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瞑想のロードマップを簡単に書いてみます。

瞑想の本当の味わいとは?


「至福感」を伴わない瞑想だったり、
「気づき」だけにフォーカスした瞑想は、

ゴールがない長距離走のように感じてしまうと思うんですよね。
または前菜だけでメインディッシュがないフルコース料理のようなだとも言えるかもしれません。

というのは瞑想の醍醐味はやはりメインディッシュにあるし、なんならデザートも付いてくる😂
その味わいを全身で体感することで、瞑想自体が純粋に楽しくて気持ちよくなってくるので、修行のように努力をしなくても自然と続けてしまってるんですよね。

だからもし瞑想が楽しくなくて、気持ちよくなくても続けているようだったら、まずは瞑想のプロセス、道筋を知ったうえで瞑想に取り組むのが得策だと思うのです。

「マインドフルネス、気づき」は一番最初の入り口

わたしが24年間瞑想を続けてきて分かってきたのは、瞑想というのは大体3つのパート、段階に分かれているという事です。

① ダーラナ(集中・気づき)
② ディヤーナ(禅定・無思考)
③ サマーディ(三昧・至福感)

いわゆる流行りのマインドフルネスや気づきの瞑想は①のダーラナ(集中・気づき)の段階であって、80%以上の方がイメージされているのがこの段階の瞑想なのかと思います。

この「集中」と「気づき」も瞑想の基本土台、準備段階として大切であり、もちろん必要なのですが、ここで終わってしまっていては、あたかも楽器のチューニング、調律だけして音楽を奏でないようなもの。
または車の点検・整備はしているのに、車は運転しないという事にも似ているかもしれません。

単純に本当に勿体ないです😅

「瞑想」を続けていると「無思考状態」が起こる

頭の中の「思考や想念」
心の中の「感情や気分」
これらにまず気づく、そしてその気づいているスペースにメタ的に気づく。

大体こんな風に教えられると思うのですが、
これをやってみてどんな感じだったでしょうか?

思考は完全に止んで、無思考状態に入れましたか?

それとも
頭の中の「思考や想念」
心の中の「感情や気分」

これらが頭の中で来ては去りを繰り返されるのを
眺めて気づいていた。

そしてその気づいている事にメタ的に気づこう、気づこうとやってはみたけど、無思考状態に入ることは正直できなかったのではないでしょうか?

マインドフルネスにしろ、ヴィパッサナー瞑想にしろ
静かな伝統的な瞑想法を通じて、頭は「無思考状態」
心と身体は「至福状態」に入ることはかなり困難だったと思います。

瞑想は「するもの」ではなくて、「起こるもの」

実際にわたしも10代後半から20歳までは、静かな伝統的な瞑想法であるヴィパッサナーやクリヤヨガなどに取り組んで、アメリカカリフォルニアのアシュラム(ヨガ道場)に10ヶ月滞在したときは、「無思考状態」になるため、「至福状態」「至高体験」を得るために自分を律して努力して長時間瞑想をしていました。

長時間座れば、確かに思考をコントロールして幾らかは至福な状態を少しの間感じることはありましたが、大部分の時間は思考、雑念との格闘、身体の痛みを観ることに費やされました。

いま振り返れば、ほとんど「無思考状態」になっていなかったし、大きな至福の海に自分が呑み込まれてしまうという実感もなかったので、あれは瞑想したつもりになっていただけだと後になってから気がつきました。

その気づきがやってきたのは「瞑想はするものではなくて、起こるもの」だという体験をして、その理解が腑に落ちてからの事です。

わたしを含めて90%以上の人が瞑想のプロセス・道筋について勘違い、間違った思い込みをしている事に瞑想無料相談を申し込んでくれる人達と話していても最近感じます。

身体と心を整える準備作業である浄化
身体感覚に根付くこと

この辺りがディヤーナ(瞑想・無思考状態)に入っていく上で
とても大切だと色んな相談者の方と話していてもやはり実感しています。

本当の瞑想の味わいを知りたい方へ

もし同じように瞑想に入れている実感がない、もう少し本格的に瞑想に取り組んでみたいなど感じていたら、お気軽にメッセージください。
瞑想無料相談をやっています。

また瞑想寺子屋という少人数制のマンツーマン瞑想スタジオも最近始めましたので、もう少し本格的に瞑想に取り組んでみたい方はそちらもどうぞ。


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