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横尾渉を選択した私の末路(中)

 舞台『〇〇な人の末路』で、横尾渉さんにはじめてのファンレターを宛てる私と、観劇後の話。

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 舞台に関する重大なネタバレは含みません。ただし、パンフレットで記載されている程度のストーリー解説は出てきます。ご注意ください。


 東京・グローブ座、2月22日。マチソワで月・海両sideを見た。

 舞台中に回収される伏線はもちろん、月・海両sideを見て初めて分かる発見や驚き。舞台中、「え!」と叫びだしたくなる展開の数々。全てが見えているストーリーテラーがいて、それぞれの兄弟の物語は進む。今期最高のエンターテイメント、劇場どこでも、4DXアトラクション。「舞台」って、こういうものだ。

 おそらくKis-My-Ft2の4人の特性をものすごく理解したうえで、西条さんはこの舞台を作っている。演出・脚本を務めた西条みつとしさんの手腕に舌を巻くほかない。月・海両sideとも、敏幸・陽差志の物語であることには変わりないのに、それぞれが演じる敏幸・陽差志には、あまりにもその本人が反映されているのだ。

 横尾渉さん・千賀くん兄弟の「選択」と、宮田くん・二階堂くん兄弟の「選択」はどちらも敏幸・陽差志の「選択」だ。でも、4人のお芝居によって…いや、横尾渉・千賀健永・宮田俊哉・二階堂高嗣の4人がこれまで歩んできた人生によって、「この敏幸・陽差志は、この選択をするために、これまでの人生で選択をしてきたんだろうな」、と思わされてしまうのだ。

 どちらの末路にも救いはある。考えて考えて、真剣に決断をしたのであれば、どちらの選択をしたって間違いではない。口にするのは簡単だけれど、「演劇」というかたちで目の前に全く違う人生の末路が示されてしまうから、この舞台は衝撃的なのだ。


 舞台を見た私は、「やはりファンレターを書かないといけない」と強く思った。

 2月23日、ファンレターの執筆は開場後、グローブ座のアンケートを書くテーブルで行われた。

 本来、私は開演前ギリギリにファンレターを書くことをよしとしない。急いで書いた内容は、本来伝えたいことと違う風に伝わるかもしれない。あんなに考えても納得のいく17文字すら出せなかった私が、こんな短時間で何を書けるといおうか。5年も想っている人に宛てるファンレターが、そんなものでいいわけがない。

 …でも。それ以上に、「ここで私が、自分に言い訳をして横尾渉にファンレターを書かない選択」をすることはいけない、と思った。(この舞台、観劇した人にしかわからないけれど、「今後の人生の全ての選択に責任をとらされる」舞台なのである。)

 以下は私の下書きだ。(私の下書きは執筆本番時の補完に任せるところがあるので、一部途中で終わったり、文法の整合性がとれていない箇所がある)


 横尾渉さん

 はじめまして、(本名)と申します。

 2014年10月に、舞祭組がきっかけで横尾渉さんのファンになりました。横尾渉さんがきっかけでジャニーズに興味をもちました。こうして手紙を書くのは、今日が初めてです。

 この舞台を見て、横尾さんがいまアイドルとしてたくさんの人の前に立っているという「選択」に感謝すると共に、この舞台を見るという「選択」をして、私の「末路」も何か変わったんだろう、と思いました。

 たくさん書きたいことがあるのですが、うちわに何を書いてもよんでもらえないだろう、と今まで書けませんでした。

 横尾さんが横尾さんでいることが好きです。横尾さんらしい横尾さんを、敏幸を通してみることができて幸せでした。勤勉で、繊細で、不器用で、つい自分のことを

 横尾さんをこれからもテレビで見ることができたら、今は25ですが、。それが横尾さんの願いであることだったらいいのになぁ、と願って止みません。

 横尾さんの手も足も薄い体も大好きですが、横尾渉が横尾渉である思考が、ここまで選んできた選択が、本当に尊敬しています。


 この手紙が当日ファンレターBOXに入ることはなかった。出さない、という選択をした。開演前にほとんどの内容は書き終わっていて、そのまま出せるようなかたちにしていたにもかかわらず、だ。

 それは、私が「まだ書き足りない、途中で出す方が嫌だ」と思ったから。そして、きっと私はもう一度この舞台を観劇するだろう、と思ったから。


 ここまでの文章を読んでくれた方に、一つお伝えしたいことがある。それは私が前回の記事から、横尾さんのことを「横尾渉(さん)」と書くようにしていること。

 先述の下書きには一部「横尾さん」とあるが、実際に執筆したファンレターは全て「横尾渉さん」という表記になっている。そうしたいと、執筆中に気づかされた。

 今まで5年間、「渉」と冗談めかして呼ぶこともあったが、基本的に私は彼のことを「横尾さん」と呼んできた。ただ、あの舞台を見て、「横尾渉が横尾渉の人生を歩んできたこと」、それ自体が重すぎて、呼び方を改めた。


 次で最後になる。私が舞台を2回見て感じたこと。そしてどうしても横尾渉さんに伝えたいと、「書き足りない」と思ったこと。

 横尾渉と私の共依存と、その終着点に関する覚書だ。


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