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#オリンピック 1日目 #TOKYO2020 が浮き彫りにした社会課題とアスリートが示した希望

2020年3月に僕は「#スポーツを再発見しよう」というイベントを開催しました。

このイベントはスポーツの価値であったり、アスリートの価値を考える機会を、スポーツのイベントが軒並み中断している2020年3月だからこそきちんと考えたいと思って実施したイベントでした。

このイベントで印象に残っているのは、当時FIFAマスターというMBAプログラムを受講中に帰国を余儀なくされた内田さんが語った「日常生活あってのスポーツ」という言葉です。日常生活がままならなければ、スポーツも、映画も、演劇といったエンターテインメントも心から楽しめない。それを痛感した1年でした。

そして、このイベント終了後にオリンピックの延期が発表されました。このときは無観客で開催することになるとは思ってませんでしたが。

スポーツの価値を考えつづけて見えてきたシステムの問題

このイベントをきっかけに、2020年はスポーツの価値、アスリートの価値を考える機会を作り、積極的にサポートしていきました。

こうした機会を通じてスポーツの価値、アスリートの価値を深く考えるほど、課題も浮かびあがってきました。

僕が課題だと感じたことは2つあります。

スポーツの課題は政治や経済や社会の問題を解決しないといけない

1つ目は、多くの人にとってスポーツはあくまでスポーツの話であるけど、スポーツの課題を解決するためには政治や経済や社会の問題を解決しないといけないということが理解されていない、ということです。

この課題はオリンピックをめぐる様々な課題を通じて浮き彫りになりました。スタジアム、ロゴ、開会式の演出、開催の是非、無観客での開催などなど、様々な課題を通じて、IOCという組織の問題、オリンピック組織委員会の問題、そして日本という国のシステムの問題がいみじくも浮き彫りになりました。

そして、これまで議論されてこなかった問題がオリンピックを通じて浮き彫りになり、多くの人の意見が聞かれるようになったことを、僕はプラスに捉えています。友人や知人や会社の同僚でもオリンピックというテーマに関してはこんなに意見が違うのだということも分かりました。

僕自身は1980年代以降に産まれた世代が、社会を構成する様々なシステムに課題が生じているにも関わらず、社会の事を考えるより自分の楽しみを優先してしまったツケを払っているのかもしれないな、とも思いました。これはONE FIELDの活動を通じて官公庁をサポートしている人の意見を聞いたときにも感じたことです。

隠れたアンチスポーツファンの多さ

2つ目は、隠れていたアンチスポーツファンの多さです。僕は普段からスポーツに興味がない人が多い会社に勤務しているので、スポーツファン以外はスポーツに対する関心が低いことは理解しているつもりですし、オリンピックに関しては、結構イラッとすることを平気で言われたりします。ただ、スポーツに関する仕事をしている人や、スポーツファンにとって、オリンピックを通じていかにスポーツに対する目が本当は冷たかったのか実感したのではないかと思います。

スポーツを嫌いにさせる人を増やしているのではとすら思える体育の授業、中学以降は競争するスポーツしか楽しむ場がないこと、高圧的な物言いをする指導者など、日本のスポーツを取り巻く環境やシステムの問題も浮き彫りになりました。これまで陽があたってこなかった問題が、いかに多くのアンチスポーツファンを作っていたのかも明らかになりました。

開会式が示したアスリートへの敬意と小さな希望

こうした2点の課題は、1年延期したからといって解決する問題ではありませんでした。なぜならスポーツの問題ではなく、政治や社会や経済の問題でもあるからです。

日本という国を長年牽引してきたシステムや価値観が機能不全を起こしていることを、オリンピックは多くの人々に突きつけました。突きつけられた人々の反応は様々でしたが、変革が求められている状況を踏まえ、これからアクションを起こす人がどれだけいるか、冷静に見定めたいと思います。なぜなら、アクションを起こす人の行動は目立たないからです。

オリンピックの運営に関わる1年延期することによる様々な調整、降り掛かってくる問題に対応していくだけで精一杯。新しい取り組みを披露する、ということができる状況ではなかったと想像します。

オリンピックの開催にあたっては、IOCが定めた細かいルールが存在します。こうしたルールは無数の関係者が関わるオリンピックの進行を楽にする一方で、ルールに書かれていること以外に柔軟にすべき対応を妨げた可能性が高く、延期になったことでルール以外の対応が増えたことで、調整工数が増えたであろうことも想像できます。この規模になると、調整だけであっという間に時間が過ぎていきます。

開会式の演出については、あれが精一杯だったのではないかと思います。元々使える予算を削減しようと始まった大会で、1年延期となり、開催フォーマットも日々変わり、演出も最後の最後まで決まらない中で、なんとか調整した結果だと感じました。高揚感が過去の大会に比べて足りないと感じるのだとすれば、それは無観客ゆえです。

タップダンサーの熊谷和徳さん、が~まるちょばのHIROPONさん、ピアニストの上原ひろみさんといった海外で活躍しているクリエイターの参加、ピクトグラムのようにオリンピックでは日本が発明したとも言える手法の紹介、選手入場にゲーム音楽を使ったことも好感が持てましたが、何より困難な状況に向き合うアスリートに寄り添うことを一貫して伝えようとしていた姿勢は、この大会を何のためにやるのか、という問いに対する答えの示し方として、悪くない回答だと思います。

僕は大坂なおみさんが聖火ランナーの最終走者を務めたこと、八村塁が旗手を務めたことに少しだけ希望を見出しています。 2人とも多くの収入を得ているアスリートで、収入だけのことを考えたらオリンピックに参加する必要がないアスリートです。しかし2人は東京で開催するオリンピックに対して、継続して参加の意志を表明し続けてきたアスリートでもあります。

2人にとっては、東京オリンピックは自らの存在を日本の多くの人々に対して知ってもらい、理解してもらうための大会なのだと思います。2人のオリンピックに臨む姿勢は、今回のオリンピックにおける数少ない希望でもありますし、従来の日本の価値観を変える力を持っている2人でもあります。そこに僕は希望を見出しています。

何のためのオリンピックなのか

冒頭で紹介した「#スポーツを再発見しよう」というイベントに参加してくれたフェンシング選手の西藤俊哉選手は、イベント終了直後にオリンピックが延期になったというニュースを聞いてこう話してくれました。

1年後にもっと強くなった姿を披露します!

オリンピックは準備期間中に「何のためのオリンピックなのか」「誰のためのオリンピックなのか」「スポーツとは」といった問いを突きつけました。たぶん終了後も答えは出ないし、議論は続くし、簡単には収束しないと思います。でも、それでよい気がします。これまで目を背けてきたことにどれだけ取り組む人がいるのか、それとも口だけなのか。

変わるもの、変わらないもの。本当に価値があることは何か。このオリンピックを通じて見極めたい。そう思います。

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