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誰にも知られとうない 【5/5】


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「あっ…あっ……あっ……あっ……はあっっ!!!」

  ボディーソープに塗れた手で扱きあげられて、悠也は浴室の床にしたたかに射精した。

 もうかれこれ……1時間はイソヤマに全身を“洗われ”ている。


 イソヤマは嬉々として悠也の全身をボディーソープの泡で覆い、隅々まで“洗い”つくした。

 足の指の一本一本から、脇の下、尻の割れ目、そしてまばらな陰毛に関してはとくに念入りに……10本の指を使って、じっくりと。

 泡にまみれた身体を撫で回されて、敏感に反応する芳雄の様子を、イソヤマは視覚で存分に目で楽しんでいるようだった。

  さんざん芳雄の反応を楽しんだ揚句、ようやくイソヤマは陰茎への本格的な刺激をはじめ……その果てに悠也は本日一回目の射精を許された。

「……うわあ……濃いのん出たなあ?ボク?」

「……あっ……うっ……うっ………あっ……」
 
  射精したばかりの陰茎の包皮を剥きあげられる。

 石鹸でぬめる手のひらで イソヤマはさらに激しい刺激を亀頭に加えはじめた。

  まだ薬が残っているからだろうか?……狭い浴室の中を振り回されているような激しい感覚が悠也を襲った。
 自分が情けなく喘ぐ声が浴室内に反響していた。

「ほんまええ声で鳴くなあ……ボク。ちあきちゃんより、ずっとええ声やで……」

「あうっ……ああっ……あああっ……」

  続けざまに、2回目の射精感が襲ってきた。
 と思うと、もう出していた。
 熱い精液が太腿を濡らす。

  射精したのか、失禁したのかもわからない。

 悠也はぺたり、と床に座り込んだ。
 そのまま、ぐったりと壁にもたれて身体を弛緩させた……見上げると、イソヤマがすっかり元通りに硬くなった自らの陰茎を突き出して立っている。

 泡まみれで、さも満足そうな顔をして。

 2回立て続けに射精したせいか……少し心に余裕が芽生えている。
 そのイソヤマの様が、ユーモラスなものに思えて、思わず吹き出した。
 イソヤマは悠也のその反応に、少し戸惑っているようだった。

「どないしたんや? ……何笑うとんねん。ボク?」

「なあ………聞いてええ……?」

 悠也はイソヤマを見上げた。

「……なんや?」

「……おっさん、何でそんなにお金あるん? ……働いてへんやろ? ……いっつも、アパートにおるやろ? ……なんでそれやのに、おれらにやるような余分なお金があんねん……?」

「……なんや。今日ちゃんと払ろてもらえるか、心配になったんか?」

 イソヤマが得意げに笑う。

「………………」

 イラッとしたが、悠也は何も言わなかった。

「……安心しいな……おっちゃんはな、ちゃんとお金稼いどるんや……これもな、おっちゃんが昔、まじめに頑張ったおかげや……わかるか? ボクみたいな子どもにはわからんやろけど、これはおっちゃんが昔マジメに働いたときの余りぶんを、返してもろとるわけや……」

「ふん」思わず、鼻で笑ってしまった。「セーカツホゴか……」

「せや。その通りや」イソヤマは、まるで悪びれた様子はない。「これは、別に不当なことでもなんでもない。ほんまやで、ボク。この日本は憲法で『健康で文化的な最低限度の生活』を、わしら国民全員に保障しとるんや……そのお金は、誰が稼いでると思う? ……まじめに、コツコツ働いてはる人らや……以前のわしみたいにな……わしがまじめに働いてるときは、どっかで誰かがこんなふうに……わしの知らんとこで、『健康で文化的な最低限度の生活』を送っとったわけや……なあ? 健康で文化的やろ? ……ボクとおっちゃんがやっとることは」

「……ケンコー……ブンカ的……」また、思わず吹き出してしまった。「……そやけどおっちゃん……それやったら、自分が食うだけのぶんしかカネ、入らへんのとちゃうんか?……ちあきに払ってる余計なカネは、どないして稼いどるんや。どないしたら、そんなに稼げるんや?」

「よう聞いてくれた」イソヤマは泡だらけのまま、仁王立ちで腕組みをした。赤黒い陰茎を悠也に向けたまま。「それは、おっちゃんの商売や。実はおっちゃんは昔、ここがちょっと悪うてな」

  イソヤマはそう言いながら自分のこめかみを人差し指でトントンと叩いた。
「………頭?」

「そうや。まあ昔はおっちゃん、ちょっとマジメすぎるとこがあってな。勉強でも仕事でも、なんかイヤイヤでもやりはじめると、イヤでも何でも自分でも勢いが止められへんようになるクセがあったんや。フツウの人間やったら、『ああ、今日はこのへんにしとこ』とか『何でもほどほどにせな』とか、自分で自分を止められるもんやけど……昔のおっちゃんには、それができへんかった。これな、ボク、覚えといたほうがええで。人間、なんでも、ホドホド、っちゅーのが大切なんや……あまそれはそれとして、おっちゃんはそのマジメな性格のせいで、ちょっとここ(とイソヤマはまたこめかみを叩く)に病気した。それで、仕事もできんようになった……それで、貯金も使い果たして、このセーカツホゴの暮らしが始まったんや……ところで、ボク。何笑うとるんや。人が真面目に話したっとんのに、ムカつくのう」

 イソヤマは話を中断して、悠也の身体に手を伸ばした。
 確かに笑ってはいた。

  ふわりと身体が浮いて、上半身を浴槽に突っ込まれる。

 下半身は洗い場に残したままだ。つまり浴槽の渕に腹を掛けて、尻をイソヤマに向けた状態。
 それでもなぜか、クスクス笑いは収まらなかった。

「……なにがおかしいねん……ほれ」

 「あっ……んっ!」

 不意に、肛門に触れられた。
 さすがに笑いは止まる。

 「……ボクが聞くから、せっかく苦労話したってんのに……まあええわ」

 石鹸にぬめる指が肛門の入り口をほぐすように捏ね回す。

「あっ……くっ……んって……いやっ……」

 イソヤマは悠也の敏感な反応に気をよくしたのか、話を再開した。

「……それでや……セーカツホゴを受けてると、いろいろええことがあってな。病院代がタダになるんや……おっちゃんも最初の頃は、病気がまだようなかったから、眠られへんかったり、毎日気分がふさぎこんで、一日中布団の中、っちゅーこともしょっちゅうやった……そやから一応、医者から薬をもらっとったわけやけど……セーカツホゴ受けとると、これがタダになるんや。なあ? ……働く方法のない病人には、有難いこっちゃで……まあ、そやからいちおう薬だけは飲んどった……言うてもな、ボク。実際の頭の病気の真っ最中にあるときは、あんなもんはほんま、気休めにしか過ぎへん。何も一錠飲んだら、すべてがハッピー、バラ色になるわけやあらへん……ほんまに必要なのは、生き方を根本的に改めることや。ほんまに自分が好きなことは何なんか、それをよーーーーく考えて、それに正直に生きることや。そうすれば、悩みから解放される」

「……んっ……あっ……ふっ……んんっ……」

 泡塗れの指で肛門をくすぐられ続けて……
 悠也は自分の呼吸がどんどん乱れていくのを感じていた。

  なんで? ……なんでこんなところをくずぐられただけで?
 ……こんなとこ、単にうんこを出すだけの器官じゃないか?

 自分の頭ではそう理解しているつもりでも、どんどん乱れていく息と鼓動が、悠也を裏切り続ける。

 太腿の間では……いまさっき、2回もたて続けに射精させられた陰茎が……また硬さを取り戻しかけていた。

 ……だめだ……だめだ……振り払おうとすればするほど、その甘美な刺激に頭が痺れていく。

 「あうんっっ!!!」

  にゅるり、とイソヤマの指が肛門に侵入してきた。
  さっきちあきが出していた声よりも、もっと悩ましい声を出してしまったことで悠也の頭がかっと熱くなる。

 「あっ……うっ……は、は……はあっ!!……」

  ずぶぶ、と指が、さらに奥まで侵入してくる。
 丹念にほぐされた悠也の肛門は、イソヤマの野太い指の侵入を容易くゆるした。

 押し返そうとしたが……腰から下に力が入らない。

「……でや、だんだんようなってきたやろ?……こんなとこが気持ちええんは、はじめて知ったやろ?」

 「あう……あ、うっ………はっ……いやっ……」

 イソヤマの指が肛門の中で動き、何かを探している。

 「………何がいやなんや……気持ちええやろ? ……自分の身体に正直にならな……なあ? ボク?」

 ゆうべ、ちあきに言われた言葉が蘇ってくる。

  “……からだは正直やなあ……なあ、お兄ちゃん”

  ……そんな言い草も、ちあきはこの男から学んだのだろう。
 
  悠也は自分の身体だけではなく、自分にまつわるすべての物、自分とこの世界をつなぎとめているはずのすべてのものを、汚され、犯されているように感じた。

 『みじめ』だった……でも、その『みじめ』さを感じれば感じるほど、肛門の中を動き回っている指の動きは身体を痺れさせ、股間でもうすでに硬くなっているものをさらに震わせる。

 と、そのとき、2本目の指がにゅるり、と肛門に滑り込んできた。

「……はああっ………あ、あかんっ……もうあかんっ! ………や、やめてっ!」

「……何があかんのんや。もうこっちはこんなになっとるやないか」

 と、陰茎をからかうように扱かれる。

 「ああんっ………………」

「……世の中にはな、こーんなに簡単なことやのに、自分の幸せやら楽しみを掴まれへん人間が多いんや。そういう奴らは、何か、薬でもポイっと口の中に放り込んだら、それだけであっという間に自分が幸せになれるような薬があったら……と思いながら暮らしとる。……笑わっしょんなあ……そんなもん、たかだか薬ごときで、この厳しい、きつい、つらい世の中を乗り切れるわけあらへん。あんなもんは、気休めや。でも、世の中にはそれが自分をどうにかしてくれるはずや、と期待しとる連中がおる……で、わしはセーカツホゴを受けてるさかいに、タダで、どうどうと……まあ医者に行って、『寝られへん』とか『落ち込んでしゃーない』とか、『誰かに監視されてるような気がする』とか……口からでまかせ並べ立てて、そいつらのための薬をもらってきたるわけや……方々の病院からな。そうすると……ずいぶんな量の薬を手に入れられるやろ?……で、ちょっと色つけた値段で、悩み多いみなさんに、その手の薬をお分けしとるわけや………」

  もぐりこんだ二本の指のうちの長いほう……たぶん、中指だ……が、肛門の奥……ちょうど陰膿の付け根の裏あたりのその部分を探り当てた。

「あんっっっっっ!!!!! ううああっっ!!」
 
  ひときわ高く、大きな声が出た。

  もやは、イソヤマの言葉は断片的にしか頭に入ってこない。

  セーカツホゴ……薬……ずいぶんな量……色をつけた値段……ちあきや自分への執着……もうどうでもよかった。

  はやく、どうにかしてほしくて、悠也は無意識のうちに……さっきのちあきのように……腰をくねらせて、尻を振っていた。

 もう、この男が息をする価値もないクズだということはいやというほどわかっている。

  そんなことは、いちいち説明されなくてもわかりきっている。
  でも、もうどうでもいい。どうにかしてほしい。

  止めてほしいか、といえばそうではなく、もっと強い何かがほしい
 ……全身がそう求めていた。

  もう『みじめ』さは悠也から消えていた。

「……そうそう……ほら、どうにかしてほしいやろ、ボク。どないかされとうて、うずうずしとるんやろ……ほら、どないしてほしいんか、おっちゃんに言うてみ」

「………あっ……はっ……ああっ……」

 もう言葉が出てこない。
 悠也はとりあえず頭を縦に振り続けた。

 「……そうか、そうか」指でその部分を刺激しながら、イソヤマがさも満足そうに頷く。「……もう、言葉にならんくらいに気持ちええか……そやろ、そやろなあ……でも、どないかしてほしいやろ。何をしてほしいんか、自分でもわらかん、言われへんときもあるわな……まあな、子どもやからな……そんなときでも、このイソヤマのおっちゃんが、いつもどないかしたる。ボクもおっちゃんも、貧しい者同士、困ってる者同士やろ……?……世の中はな、助け合いの精神が大切や……わしら貧しい者は、肩寄せ合って、仲良く、助け合って生きていかなあかんねや……そやから、これからは困ったことがあったら何でもおっちゃんに言うておいで。そしたら、おっちゃんが何もかも、あんじょう、ようしたるさかいに……」

「あうっ……あうっ……ああうっ……」

 ほとんど消え入りそうな意識の中で、悠也は途切れ途切れにイソヤマの言葉の断片を耳にしていた。

  貧しい者同士……?
  お互い助け合う……?
 
  大部分を快感に支配されている悠也にも、わずかな理性が残っていて……それらの言葉にはやはり、反感を覚えざるを得なかった。

 ……貧しい者は助け合う?……そんな馬鹿な話はない。

 実際は、貧しい者同士のうちで、弱い者がさらに弱い者を食い物にするだけだろ?……実際、そうじゃないか。

 あんたは他人を、食い物にしてるじゃないか……自分や、ちあきを……そしていずれは卓郎を……そうして、弱い者同士が食いあって、お互いを蝕んでいく。

 それが世の中じゃないか……悠也は痺れる頭の片隅で、そんなことを考えていた。

  しかし、激しくさらなる快感を求める身体は、もうどうにも止めることができなかった。

「……ほら、どないしてほしいんや……もっとぶっといもんで、このあたりをグリグリしてほしいんとちゃうんか……そやろ?ボクの中の肉が、欲しい、欲しい言うて、おっちゃんの指にからみ付いてきとるでえ……」

  イソヤマの指がほとんど出口付近の浅いところまで後退し、その肉をからかった。
  心を押しつぶされそうなほどの切なさと、喪失感が悠也をさいなむ。

 「ううんんっ!!……ううううんっ!!」

 悠也は肩越しにイソヤマの顔を見上げて、首を横に振っていた。

 「……そうか……そうやなあ……もっとぶっといのが欲しいっちゅうこっちゃなあ……」

  するり、と肛門から指が抜かれ、すぐさま入れ替わりで、丸く硬い先端が入り口に押し付けられる。

「ほな……いくで………」

「はうっ……んんっっっ!!!!」

 指以上の圧迫感が押し入ってくる。
 悠也が覚えているのはここまでだった。


 ………。


 気がつくと悠也は、素っ裸のまま浴室の床に立っていた。

  太腿と、足の甲にべっとりと付着した精液は、まだ熱い。
  いつ射精したのかも定かではない。

 いつの間にか、シャワーからぬるい湯が降り注いでいて、欲室内に薄い湯気の靄が掛かっている。

  その水の流れが、おびただしい血を排水溝にせっせと送り込んでいた。

  ……血?
 ……誰かがケガしたのだろうか?

  よく見ると、浴室の床にガラスの破片が散乱していた。
 そして、( )の形で投げ出された、イソヤマのたるんだ脚が見える。
 その根元でしなびている性器がある。
 膨れ上がった腹が見える……

 顔は?……顔はどこに行ったんだろう?

 ……湯気のせいか呆然とした意識のせいか、視界が定まるまで少し時間を要した……まず見えたのは、突き出した唇とそこから溢れる血だった。

 そして、かっと見開いた目。
 その目の中にも血が溜まっている。

  イソヤマの顔は血だるまだった。浴室のガラス戸が割れて、イソヤマの首から上だけがそこから突き出している。
 
 血はまだせっせとイソヤマの首から逃げ出していた。
 ほとんどは浴室内に。

「………お兄ちゃん……?」

 浴室の外から、ちあきの不安そうな声がした。

「とにかく、探せ!! どっかにある……」

  イソヤマの巨体……少なくとも、息をしているようには見えなかった……を踏まないように浴室を出るのは難しかった。

 浴室内の床にはガラスの破片が散乱 していたからだ。
 しかし、よく考えてみると……

 イソヤマの亡骸を踏みつけることに、どんな罪の意識を感じる必要があるのだろう?
 
 悠也は思い切りイソヤマを踏んで、浴室から外に出た。
  足には今もあの、“ぶよっ”と腐った果物を踏み潰すような感覚が残っている。

  しかしそのおかげで、足を傷つけずに済んだ。
 
  卓郎はぼんやりとしていて、夢からまだ覚めていないようだった。

  なんとかちあきに服を着させ、自分も服を着て、二人で部屋中を探し回った。ちあきは普段の落ち着きを取り戻したようだ。

 今は 押入れの中を引っ掻き回す悠也の背後で、衣装ケースをひっくり返している。二人は黙々と部屋を荒らし続けた。

「あかん、お兄ちゃん、ここにはないわ」

「よっしゃ、ほな、台所や」

「うん」

 ぴょん、ぴょん、と跳ねるようにビニールを敷き詰めた床の上を走るちあき。

  床はまだ一部が濡れて、汚れていた。
 その水溜りの上を、ちあきは事もなげに飛び越えた。

  ちあきが台所のシンク下を引っ掻き回す音を背中で聞きながら、悠也は押入れのガラクタをひとつひとつ確認していった。

 それにしても……押入れの中はお ぞましいガラクタだらけだった。
 扇風機やストーブなど、それなりにまともなものもあったが……

 信じられないような数のポ ルノ雑誌の束にDVD、一体、どうやって使うのか想像もつかないようないかがわしい玩具の 数々。

 イソヤマが使用していたものだとわかっているので……特に男性器を模したものは……手を触れるのに怯みそうになったが、そんな場合ではない。
 
  とにかく探し、探しに探した……。

  探していくうちに、イソヤマが撮影したらしい大量のエロ写真も見つかった。

 撮影場所はみんなこの部屋だった。若い女を写したものも、かなり歳のいった女を写したものもある。

 ちあきや自分とたいして変わらない年齢の、少女や少年の 写真もあった。

 ある者は巨大な腹越しに陰茎をくわえたまま撮影者……まあイソヤマだが……を見上げている。

 ある者は、腹の上に乗っかって、カメラを見 下ろしている。

 ある者はさっき見かけた玩具のいずれかで攻められており、ごく一部の者は……それは自分と同じ歳くらいの少年だっ た……その器具を手に取り、逆にイソヤマを攻めていた……嬉々として……思わず、身震いがした。

  いや、しかし今はそんな場合じゃない。

「あった!! お兄ちゃん!!! あったでっ!!!!!」

  ちあきの歓声で我に返った。

  振り向くと台所の板間の上にぺったりと座り込んだちあきが、満面の笑みでくしゃくしゃの札の束を両手で鷲掴み にしていた。

 素足の膝元には、たくさんの薬のタブレットが散らばっている。

「よし、ようやった!!」押入れから顔を出して叫んだ。「なんぼある??」

「いち、にー、さん、しー……」ちあきが札を銀行員のモノマネのような手つきで数える。「すごい!!ぜんぶで、えーっと……35万もある!!!」

「兄ちゃん……」部屋の隅から、出し抜けに卓郎が言った。「……もう、帰ろや。眠いわ」

「……タク、もうちょっとしんぼうしい!!!」ちあきが厳しい声で言う。「……お兄ちゃん、押入れは??」

 「……今んとこ何もない……けど、ちあき、そこの薬も一緒にもらってくぞ!!」

「え、お兄ちゃん、薬なんかどないすんの??」

「売れるかもしれへん!!! ……それが、カネになるんや!!」

「……どないやって売るん、こんなん……うちらが……それはムリやわ」

 ちあきが力なく笑う。

「それに、ドロボーやで、それ」卓郎が正論を挟んだ。「ドロボーはあかん、て、おかんが言うてたで」

「タク!」

 悠也は押入れから飛び出した……勢いで、ビニールの上の水溜りに滑った。
 
  卓郎が笑う。ちあきも笑った。
  しかし悠也は身を起こすと、卓郎の目をじっと見てから笑いを鎮めた。

「……ええか、タク。確かにいま、おれらがやってることはドロボウや。」 一言一言を、はっきり自分にも聞き取れるよう、声に出してみる。「でも、生きるためには、仕方のないことや。おれらは、生きていかなあかん。誰の助け も借 りずに、おれら兄弟3人だけで……それは、並大抵なことやない。誰も守ってくれへんねんやったら、自分らだけで生きてくしかない」

「でも、これまでも……おれら3人でやってきたやん」

 タクがあくびをしながら言う。

「タク……」

 一瞬、ちあきの方を見た。冷たい目だった。
 何らかのサインを、送っている。

  “どうせ、タクにはわからへん”と言っているようでも“もう、放っとこうや”と 言っているようだった。

  あるいは、“もう、ここに残していこか?”と言ってるようでも、“もう、この子も殺してまお か?”と言っているようでもあった。

 いや、何だってあり得る。こんな夜だ。
 誰が何を言い出しても不思議ではない。

  しかし、悠也は言葉を続けた……ほとんど自分のために。

「ただ生きていくだけやのうて、どうせ生きていくんやったら、タクかて豊かに生きてくほうがええやろ? …… な、タク。そやろ? ……コンビニの残りと、ケンタッキー、どっちがええねん?  生きていくために食べるんやったら、どっちがええねん??」

「………」卓郎が下を向く。「…………ケンタッキー」

「そやろ、そやから………」

「きゃあああっっ!!!」

 台所にいたちあきが、突然大きな叫び声を上げた。

 「おっちゃん……」

 卓郎がぽかん、と口を開けて呟く。
 卓郎は明らかに、悠也の背後を見ている。

  恐る恐る振り返ると……
 一番恐れていたものが恐ろしい想像どおりの姿で立っていた。

 イソヤマだった。
  上半身全体が、血に塗れている。
 全裸のままだ。
 
 全身に固まった血は赤黒く変色しており、新たに流れ出した血は床に新たな血だまりを作っていた。

  悠也は悲鳴も上げられなかった……。
 卓郎と同じように、ポカンと口を開けたまま、2本の足で立っているイソヤマの姿を成すすべもなく見つめていた。

 イ ソヤ マの血まみれの尻の向こうでは、ちあきがシンクの下に背中をぴったりつけてのけぞっている。
 ちあきは目をこれ以上ないくらい見開いていた。
 
 イソヤマは何も言わず、何もせず、そのままずっと立っていた。

  誰もが、瞬きひとつしなかった。
  部屋は絵画のように静止していた。

 やがて……イソヤマはゆっくり、ゆっくりときびすを返し……ちあきが、「ひっ」と短い悲鳴を上げた……のその そと歩き始めた。

 その様はゾンビそのものだった。
 ぺっ……たっ……ぺっ……った……っと いう足音は、まさに怪談そのものだ。

 イソヤマは台所にいたちあきのことに目もくれなかった。
 ガチャリと玄関ドアを開けると、裸足、全 裸、血だるまのまま……部屋を出て行った。

 そのまま、悠也、ちあき、卓郎の3人は、写真のように固まり続けた。

 沈黙を破ったのは、卓郎のあくびだ。

「……どうすんの……」ちあきが震える声で言った。「……うちら、どうなるん?……」

「…………」

 悠也は答えなかった。

 「……逃げる?」

「………いや……」悠也は首を横に振る。「……もう……ええやろ」

「どないなんの……うちら」

「……大人がどないかしてくれる」悠也は答えた。せいいっぱいの冗談を言ったつもりだ。「大人が…………なんかあんじょう、うまいことしてくれるはずや……」

「……もう、帰って寝ようや、兄ちゃん」

  卓郎が、大きなあくびをする。

 と同時に、外からイソヤマの姿を見かけたであろう誰かの、マヌケな悲鳴が聞こえてきた。

(了)


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