたいと思います。

お酒しか飲んでいない日々を送った20代

大学進学をきっかけに上京をした僕は、
例に漏れず東京生活をめちゃくちゃ満喫していました。
学生時代多くの友人と出会い、朝まで飲んだり騒いだり。
時には真面目に夢を語ったり。そんな感じで学生を無事に4年で卒業し、
地元での就職を一切検討せずに当然のように東京での就職を決意。
東京ではベンチャー企業で勤めていたので、
周りの大企業に入った友人達が優雅に休日を過ごしているのを横目に見ながら、
いつか社長になるのを夢見て土日も仕事をしていたりしました。

そんな日々の中で休日となったら、
友人たちとどんちゃん騒ぎで飲んで騒いでストレス発散。
そしてまた仕事をする日々。。。
とそんな生活サイクルを繰り返していました。

そのサイクルの中ではベンチャー営業からインフラエンジニアへ転職。
仕事を変えても生活リズムは変わらず。
寧ろ休みが多くなり、金曜日は当たり前に飲み会。
二日酔いで土曜日寝込んでまた夜から飲み会。
そして日曜日は爆睡して月曜日から仕事。。。
と様変わりしない週末を新卒から5年くらい続けていました。
この間に使った週末の飲み会で使ったお金はおそらく少なく見積もっても400万は超えていると思います。それくらい集まって飲むことが好きでした。

やりたいこと迷走期と決断

そんな日々を過ごしている中でエンジニアの仕事は順調。
人間関係も会社からの評価も悪くなく、定時退社も徹底されていて
有給も取りやすい。そんな環境で仕事をしていた私は、
こんなことを考えるようになります。
「こんな安定した環境で仕事するなら、東京にいる意味なくない?」と。
更には毎日飲んでいた友人達が結婚をし始めると、
ますます自分の中に疑問が湧いてきました。
「あれ?俺なんのために東京きたんだっけ?」と。
そして貴重な20代を飲み会だけで過ごすのは勿体無い!と
28歳頃に漸く気づいた私は、とりあえず勉強をしようと決意しました。

そこで週末には自分が社長になるために色々な分野の本を読んだり、
勉強会に出かけたりするようになりました。
怪しいネットワークビジネスや、MLMにも誘われたりしましたが、
それすらも勉強かなーと思い勉強会に参加してみたりもしました。
(謎の師匠や、やたら忙しい先輩を紹介されそうになったら即逃亡してました。)

色々と勉強し、(めちゃくちゃ当たり前の話ですが)行動するしかないじゃん!と
思った私は、「どうせ東京いるならチャレンジでしょ!」と
従業員数400名を超えていた会社を辞め、当時色々と30代の過ごし方の大事さや、
社長として大変さを話をしてくれていた社長さんが経営する
40名ほどの会社へ転職を決意しました。

Uターンを意識し始めたきっかけ

転職してからは初めは人材会社へ出向し、
営業として改めて色々なイロハを学ぶことができました。
そして元の会社へ戻り、
人材紹介事業の立ち上げに挑戦⇨売上上がらず⇨
別事業部にてITヘルプデスクの代行サービスの営業へと異動します。

こんな感じで仕事が変わっていく中でコロナ禍へ突入。
大好きだった飲み会が一切できなくなり、
地元への帰省も気軽にできなくなってしまいました。

コロナ禍に入ってから2年目の冬、その頃は私は長年の夢であった独立をし
新規人材紹介事業の立ち上げに携わっていました。
土日関係なく仕事をしている中で地元へ久しぶりに帰省することになり、
久しぶりの地元で意気揚々としていた私が目にしたのは、
コロナ前では考えられないくらいにシャッター街となっていた街でした。
帰省の度に集まっていたお店や、
学生の頃訪れていたゲームセンターが軒並み
閉店していて貸店舗となっていました。
その光景に強烈な印象を受けた私は直感的に
「自分にできることはないだろうか」と考えるようになりました。

そんな考えを持った矢先、何気なくフェイスブックを見ていると
「浜松市山里生き生き応援隊募集!」とそんな記事が目に飛び込んできました。
そのまま応募ページに飛び、担当地域を見ると引佐町。
まさしく私が生まれ育った町。もはやこれは運命。
そう思い、応募しました。そしてご縁いただき、
今月から山里生き生き応援隊(地域おこし協力隊)として活動を始めました。

東京を離れることへ躊躇

憧れの街東京を離れて再び地元に戻るというのは結構な決断だったと
今になっては思うのですが地域起こし協力隊の募集を見てから、
東京にいる間はそんなことも考えませんでした。
寧ろ「自分の使命はこれだ!」と強烈に思っていました。
今でもUターンしたことは一切後悔していません。
寧ろこれから自分がやりたいと思ったことができる!とワクワクしています。
そしてそう思えるようになったのは間違いなく、
東京でもやもやして色々な勉強に手をつけていたり、夢を叶えようと独立したりと
自分のやりたいように行動した結果そう思えるようになったと思います。

また、東京で知り合った方々へは感謝しかありません。
お調子もんでヘラヘラしている私も受け入れてくださり、
一緒に騒いだり仕事したり。
独立してからは厳しくも愛のある言葉で指導していただける先輩経営者
の方にも囲まれ、本当に充実した日々を過ごすことができました。

地域起こし協力隊って?そしてこれからのこと


さて今私が活動している地域おこし協力隊ですが、
以下のHPをご覧いただくとご理解いただけるかと思います。
(浜松市では山里いきいき応援隊という名前です。)


「都市から山間地域へ移住し、実際にそこに住みながら地域活動をしたり、PR活動して、活動終了後も地域に住む人を増やしていこう」という活動です。
私みたいなUターンを検討している方や、
地方移住に興味がある方がもっと興味を持ったり、
興味がない方にも興味を持っていただくためにいろいろPRしたり、
地域活動の担い手になったりする活動です。
ちなみに現在私が活動している浜松市の引佐町でも活動隊員を募集しているので、もし少しでも興味のある方いたらぜひ
「浜松市 山里いきいき応援隊」と検索して見てみてください。

まだ課題解決!や地域貢献!なんて言える立場にもない。
スタートラインにすら経っていないと思うので、
これからはまずは地域の方と仲良くなって顔を覚えていただく。
一歩一歩焦らずにゆっくりと活動していければと考えています。

これからはこのnoteで活動の発信や、地元の観光地の発信
その他にも以下のブログで活動報告していくので、
ぜひ見ていただけると嬉しいです。

人生一度きり!自分がやりたいことを思い切りましょう!
引佐地域に興味持った方、お気軽に連絡くださいませ〜。

西田

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