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横尾渉を選択した私の末路(下)

 舞台『〇〇な人の末路』で、横尾渉さんにはじめてのファンレターを宛てる私と、観劇後の話。

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 舞台に関する重大なネタバレは含みません。ただし、パンフレットで記載されている程度のストーリー解説は出てきます。ご注意ください。

 月sideの敏幸が、「横尾渉の人生を投影した敏幸」だ、と強く思った箇所がある。

 兄弟喧嘩の導入、二階の部屋で、敏幸が陽差志を怒鳴りつけるシーン。「お父さんとお母さんはお前のために…」と、鬼気迫る表情で、大声をあげて弟を怒鳴りつける兄。

 頑張っても埋まらない兄弟間の実力。そもそも前提が違うのだから、手に入るはずはない。頑張ることすら愚か。でも、「頑張ることすら愚か」なんてこと、あるはずない。真面目に頑張れば、きっと手に入れられるはず。そんなとんでもない感情(ここについては海sideを見てもらうともっとわかると思う)が渦巻くシーン、展開に展開を次ぐ舞台のなかの、さして印象に残らないワンシーンかもしれないけれど、私は初回、あそこで泣いてしまった。 あのシーンが、「横尾渉」を作り出すそのものだ、と思う。

 横尾渉は横尾家の三男坊である。そんな横尾渉さんは、兄の話を時折、する。兄に事務所のオーディションに連れられたこと、兄がジャニーさんに気に入られていたこと。ジャニーさんは本当は兄がよかったこと、でも事務所に残ったのは俺だった、ということ。

 今回のパンフレットでも、「選択」と「末路」を聞かれたときに、「兄に連れられてジャニーズ事務所へ入所した」と話している。

 彼の「どうせ俺なんて」という気持ちや、真面目で勤勉なのに、「手を抜いている」と受け取られる姿勢。かつての10000字大炎上でも見られた、どこか斜に構えたようなJr.時代のエピソードの数々。

 舞台の喧嘩のシーン、渉の想いに近いものがあるんじゃないのか。今回の舞台が終わって、まず気になったのが横尾渉の兄のことだった。私は2014年からのファンだから、横尾渉の兄のことをよく知らなかった。だから調べた。


 横尾渉の兄は事務所に在籍していなかった。


 私の読解力の問題かもしれないが、横尾渉さんの口ぶりから、勝手に「事務所で推されていたのは兄だったのに、兄はやめてしまって俺だけが残った」のだとずっとずっとずっと思い込んでいた。どんなにかっこいいお兄さんなんだろう、それでも残ることを選択した渉って、と思っていた。

 「ジャニーさんはほんとは兄貴がよかった」も「どうせ俺は兄貴に連れてこられただけ」も、渉の思い込みだったわけだ。渉は、「絶対に否定できない可能性」を引き合いに出してくる。ほんとは少しずるい。絶対にそれを否定する方法がない、いわゆる悪魔の証明だから。

 もちろん渉だって、いつもその考えにとらわれているわけじゃないだろう。でも、ふと弱気になったとき、何かが思い通りにいかないとき、そんなときにすっ、と心に入って聞こえてくるのだ。機嫌が悪い時、自棄になった時の自分の声が。


 私は横尾渉のことを嫌いになれない。それは、彼のどうしようもなく適当で不器用で繊細で馬鹿正直で、彼のことを大切に思っている人や彼自身を傷つけることを言ってしまうことが、「わかってしまう」からだ。

 この感情はいわゆる「お花畑」とは違うと思っているけれど、実際のところは大差ないかもしれない。少なくとも、アイドルを応援するうえで理想的な姿勢であるとはいえないな、と常々思う。だから毎年ツアーの時期になると、「私が横尾渉さんに向けている感情はなんなのだろう」と考えさせられる。もちろん大好きなのだけれど、大好きという理由だけで全身オレンジを纏ったり、彼のうちわを持っているとは言い難いのだ。今までは、この感情を「共依存」と呼んでいた。横尾渉を応援することによって、自分自身を守っている。

 この話はもう何度もしすぎて聞き(読み)飽きている人が多いと思うけれど、私の人生目標は、「横尾さんの料理番組orペット番組を娘と見る」「横尾さんが数十年後に亡くなったときに、それをニュースで聞く」の二点である。

 そんなことを言いながら、同時に私は横尾渉と勝手に「どっちが先に真人間になれるかレース」を開催してる。渉が(すでにここ数年でもアイドルとして何皮も向けていると思うけれど)本当にアイドルになってしまったら(?)、そしてその時に私がまだ人間として十分な人間とはいえなかったら、オタクをあがろうと思っているのだ。 


 私には双子の妹がいる。

 別に比べられる家に育ったわけでもないが、私は彼女と私をよく比べる。生まれたときから大学卒業まで一緒にいて、比べないことのほうが難しい。思春期真っただ中の時期に、妹と比べて自分のことを否定してしまってから、私は自己肯定心が著しく低い。妹との待遇の差とか、私に好きな人ができたとして、私の妹のことのほうが好きになったらどうしよう、とか、つい考えてしまう。

 いつも考えているわけではない。普段はそうでもないのだけれど、ふとした時にそのささやきはやってくる。別に、そのささやきを聞いて自分の行動を何か変えるわけでもない。ただ、弱気なささやきだけが眠れない夜を作り、心拍数を乱す。それだけで、でも、そうなのだ。


 私が横尾渉さんに感じるどうしようもない情って、「兄弟コンプレックス」に起因するんじゃなかろうか。足の長さで好きになったけれど、顔も芸能界で一番好きだけれど、それよりも「横尾渉」が、兄がきっかけだとしても長年続けることにしたジャニーズ事務所で、Kis-My-Ft2で、いるのを、誰にも知られないいち鑑賞者としてずっと見ていたい。

 …記事を3つも引っ張っておいて、「横尾渉さんと私はどっちも兄弟コンプレックスこじらせている」という結論。明るい結論ではないし、私以外の人間からしたら「は?」だと思うし、「いやいや違うわ」と反論したくなる方もいるとは思う。

 でも、私はこれが分かって楽になった。今まで幾度となく言われてきた、「妹と比べるな、違う人間なんだから」という言葉。今までは、「そんなことを言ったって比べてしまうんだからしょうがない」という風に、まったく響いてこなかった言葉なんだけれども、今回の舞台を見て、このことに気づいて、「腑に落ちる」ってこういうことなんだな、というぐらい、納得してしまった。

 兄弟コンプレックスこじらせてるなな、と自覚するだけで生活が180度変わった。同じ高校へ行ったことも、同じ大学へ行ったことも、それは紛れもなく私の選択だし、今は一人暮らしをしているし、私と妹は違う人間だ。比べることは今後もあるだろうけれど、すごく、すごく、すごく、楽になった。たぶん、これから先、どんどんこれが効いてくる。少しずつ、少しずつ。


 新型コロナウイルスの影響を受けて、約3週間休演していた舞台「〇〇な人の末路」の幕がまた開く。本当は先週末、千穐楽を迎えていた舞台なのにもかかわらず、また敏幸と陽差志は舞台のうえで幾多の選択をするのだ。

 今後の振替公演を見に行く予定はない。たとえチャンスがあったとしても、新型コロナウイルスの影響で、ファンレターは出せなくなってしまった。私の横尾渉さんへの想いは、結局出さずじまいだったわけだ。

 でも、今はまだそれでいい、と思っている。これはめんどくさがっているわけではない。真剣に真剣に考えた、私の「選択」だ。

 横尾渉さんのファンレターの草案を考えているときから、どうしても「好き」という言葉を書くことに抵抗があった。私がだれかに「好き」といわれることが、不快なことのほうが多いから。いちファンがアイドルへ向けた「好き」なんて、移ろいやすくてぼんやりとしていて、それでいて「不快にはならないだろう」というような都合の良い言葉。

 私はこの言葉に責任を感じてしまうので(勝手に)、間違えてもこんな言葉を手紙に載せるなんて、と悶々していたのだ。


 でもね、横尾渉さん。

あなたがアイドルをしてくれているということは、確かに私を勇気づけています。悲しくなる時、辛くなる時、怒りたくなる時。人間だれしも絶対にあるけれど、その時にあなたを攻撃する、周りと、そしてなによりもあなたの心の声が、少しでも、少しでも小さくなりますように。横尾渉がアイドルを続ける選択をし続けること、そしてあなたの人生の末路を見届けることが、いちオタクとしての私の、心の底からの願いです。

横尾渉さんのことが、大好きです。 

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