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全ての希望を諦め、咀嚼し吐き出す事をせず、飲み込む事で生きる強さを得るのでしょう。

自分が願った未来を叶える為にどれだけ努力する事ができるのだろう。ふと考えた時にお金が欲しい、物が欲しい、名誉が欲しい、いろいろあるのが普通で何時からなのか自分でもわからないが何も未来に対して願いが無いのだ。ただ漠然と生き与えられた事を粛々と遂行するだけのイエスマンになってしまった自分がいる。

ただ穏やかに心が削り取られ疲弊する事なく働き、生活に困らない最低限のサラリーを得て、何も望まず、何も手にする事なく、時間が流れ去って逝く事が正しいと心が信じてしまっているのだ。途中過程よりも結果を重視するような場所に長い時間、身を置いていると見えなくなってしまう事がある。

今回の仕事は、やりがいを見つけて自分自身でも途中過程を大切にしながら仕事をする事に重点を置いた結果、久しぶりに心が動き願いを持ってしまった。もっと売上を極大化し複数店を出せるぐらいまで押し上げて友達に喜んで欲しい、また昔のように美味しい食事を一緒にしたい、人を育てたい、結局、何も叶わなかった。

もし何も考えず、いつものように機械のように雇用者と雇用される側として粛々と純粋に数字だけを追い続けていれば結果は違ったものになっていたのかと考えてしまう事が多くなった。願いを持ってしまった事は叶わなかった時、心がすごくギュッと締め付けられるように苦しいのだ。結果は達成したのに仕事も友達も失った事がせつないのだ。

一緒に話し合い、お互いに理解し合っていなかったのだと思う。純粋に数字を決めてどれぐらいの数字にして欲しいのか、それに対して数字を叩き出す為に行動すれば良かったのだ。まともな視点で見てしまった故に、人を育てようと無駄な作業工数をかけてしまった事や売上を取り切りたい為に昼遅れてきた事を心を鬼にして注意した事も、何もかもが裏目に出てしまった。

友達の考えを反映する分身として数字を上げる事だけに注力し共感し良い事も悪い事も飲み込み咀嚼して従うべきだったのだ。どんどんお店を良くする為に遠慮なく友達として意見を言ってください。それは本心では無かったはず、誰よりも自尊心が高く自信に満ち溢れている者は他社の意見など興味も無ければ欲しくは無いのだ。私としても本来意見をしたりする事は無いし素直に従う性格なのに、願ってしまった事がいけなかったのだ。

結果的に自分の評価は失墜し、やる気も能力も無く何も貢献せず友達に相槌を打つような人に心が移り不要な存在になってしまった事が残念だ。きっと私は去年の出来事を死ぬまで忘れないだろう。それでも人の記憶とは残酷なもので良かった時の思い出が消えず、もしあの時と戻れない過去の時間を思い出し出ない答えを思考してしまう。

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