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終 電 ガ ー ル 【1/7】

 気が付けば桐東さんも、野尻も藤岡も、すっかり逃げてしまっていて、影も形もない。

「大丈夫ですか……? お嬢さん」

 駅員が紳士的に声を掛ける。

 柴田満はホームの汚い地面にぺたんと座り込んでいた。
 満の白い太股が露わになっている。

 おそらく50代と思われるその紳士的な駅員が、なるだけ太股から視線を逸らそうとしていることは満にも判った。

 満もいたたまれなさそうな駅員が気の毒に なって、立ち上がり、セーラー服の紺色スカートを直す。

 と、内股に精液が一滴、筋を伝って流れた。

 駅員はこのことも見なかったことにしてくれたようだ。
 スカートがひどく何かで汚れていることも含めて。

 しかし、どこまで紳士的な駅員なんだろう。
 駅員は自分のポケットからアイロンの掛かった綺麗な白いハンカチを、黙って満に差し出した。
 思わず満もそれを受け取る。

「ありがとう…」

 わざとか細い声で言う。

「返さなくていいから」

 駅員は満から目を逸らせて言った。

 受け取ったハンカチで、内股を拭う。
 駅員の言葉に甘えて、ハンカチはポケットに入れた。

「もう終電行っちゃったよ。大丈夫?」

 駅員が柔和な笑みを浮かべて言う。かなり無理をしているが。

「はい……」小さな声で呟くように満は答えた。「親に連絡しますから」

「そうか、なら大丈夫だな」

 駅員にはそれがウソだということは、お見通しだったのかも知れない。

 紺色のカラーがついた白いセーラー服に、少し長めの前髪をピンで留めた満。その傍らに立つ駅員。

 ホームにはもうほかに人影はなく、どこまでも静かだった。

「これからは、気をつけた方がいいよ。大きな声を出すとか、同じ車両に乗らないとか」
「は…………い…………」

 満は戸惑って答えた。
 やはりこの駅員はまだ真相を掴めていないのか。

 そのことで、少しホッとした。
 まあ、理解できる訳もない。

 満自身もことの次第を一から話してみろ、といわれれば困るに違いない。

 満はここ数ヶ月間、自分が身を置いてきたあまりに異常で奇怪な状況のことを思った。

 誰にもそれは理解できない。
 それを理解できないことは、その人間がまともな人間であることの証にさえなりそうだ。

 そう思うと、つくづく空 しさが募った。

 14年生きてきたけども、こんなに空しい気分になったのははじめてのことだ。

「じゃあ、そろそろ、ホーム閉めるから……」

 駅員は言った。

「……はい、ありがとうございました。親に電話します。」

 満は駅員に深々と頭を下げると、背を向ける。

 5、6歩ほど改札に続く階段に向かって歩いた時、後ろから駅員が声を掛けた。

「……なあ、君」

 振り返る。
 駅員は、何か少し悲しそうな顔をしていた。

「……はい?」

「大きなお世話かも知れないけど……誰かに相談した方がいいんじゃないか?」

 沈黙。

 しばらく、満には駅員が言った言葉の意味が分からなかった。
 しかし、駅員のその悲しそうな表情を見ているうちに、満は理解した。

 そして駅員の優しさと、深い慈愛に、涙が出そうになる。

「はい……そうします」

 満はほとんど聞き取ることができないくらいの小さな声で呟く。
 駅員がさよならを言う代わりに微笑む。満も微笑んで、そのまま階段を上った。

 改札を出て、駅前の広場に出る。

 “誰かに相談したら”、か。
 満は心の中で呟いた。
 
 多分あの大ベテランらしい駅員は、その職場での長い、長い経験から得たもののうちで、一番ふさわしい言葉を、満に投げかけてくれたのだろう。

 やはり、彼には全てがお見通しだったに違いない。
 彼の信じられないほど長く、退屈な経験の中には、ひょっとすると自分と同じような人間 が、一人や二人は居たのかも知れない。

 だから彼は、このあまりにも異様としかない状況を見透かし、その上、自分に優しい言葉まで掛けてくれた。

 さっき満は、“そうします”と答えたものの、それがウソであることは自分でもわかっている。

 あのようないい人に、そんなその場しのぎのウソをついた自分は、ますます汚れて醜い存在のように思えて仕方がなかった。
 
 駅前のタクシー乗り場は、終電を逃したか、眠りこけてここまで来てしまったかどちらかの、サラリーマンやOLたちで溢れていた。

 今日は金曜の夜。
 近づき はしなかったが、多分みんな酒臭いことだろう。

 日本では1年に2万人以上の自殺者が出ているという。
 そのおかげで最近、満が利用してる電車も良く止まったり遅れたりする。

 日割りに すると1日85人。
 どうも信じられない。

 こんなにも沢山の人が終電を逃すまで酔っぱらっているというのに、不思議な話だ。
 
 桐東さんは今夜ちゃんと家に帰ることができただろうか。
 あのセーラー服のまま、タクシーに飛び乗ったのだろうか。

 そう思うと少し滑稽だった。
 もう会うこ ともないかも知れない。
 もしくは来週、またひょっこり自分の前に現れるかも知れない。

 もはや、どっちでもいい。

 桐東さんに相談してみても、ろくな回答は得られないだろうな、と満は思った。
 
 まあ常識的に考えて、このままの格好で家に帰る訳にはいかないだろう。

 スカートとショーツは、精液でベトベトに汚れているし、いくら闇夜とは言え、紺のスカートに白く乾いた精液は目立ち過ぎる。

 満はそのまま、リュックに入れた着替えとともに、いつも利用している駅前の公衆便所へ向かう。満はその公衆便所の多機能トイレを愛用していた。

 広いし、荷物を汚さずに置ける場所もたくさんある。

 トイレに入り、カギを掛ける。
 こんな時間にこのトイレを利用しなければならない人は、まず存在しないだろう。
 
 スカートを脱いだ。

 思ったとおり、スカートの前と尻に精液がべったりとこびりついている。  
 クリーニングに出さないといけない。
 布地を裏返すと、内側にもした たかに飛び散った飛沫の後が見えた。

 履いている女もののショーツは、さらにべちょべちょに濡れている。

 先ほど駅員からもらったハンカチを水道の水で濡らすと、内股にこびり付いた精液をふき取る。
 このハンカチは捨てるしかない。
 駅員もそう言っていたし、こ んなハンカチを返してもらっては彼も困るだろう。

 ショーツを脱ぐ。
 したたかに精液を吸い込んだそれは、ねばつく汚物そのものだった。

 これも捨てないといけないな。
 桐東さんから借りたものだが、彼女もそれくらいは許してくれるだろう。

 第一、もう会わないかもしれないのだから。

 さらにハンカチを絞り、満は自分の下半身にこびりついた精液を拭った。

 そして、すっかり力を失い、萎んでいる自分の性器も。

 スカートの前を汚したのは藤岡、後を汚したのは野尻だろう。
 しかしショーツとスカートの内側を汚したのは、満自身の精液だ。
 あの駅員の目の前で太股に伝った精液の滴も、明らかに満自身のものだった。
 
 学生ズボンを履いて、半袖シャツを着て、前髪を留めたピンを外す。
 トイレの個室から出て、本来の姿に戻った自分を、手洗い場の鏡で見た。

 そうすると突然、いつものように……あらためて空しさと罪悪感が襲ってくる。

 ふと、満は自分の左の首筋になにか、虫に噛まれたような跡があることに気づいた。
 鏡に近づいて目を凝らす。
 直径1センチほどの、丸く赤い 跡。

 それが桐東さんが満に残したキスマークであることに気づくのに、1分ほど掛かった。


 まず、満がいかにしてその愉しみへたどり着いたのか、順を追って話そう。

 満がそのことの愉しみを知ったのは、小学校6年生の冬のことだった。

 満には二人の姉がいる。
 一番上の姉は満と8つ違い。2番目の姉とは6つ歳が違う。

 満の父は、満がまだ小さいときに、ガンで亡くなった。
 そんな訳で満は、女性ばかりの家で大きくなった。

 美しい姉たちに似て、満も美しく健康に育った。
 面長に切れ長な瞳、華奢な体つきと白い肌は、姉たちと同じく母から譲り受けたものだ。

 小学校時代の6年の秋までは問題なく、男子の友達の中でのびのびと成長した。

 しかし、声変わりがはじまり、陰部に薄く体毛を帯びるようになった頃から、満は自分の肉体に違和感を感じ始める。

 精通を経験したのは、この頃だった。

 どんな夢で夢精をしたのか、満ははっきりと覚えている。
 
 夢の中で満は、全裸に剥かれ、数本の“手”に取り囲まれていた。
 怯える満に、容赦なく“手”が襲いかかった。

 “手”たちは満の四肢を押さえつけると、満の体中をいやらしく愛撫し始めた。
 夢の中ながら、そのカサカサで冷たい手の感触は今でもリアルに思い出すことが出来る。

 うなじを這い、乳首を嬲り、臍をなぜ、陰茎をやわやわと揉み上げる“手”たち。

 激しく、延々と続くその責め苦の果てに、満は生まれて初めて果てた。

 自分の躰が壊れてしまうのではないかと思うくらい、その律動は激しく、暴力的なまでに甘美だった。

 目を覚まして自分のパンツが大量の白い液体で濡れていることに気づいたとき、満はどうしようもない罪悪感と自己嫌悪に見舞われた。
 
 小学校のクラスの友達は、夏休みが終わった頃から、突然自分の“男”としての肉体変化を認識しはじめる。

 満の周囲でもしきりにセックスの事が話題になった。

 友達が幼い猥談に興じている中、満は不思議な違和感を感じている自分に気づいた。

 友達が主張するように、確かに自分の中でもそうした性への関心と興味が高まってきたことは事実だ。
 それは先日経験した夢精が物語っている。

 しかし、満は他の友達のように、女性への関心を持つことが出来なかった。
 
 友達がしきりに猥談のネタとする女性への性的な攻撃に関する話題の中で、満もまた他の友達と同じように気恥ずかしさと劣情を感じることはあった。

 その劣情が明らかに他の友達が感じているものと異質であることは、満も幼いながらに理解していた。

 満が欲情するのは、激しく性的に責め立てる男性の立場に自分を置き換えたときではなく、激しく責められる女性を自分と同一視した時だった。

 この感覚は友達には理解できないだろうな、ということは満も充分承知していた。

 やはて満も人並みに自慰を覚え、毎夜のように繰り返した。
 そんな時いつも夢想するのは、カサカサした手に弄ばれている自分の裸身だった。
 
 ある日、満はたった一人で家に居た。

 母も、姉たちも留守だった。

 しんと静まり返った家の中で、満は正体のわからない胸騒ぎを覚えていた。

 静かに自分の部屋を出て、誰も居ない家の中を歩き、2番目の姉の部屋に忍び込む。

 ショウケースを開けた…姉の衣類が沢山掛けられている中に、クリーニングのビニール袋を被ったまま、姉の高校時代の制服が掛けてあるのを見つける。

 満はずっと、その紺のカラーのついた白いセーラー服と、スカートがそこにあることを知っていた。

 家には誰もおらず、暫く帰ってこないことはわかっている。
 そして今、自分の手には姉のセーラー服がある。

 今を逃す手は無かった。
 
 満はパンツ一枚になり、姉のセーラー服を着た。

 満は自分が、高校時代の姉よりずっと華奢な体つきをしていることに気づいた。
 セーラー服が少し大きめだったからだ。

 鏡の前に立ち、じっくりと自分の姿を見つめる。

 驚いた。

 鏡の中に立っているのは、色白の、切れ長な目をした、まさに「凛とした」という表現が相応しい美少女。

 すこし長目の前髪を横に分け、同じく姉の化粧台からくすねたヘアピンで留めてみる。

 完璧だった。
 どこからどう見ても男子には見えず、少女にしか見えない。

 満はそのまま姉の部屋から自分が侵入した痕跡を消し、自分の部屋に戻った。

 何年もほったらかしになっていた中学時代の制服が無くなったことなどに、姉が気づく訳がない。

 満は自分の部屋に戻ると、また姿見の前に立ち、自分の可憐さに見とれた。

 見ているうちに、下半身に血液が集まってきた。
 漲る力がボクサーショーツの布を持ち上げ、紺色のスカートにくっきり形をつける。

 満の鼻息が荒くなった。見ると、鏡の中の少女の頬が紅潮している。
 胸がドキンドキンと激しく脈打つ。

 満はスカートの上から、その突起を優しく撫でてみた。

 すると、全身に雷が走るような衝撃を覚えた。
 毎夜の自慰で感じるものとは決定的に違う、激しい快感が満の躰を貫く。
 
「……あっ……」

 溜まらず満は、スカートの中に手を入れる。

 ボクサーショーツの中では、快楽の放出を覚えたばかりの性器が、いつにない勢いで激しく硬直していた。

 先端は既に粘液を溢れさせ、ブリーフの布地を湿らせている

 このままではスカートを汚してしまいそうなので、満はスカートを脱ぎ、ついでにボクサーショーツも脱いだ。

 鏡の中に、下半身を剥かれた少女が立っている。

 その股間には、うすい翳りと、滑りを帯び、固く突き上がった性器があった。

 不思議な光景だった。

 満には、今、顔と顔を合わせている鏡の中の少女が、まるで他人のように思えた。

「……ん……っつ」

 陰茎の包皮を剥き上げる。
 鏡の中の少女の躰が、びくん、と震えた。

 そして、陰茎を右手でしっかりと掴み、乱暴に擦り上げる。
 少女の腰がくねり、既に紅潮していた顔がますます赤くなり、うすい胸板が大きく息づく。

「……あっ……はっ……うっ……」
 
 ひとりでに声が出る。
 少女のような喘ぎ声だった。

 ますます高まってくる肉棒の疼きに対して、満はさらに激しく手を動かす。満の躰は大きくのけぞり、つま先だけで床に立っていた。

 時々、鏡の中の自分を見やる。今にも絶頂に追いつめられそうな、少女の痴態がそこにある。

「……うっ……くっ……はっ……あ、あ、あ……………………あっ!」

 思わず出た、ひときわ大きな声と共に、全身を揺るがす射精感が襲ってくる。

 やけに濃厚な精液が勢いよく飛び出し、鏡にぶつかった。
 満はそのまま、鏡の下にへなへなとへたり込む。
 
 荒い息をしながら、鏡を見た。

 鏡の中には呆然として肩で息をする少女の姿がある。
 そのちょうど顔の当たりに、精液がぶつかっていた。

 濃い精液はゆっくりと、鏡の表面を伝い落ちていく。
 
 ひとときの虚脱の中、罪悪感や後悔は一旦頭の隅に押しやられる。
 その時満は確かに、何かが確実に終わり、別の何かが始まったのを感じた。

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