映画『母性』を見ました

Noteをご覧のみなさま、こんにちは。

ライターの仁科友里と申します。今回、ワーナー・ブラザーズさんに映画「母性」の試写会にお招きいただきました。湊かなえ先生原作で累計発行部数120万部数を突破したベストセラーの映画化、主演は戸田恵梨香さん、永野芽郁さんということで、期待が高まります。


一人の女子高生が、自宅の庭で首を吊って亡くなった。自殺か他殺か、それとも事故か。女子高生の母の言う「愛能う限り、大切に育ててきた」という発言は真実かそれともー。謎ときが始まります。

本当は怖い? ”母性”はオンナを苦しめる

母性と言えば、「母なるもの」を神聖視する国ほど少子化が進むと聞いたことがあります。少子化の原因は、一般的には女性の高学歴化、社会進出や長時間労働が原因とされていますが、イタリアやスペインのように聖母マリアを信仰する人が多いとされる国では、「自分はいい母親になれない」「仕事と母親業の両立ができない」と出産をあきらめてしまう人が少なくないのだそうです。


「母なるもの」は、実は婚活の成否をも大きく左右することをご存じでしょうか。私は「間違いだらけの婚活にサヨナラ」(主婦と生活社)という婚活本を書いた関係で、婚活中の女性とお話をする機会が多々あるのですが、「母親との関係」は婚活に大きな影響を与えていると感じることはよくあります。母親ととても仲が良い、もしくは母親との関係に悩んでいるとか大嫌いな人の婚活は難航してしまうのです。


お母さんと仲良くして何が悪い!と思う人も多いことでしょう。確かに親子の仲が良いのはいいことです。しかし、度を越して母娘の仲が密な場合、男性の立ち入る隙がなく、お母さん、娘、彼氏という三角関係に陥ってしまうのです。二つの椅子をめぐって椅子取りゲームをした場合、母と娘は長年のつきあいで培われた阿吽の呼吸があるため、どうしても他人である男性がはじきとばされてしまうのです。


反対に毒親に育てられた人もよろしくない。親との関係がしっくりいっていない人ほど、恋人や配偶者に多くの物を求めてしまうことは心理学で証明されています。自分では「このくらい・・・」と思っていることが、男性にとっては「重い・・・」と感じられて、別れの遠因となってしまうのです。母と娘は仲良しすぎず、かといって仲が悪くもない状態がベストと言えるでしょう。

映画「母性」の母娘は、ここがヤバい

それでは、映画「母性」の登場人物たちは、どんな母娘関係なのかを見て参りましょう。

主人公ルミ子(戸田恵梨香)と実母(大地真央)は、絵にかいたような“仲良し母娘”ですが、ルミ子が母親に支配されている感はありません。精神的な距離が近すぎる母娘の場合、母は「こういうオトコと結婚しろ」と年収などの社会的な条件を娘に通達し、娘もその条件に沿った人をひたすら探すということがありますが、この母娘にはそういう重さもない。

ただし気になるのは、この母娘が常に「二人っきり」なことのです。実父は他界し、物理的に二人家族となったようですが、ルミ子には特に友達もいないようで、基本母親と一緒にいる。ルミ子は母親という太陽だけを見つめて咲く向日葵のようです。

ついでに申しますと、この映画にはルミ子の夫など男性の登場人物はいるものの、存在感がまるでないのです。それでは、オトコのいない世界で母と娘は何をしているのか。私にはひたすら“理由”を探しているように見えました。

祖母、母、娘がよく似ていると思うワケ

ルミ子は子どもの頃から常に「母に褒めてもらいたい」と願っていますし、周りの大人に気に入られることを目標としています。横暴な姑に文句ひとつ言わずに仕えているのは、居候している身分ということもあるでしょうが、嫌われたくない、お姑さんにも認められたいと願っているからでしょう。その根底にあるのは、人に好かれる自分でなければ無価値だという信念ではないでしょうか。


ルミ子の娘・清佳(永野芽郁)も愛を求めています。どうすれば、母親に愛してもらえるのか。考えた結果、清佳が見つけた答えは「愛されるためには、正しいことをしなくてはならない」でした。


しかし、愛する母親をかばった結果、お祖母ちゃんに疎まれ、母親に怒られてしまいます。学校でも正論を振りかざして、却って友達を傷つけてしまいます。けれど、ルミ子も清佳も「愛されるためには、ノルマを達成しなくてはいけない」と信じて疑いません。


娘たちは、母親の愛を勝ち得るために必死なわけですが、愛を与える側、ルミ子の母もまた“理由”や“意味”に縛られているように見えてなりません。初めて妊娠におびえるルミ子に対し、母親はルミ子を生んだことで、自分の存在に意味があると感じられたというような意味の言葉をかけるシーンがありましたが、これは逆に言えば子どもを生んだという“証拠”がなければ、自分という存在を認められないと言っているのと同義ではないでしょうか。


心理学では、恋愛や結婚は育った家庭の焼き直しと考えられています。ですから、円満な家庭で育った人は自分の子どもにも同じように愛を注げますが、機能不全家庭に育った子どもは、親のようになるまいと誓ったのに、なぜか子どもを虐待してしまうということが起こりえます。


この原理原則で言うのなら、母親に愛されて育ったルミ子は娘である清佳に愛情をふんだんに注げるはず。しかし、なぜかそれがなされなかったのは、実はルミ子も本当の意味で愛されていなかったからではないでしょうか。


なぜオトコたちは、まるで存在感がないのか。

自己肯定感という言葉があります。かなり流行っている言葉なので、お聞きになったことがある方も多いと思いますが、これは学歴や年収など社会的なブランドがなくても、私は私、これでいいんだと自分にOKを出せることを指します。ルミ子、清佳、そしてルミ子の母のように、常に証拠を集める人は実は自己肯定感が高いとは言えないのです。

誰かにとって価値のある女性であることを証明しなければ、一人前の人間として認めないというのは、この国の女性が少女の頃から、手を変え品を変え刷り込まれてきた呪いだと私は思います。

価値のある女性の最高峰にいるのが母であり、女性は母性により、子どものためなら何でもできる完璧で完全な存在に変化すると信じている人は多いのではないでしょうか。もしそうなら、これは母親にとって、新たな抑圧の出現を意味するでしょう。

なぜなら、世間サマにほめられるような子どもを証拠品として育て上げなければ、自分の母性が疑われてしまうからです。母性が女性だけにかけられる抑圧だと仮定すると、オトコたちがやけに存在感がなく、寡黙なのも納得が行くのです。彼らは男性ゆえに「完璧な存在たれ」「誰かの役に立て」という意味の“母性”を問われませんから、蚊帳の外にいられるわけです。

本作は、女性への予言である。

こうやって考えていくと、本作は実は母性の欠如ではなく、自己肯定感の欠如の世代間連鎖を描いたものと言えるのではないでしょうか。


ここ数年、女性誌を中心に自己肯定感ブームが巻き起こり、どうにかして自己肯定感を得ようと猫も杓子も必死ですが、湊先生は本作を世に送り出した2013年にすでにこんな時代が来ることをご存じだったのかもしれません。そう、本作は「あなたもこうなるかもしれない」という女性のための「予言の書」なのです。


ヤバいくらい可憐で聖なる母親の大地真央、自分の気分でヒステリーを起こし、家庭を支配する義母役の高畑淳子など、映像化ならではの魅力もふんだんにつまっています。お母さん大好きで離れられないとか、反対にお母さんが大嫌いという方、ぜひ劇場に足を運んでご覧いただきたいと思います。

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