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49日

愛犬が旅立って今日で49日。7週間が経過した。

物凄い喪失感と疲労、倦怠感とともに過ごしつつ、それへの対処をゆっくり進めて過ごした49日だった。リモートワークを推奨していた会社が一転、出社も視野に入れると舵を切り出したのもこの49日の間のこと。

愛犬介護というリモートワーク下ならではの対応と、そして旅立ちの瞬間、午前9時32分というサラリーマンなら会社で忙しく働いているはずの時間に家にいることができたわけで。

それを許してくれていた会社に極力出社することで受けた恩を少しでも返そうと思っている。今日もこれから出社する。

自宅にいない時間は愛犬のことを少し忘れる。
目の前で起きていることに基本集中する。

でも、別に忘れるわけでも忘れたいわけでもない。記憶に強く、深く刻まれている。愛犬の存在は我が身の一部になっている。

存在も肉体も、この世にはすでに無いが…共に生きた身として、そして愛犬より長い寿命を持つ身として。愛犬の記憶と共に生きることにより愛犬の生命がこの世に残っていることになるんだろう。

ペットロスの辛さや楽しかった記憶をふたたび!ということで新しい生命を迎える選択をする方々もいらっしゃる。もちろん人それぞれ、残された時間は違う訳で。仮に20代30代の人であれば新しい生命を迎えても責任をもって飼育することはできるのだろうが。

50代の身としては責任をもって育て、旅立たせるには多少の幸運が必要な年代でもある。

だから、愛犬の記憶を身体に宿し。大切にして残されている生命をともに生きる。…「愛犬」というワードは5月27日に旅立った彼女のためのものとする。

49日目の朝を迎えて自分の中で決めたこと。私にとっての愛犬とは旅立った彼女を指す…ということ。

49日だからとて、別に何か特別なことをするつもりも「この日を境に」という日にするつもりもない。日々の暮らしは淡々と続いていく。

その淡々と続くであろう日々を、愛犬の記憶とともに生きていく。

それが我が日常なのだろう。

だから。寂しいけど寂しくない。存在はないけど記憶がある以上、彼女は生きているということだから。

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