裏の裏(漫画「寄生獣リバーシ」を読んで」
漫画「寄生獣リバーシ」を読みました。太田モアレ、講談社刊。
…読み終えたのは去年ですが、かんそうぶんを書かねばとふと思ったので書きました…。
あらすじ
地球上の誰かがふと思った
人間の数が半分になったらいくつの森が焼かれずにすむだろうか…
地球上の誰かがふと思った
人間の数が100分の1になったらたれ流される毒も100分の1になるのだろうか…
誰かがふと思った
生物(みんな)の未来を守らねば…
「エゴだよそれは!」
「地球がもたんときが来ているのだ!」
泉新一とミギーを描く視点とは異なる、「寄生獣」のもう一つの物語。
今夜もEAT IT
この「寄生獣リバーシ」を書いた太田モアレ先生は、寄生獣の二次創作短編集(ネオ寄生獣)にも寄稿されていました。その短編が面白くて、そして本編のオマージュ具合も凄くて、印象に残っていました。
その太田先生が寄生獣の外伝的漫画「寄生獣リバーシ」を描くって?!本当かい?!と驚いた覚えがあります。速攻で読み始めた覚えがあります。
(ネオ寄生獣も、面白かったです)
寄生獣リバーシ、感想としては「面白かったです」なのですが、読みながら感じたことをもう少し書かせていただければと思います…。
タイトルとオセ口
タイトルの「寄生獣リバーシ」ですが、リバーシという単語だけ見ると、「オセロの別名」という意味での使われ方が多いでしょうか。
意味としては、「可逆」。語尾にbleやbilityをつけて、「リバーシブル」「リバーシビリティ」といった使われ方が一般的でしょうか。元に戻せる、ひっくり返せる、そんな使われ方かと思います。
では、寄生獣リバーシというタイトルには、どんな意味が込められているのか…。
外伝であることは確かなのですが、「裏」というイメージが、読んでいてありました。
外伝である以上、本編の裏で起こっていたことを描いているわけですが、作中の様々なテーマが、寄生獣本編の対応するそれに対して、対照的に描かれているように思えたのです…。(もちろん、共通している部分もありますが)
表と裏の対照
右に対して左
味方だったけれども敵
父親との関係
田村のような存在
バディの存在(でもシンイチはミギーがバディか…)
シンイチは状況に巻き込まれて、であるのに対し、タツキは、ある意思を持って積極的に関わっていくというところ(きっかけは「巻き込まれ」ですが)
樹と木
最終巻、主要な登場人物たちが「木」について触れる場面があります。それを踏まえた上で、主人公に「樹(たつき)」と名付けたタツキの父親の思いには、どんなものがあったのか…。
最終巻より前に、タツキの父がタツキの名前の意味を語る場面があるのですが、最終巻のこの描写を見ると、タツキの父の考えが、垣間見えるような気がしました。
絵柄と場面演出
単に「個人の印象です」かもしれませんが…。正確に分析してみたとか、読み込んでみたというわけではないのですが…。
作中の登場人物ですが、岩明先生の絵柄に寄せて描いている人物もいれば、太田先生の絵で描いている人物もいます。
また、岩明漫画風のコマ割り、カット割もあれば、太田先生のカット割もあります。ここまで岩明先生風のカット割ができるのだから、多分やろうと思えば全て寄せてしまうこともできたはず…。
それをしなかったのは、どういう意図があったのか。
使い分けているとしたら、どういう意図があったのか。
リバーシという言葉が浮かんできますが、流石にそれはこじつけ過ぎですね。大変申し訳ございませんでした。感情のないアイムソ(終わり)
※太田モアレ先生のマンガ「鉄風」は超面白いです ※個人の感想です
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?