あれから1年

2022年5月27日午前9時32分
18年という時間をともに過ごした愛犬が旅立った

雨が嫌いだった愛犬が、嫌いな雨の日に我が家から旅立ってしまい
上手く泣くことができない私は土砂降りの雨の中、愛犬に手向ける花をずぶ濡れになって買いに行った

失った悲しみと、
永遠に続くかと思われた老犬介護から解放された少しの安堵感
そして愛犬を失っても続いていく日々の営み

いろいろな感情がごちゃごちゃになって整理ができない毎日が続いた

あれから1年

世の中は当時蔓延していた感染症が収束した雰囲気になり
電車内でマスクを外している人の割合も増えてきた。大人数で飲食をしただけで非常識という誹りを受けたのも懐かしい記憶で

勤務先も在宅勤務推奨から出社で働くように舵を切り始めている

愛犬との最後の日々、最期の瞬間を看取ることができたのは間違いなく感染症のおかげであり。反面、実の父親は感染症ゆえ見舞いも世話も制限された中、家族に看取られずに独り寂しく旅立ったりもした。「恩恵と弊害」、両方ある中、我が愛犬に限れば最期の瞬間を飼い主夫婦そろって見送ることができた

未だに亡くした愛犬のことを思い出すとプラスの感情もマイナスの感情も浮かんでくる。「やり切った感」と「後悔の気持ち」、それぞれある。

たぶん人生は選択の繰り返しであり。その時々の選択で人生の方向が決まる。正しい・間違いではなく選んだ結果で今がある。

1年前、愛犬を失った時に「もう犬は飼わない」と心に決め、今もそれを守っている。道を歩いていて同じ犬種を見かけると愛犬との散歩を思い出すこともあるが、見かける犬は愛犬ではない。犬種が同じでも別の存在。失った愛犬を取り戻すことはできず、新しい犬を飼ってしまうと記憶が上書きされてしまう。ならば記憶の上書きでなく、愛犬の記憶を強く抱いたまま、残りの人生を生きていけば良い。そのスタンスは今も変わっていない。

ただ、我が人生はあの日から1年経った今も続いている
よほどのことが無い限り、もう少し続いていくと思う

犬を飼うことはしないけど、生きている以上何か新しい要素を取り入れて…少しでも成長、進歩していかないと「知的生命体である人間としての責務を放棄すること」になってしまう(笑)。

愛犬を亡くしてから…アコースティックギターをはじめた。高校生の頃、少しやっていたがFのようなバレーコードの存在と後は右手のストロークが不器用すぎて思ったような演奏ができないことで挫折したが
昨今はYouTubeなどで好みの先生が無料で教えてくれる世の中につきありがたく活用させてもらっている

あとはウオーキングを続けている
愛犬を亡くした頃には体重がごっそり落ちたが、その後体重を戻してしまった(=太った)のでダイエットもはじめた

さらには英語の勉強もはじめた
以前、TOEICを少し勉強して臨んだだけで640点ほど取れた状態で放置していたが、リスニングは得意だけどリーディング(文法)がぜんぜんダメだったので…語彙力と文法の構造を一から鍛え直している
スコア800を目標に…運に任せるのではなく実力を鍛えている

私という存在は、愛犬の記憶を宿した生命体であり
その存在価値がまったく無いものになってしまうと愛犬が生きた証が無価値になってしまう、そんな気がしている

亡くなった父からは半分の遺伝子をもらっている。私がちゃんと生きること=父の分身がそうすること

愛犬とは血こそ繋がっていないが(当たり前)、ただ、18年もの日々を共に過ごした。30代から50代まで…それこそ一緒に寝て同じ空間で絶えず過ごしていた

亡くなった愛犬の記憶と共に生きる生命が、漫然と日々を過ごすだけであってはいけない

だから日々を精いっぱい…は少し息苦しいので、「ちょっとだけ前進するよう、ちょっと頑張ってみる」

愛犬が旅立って1年経った今、そんなことを心に誓ってみた

1年後、TOEIC800が達成できていれば…この誓いが少し実現したことになるかな(笑)

心にぽっかり空いた穴は塞がらないけど、
その穴があるから頑張らねばダメなんだと思って…前に進むようにする

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