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瞑想遍歴【その5】なぜ瞑想に興味を持ったのか? そしてなぜ20年以上も瞑想を継続しているのか ?

前回「瞑想遍歴【その4】」を書いたのが、去年の10月の事なので
半年以上経ってしまいましたが、再び書いていこうと思います。

前回は現代人のためにデザインされた「ダイナミック瞑想」を初めて体験して、自分の瞑想遍歴の中での一つのターニング・ポイント(転換点)を経験したという所まで書きました。

前回「瞑想遍歴【その4】」の記事は👇です。


体と心を整える浄化が瞑想の土台として必要

ダイナミック瞑想は伝統的な静かに坐る瞑想とは異なり、瞑想法の中にまずは体と心を整える浄化だったり、準備のステージが含まれています。

私も初めて10代の後半から瞑想というものに出逢ってから、伝統的な静かに坐る瞑想法を日々実践していました。



アメリカのカリフォルニア州サンディエゴにあるパラマハンサ・ヨガナンダが創ったSRFに10ヶ月程滞在していた時も、クリヤ・ヨガを始めとするヨガ系の基本的には静かに坐る瞑想法を続けていました。


しかし前回の「瞑想遍歴【その4】」にも少し書きましたが、自分を律して最大限努力して修行僧のように瞑想しているつもりになっているだけではないかという違和感のようなものを自分の中で感じていました。



静かな環境で静かに坐っている時は確かに瞑想に深く入って、もう次の瞬間に死んでもいいと思えるくらいの幸福感や至福を味わったとしても、瞑想が終わって日常生活の中で働いたり、人と交流したり、坐って静かに瞑想をしていない時には瞑想時に感じていた幸福感や至福がどこかに消え去ってしまう感じがありました。

特に日常生活の中で仕事でミスをしてストレスを感じているときとか、人が沢山いるような混雑している場所で人の想念やエネルギーに敏感になってストレスを感じている時だったり、そのような時は静かに坐っている時に確かに感じていたあの幸福感や至福はあたかもそんなものは始めから存在しなかったように感じた時もありました。

現代人のためにデザインされた瞑想法

それなので日常生活という動きの中でも瞑想的でありたいと漠然と感じていました。そんな時に現代人のためにデザインされたアクティブ・メディテーション(ダイナミック瞑想はアクティブ・メディテーションの中の代表的な瞑想法)に出逢ったのでした。

この瞑想法がとても画期的なのは、体と心を整える浄化だったり、準備のステージが含まれている事であり、「瞑想というもの」「瞑想状態」が静かに坐っている時だけでなく日常生活の中で働いたり、人と交流したりしている時でも自然と起こってくるにはまず体と心の浄化や準備が非常に大切だという事が熟慮されている所です。

このアクティブ・メディテーションに出逢い、取り組むことを通じて、いままで「静かな」伝統的な瞑想法だけが瞑想だと思い込んでいた自分にダンスなどの「動き・ ムーブメント」を通じても、「瞑想状態」に入っていける事を知りました。

この新しい発見が自分の中の「瞑想」に対する思い込みや固定観念をいい意味でガツンと一回壊してくれたような気がしていて、後から振り返ってみるとこの出来事が自分の瞑想遍歴の中での一つのターニング・ポイント(転換点)だったという事が分かりました。

色々な瞑想法を20年程体験してきて伝えたいメッセージ

そして私が瞑想のワークショップやNoteやTwitterなどのSNSで伝えたいメッセージのコアな部分はこの辺りにありまして、自分自身の実体験だけでなく瞑想に取り組んでいる他の方々の観察を通じて、少なからず分かってきた事が下記の7点になります。



1. まず瞑想は自分を律して最大限努力して苦行僧のように達するものではないということ。


2. そのように修行として瞑想に取り組んでも、体と心の浄化と準備を済んでいなければ、自然と瞑想が起こる境地を味わうには非常に遠回りだという事。

3. 瞑想初心者が体と心の浄化と準備なしに最初から伝統的な静かな瞑想法から始めるという事は、ストレスを抱えている現代人にとってはあまり理にかなった方法ではないということ。
自分も実際に経験したことがあるのですが、そのような方法だと下手をすると体と心のバランスを崩す可能性もあります。

4. 瞑想が自然と起こってくる土台として、体と心をととのえる浄化・デトックスなどの準備が必要であり、非常に大切だということ。

5. 瞑想はDO(する)ものではなくて、瞑想はBE(状態)なので
その状態に入っていくもの。瞑想状態は達成するものではなくて、自然と起こるもの。

6. いわゆる世間でいわれている「瞑想」はビパッサナ瞑想やサマタ瞑想などの「瞑想法」のことである。そして「瞑想法」は「瞑想」状態に入っていくための技術やツールであり、「瞑想」や「瞑想状態」は様々な方法で入っていく事ができること。

7. それなので浄化が進んで、体と心とエネルギーがちゃんと整い、瞑想状態に入るコツが身体知として積み上がってくると、仕事をしていても、人と交流していても、何にもしていなくても24時間365日その瞑想状態に入ることが出来るということ。
(24時間は難しくても、静かに坐るような瞑想法をしていない時でも瞑想状態に入ることは可能ということ。)

以前同じようなテーマで下記の記事を書きましたので、この辺りの事にご興味がある方は👇もお読み頂けましたら幸いです。

上の記事では色々な瞑想法を試して、瞑想を続けてきて個人的に感じる点
主に「瞑想」「瞑想法」の違いについて書いてみました。

あくまで個人的な見解、理解であり、これが事実・真理であると言うつもりはありません。ただ自分を含めて瞑想をしている人が陥りがちなポイントが幾つかあると思うので、瞑想を20年間続けてきた中で感じることを共有・シェアする事ができればと思ってます。

「瞑想だけでは生きていけないぞ」と諭され、
大学入学を目指す

さて鎌倉の大仏坂体育館でダイナミック瞑想を初めて体験して、
「この瞑想だ!」と思ってから、鎌倉にはダイナミック瞑想や他のアクティブ・メディテーションをやりに週2回ほど程通い始めて、アメリカから戻ったばかりでザワザワしていた日本の生活にも少しずつ慣れてきました。

しかしこの頃21, 22歳だったのですが、10代後半から瞑想ばかりやっている息子を心配で見るに見かねたのか「日本社会では瞑想だけでは生きていけないぞ」という言葉と空気感でジワジワと当時圧力をかけられ始めたのを憶えていますw

ただ自分もその頃いわゆる日本社会での世間的に普通の生活というものを体験したかったのと、わたしは高校を中退して旧大学入学資格検定(大検)は取っていたのですが、その面で少し社会的に負い目を感じていたという事もあって大学受験をしてみよう決めました。

すでに
19歳の時にカナダに約1年間ほど語学留学経験

(ほとんど授業には出席しないで、哲学やヨガや瞑想関連の本を洋書で読み耽っていましたw その頃の事は瞑想遍歴の👇の記事で書きましたので、もしご興味があればお読みください。)




とアメリカカリフォルニア州のヨガ系瞑想アシュラムに10ヶ月程の滞在経験
(この頃の事は👇の記事に書きました)

があったので、英語力を活かして出願ができる大学を選ぼうと思いました。

自分で少し探してみたところ、当時上智大学の比較文化学部(現 国際教養学部)という所が

TOEFL(英語圏の大学に入学する際に必要)と

SAT(いわゆるアメリカのセンター試験のようなもの)と
志望動機を英語で書いたエッセーと
推薦状があれば、書類選考入試に出願できるという事が分かったので、
そこを受けてみることに決めました。

19歳の時にカナダに語学留学した時に、大学の授業には殆ど出席せず
部屋に籠もって自分の興味や知的好奇心に突き動かされて、洋書(英語の本)をただひたすら読み続けていた時期があり、かなり内容が難しい学術的な本も読んでいました。だから当時は日本語と同じくらいのスピードで英語の本を読むことが出来ました。

その甲斐あって、読解力や語彙力(ボキャブラリー)に殆ど問題がありませんでした。

それと10ヶ月間アメリカの瞑想アシュラムに滞在して瞑想を日々長時間行っており、瞑想の副産物として集中力や忍耐力などが自然と結構付いていたようで、お陰さまでTOEFL、SATというテストは合格レベルの基準値を上回るスコアを取得することができました。
推薦状に関しては、そのアメリカの瞑想アシュラムでお世話になった上司(メンター)の人に書いてもらいました。

そしてオープンキャンパスで実際に大学見学にも行きました。何故か今でも覚えているのは、大検取得者でも書類選考入試を受けることが出来るかどうか担当者の方に質問した事です。

その質問の返答としては、その当時過去に大検取得者で合格した前例は殆どないが、大検は大学入学資格検定であってそれに合格しているものは書類選考入試の条件は満たしているので応募可能との事でした。

大学に合格する

選考入試に必要な書類を全部集めて、提出したところ、
何ヶ月か経ったある日通知が届きました。

封筒を開けてみてみると、

「合格通知!!」

の文字がバァーンと目に入ってきました。

お陰さまで運良く合格することができました。

これで両親や世間から
「瞑想だけでは生きていけないぞ」など
とやかく言われないで済むと思うと、それが一番嬉しかったです。



またいわゆる学歴社会がまだ残っている日本でいわゆる一流大学に合格したという事で学歴がない祖父や両親はとても喜んでくれました。



そして中学校では平均の成績で高校を中退した人間でも大検を取得して、
正しい方法でコツコツと努力をすればいわゆる一流大学にも入ることが出来るという事を実際に体験した出来事でした。

これで周りからとやかく言われずに瞑想に打ち込むことが出来る状況が整いましたw

インド行きを目指す

鎌倉の瞑想会には引き続き通っていて、アクティブ・メディテーションという瞑想法の魅力や醍醐味を少しずつ味わい始め、 20年、30年とこの瞑想法を続けている人達とも仲良くなり、色々なお話を聞かせてもらいました。


この瞑想法を現代人のためにデザインしたのはOSHO(Bhagwan Shree Rajneesh)という人で、瞑想会で一緒に瞑想しているのはOSHOにも実際に逢ったことのあるサニヤシンと呼ばれるOSHOの弟子の人達でした。

1991年にOSHOはすでに亡くなっているので、もうOSHOはその当時(2001年頃)も生きていませんでしたが、OSHOが生きていた頃に実際直接逢った事がある人達の話を聞いていると、自分もOSHOが長年暮らしていて、世界中の人が集まる大きな瞑想センターがあるインドのプーナという所に行ってみたくなりました。

ちょうど上智大学比較文化学部という所は春入学と秋入学のどちらかを選ぶことができる制度だったので、秋の入学を選択してそれまで少しアルバイトなどをして旅費を稼ぎ、秋に入学する前にインドに一度行ってみようと思いました。


短期間で日雇いバイトとして、警備員を1ヶ月くらいやったのを覚えています。



それで旅費を稼いで、一人でインドに行きました。



今回もツラツラと書いてしまいましたが、インドへの旅は次回の記事で書くことが出来ればと思います。




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