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不幸から脱却する方法(長文)

0.はじめに

目の前に不幸なことが起きるとついつい落ち込んでしまいます。しかし、不幸を不幸だと受け止めずに済むあるいは、ダメージを軽減させる便利な方法があります。

悲しくなって落ち込むことは悪いことではありません。むしろ、悲しいときは泣く、怒りたい時は怒るというように感情を味わい尽くしてください。
感情を処理すれば、落ち着いて思考することができます。
感情と思考を切り離せず、いつまでも感情に囚われてしまうと、現実はどんどん自分にとって悪い方向へ変化していきます。

これから私の経験を通して、不幸をうまく切り抜ける方法についてお話ししていきます。
何かヒントを見つけていただければ幸いです。

目次
0.はじめに
1.感情は味わい尽くす
2.現象はなぜ起きたのか?
3.災い転じて福となした事件
4.おわりに
1.感情は味わい尽くす

不幸が起こると人間は、負の感情と「どうして?」という原因を探る思考が働きます。

そこでまずはじめにやることは、現象に対して、感情と思考を切り離すことです。
そのためには、感情を味わい尽くし、原因を探る必要があります。感情は出し尽くさないと思考と切り離せず、正常な判断ができません。

まずは感情が消えるまで、味わいます。そろそろ、泣くのも飽きたな…。なんで怒っているんだっけ?などと、なったら思考を働かせます。

このとき感情は、純粋にエネルギーとして消化します。
「あのときアイツが…」「あのとき私が…」と思考と感情を働かせない様に注意してください。

様々な方法があると思いますが、私が使っていた方法はただ念仏の様に、今の感情を唱える方法です。
「悲しい悲しい悲しい悲しい…」
「イライラするイライラするイライラする…」

数分唱えていると、次第にメラメラしていた炎が消える様な感覚になります。

感情が湧く原因は、必ず自分の中に答えがあります。相手や環境のせいではありません。過去のトラウマや価値観などに起因するので、丁寧に対処していけば消えていきます。

ここで感情が湧く原因を処理しないと過去に囚われ続けます。何度も同じようなシチュエーションで同じような感情が湧いて同じ現象を呼び寄せてしまいます。(詳細は、「2.現象はなぜ起きたのか?」にて)

私の経験を踏まえて、感情について考えていきます。

例えば、私が彼女にフラれるとします。
((ฅωฅ`)エーン…これまで沢山フラれました〜)

フラれる度に、とても悲しくて泣いていました。悲しみの原因は「もう二度とこんな素敵な人に会えない」「あんな良い思い出は作れない」「あの楽しい日々が続かない」などです。

一方でフラれても動じなかったり切替えの早い人はいます。
この違いはなんでしょうか。
フラれてもすぐに出会えたなど、フラれた後も楽しい経験をしている場合です。

つまり私は、「フラれても長いこと彼女が出来なかった」「1人や友達とでは楽しい日々を過ごせなかった」といった過去の経験から、今回も同じことが起こると思い込んで悲しんでいるということです。

このように感情の原因を見つけたら、私は「経験を積んで良い男になれた」や、「新しい趣味ができて1人でも楽しく遊べる」など、過去と今の違いなどをみつけて、もう起きないことを自分に言い聞かせていくことで同じようなことでは、感情が湧かなくなります。

感情の原因を処理することで、同じような現象であっても受け止め方が変わり、思考が変わっていきます。過去の呪縛から解かれた思考が明るい未来を創り出します。

思考が未来を創り出すとはどの様な理屈か、これから掘り下げていきます。

2.現象はなぜ起きたのか?

つづいて、現象について考えていきます。現象はなぜ起きたのでしょうか?

それを理解するには、今の自分の思考が未来を創っていることを理解する必要があります。詳細はこちらの記事にあります。

時間は、未来から過去へ流れています。(過去から未来へも流れてますが)

理想の未来から、逆算して今が創り出されています。現象はこうして発生します。

つまり今は、描いた理想に向かう過程、あるいは、すでに理想が叶っている状態だということです。

一見、不幸だと思える現象は、自我が理想に氣づいていないか、忘れているからついつい不幸に感じてしまうだけで、単なる不幸では無いということです。

先ほどのフラれた話を例に考えていきます。
(マジで沢山フラれて泣けるんですって〜…笑)

フラれた原因(現象の発生原因)は、なんでしょうか。私がつまらない男だから?彼女の誕生日を忘れたから?別に好きな人ができたから?

様々な過去に原因を探そうとしますが、そこに私がフラれる答えはありません。(厳密にいえばありますが)

すべては、理想に向かう過程です。理想のために必要な心のトラウマや、自分の性格を見直すために起きている現象です。

自我は忘れている理想が「子供のいる温かく穏やかな家庭で、田舎でのんびり戸建て暮らしをしたい」だとします。

その場合、派手な彼女と付き合ったり、都会でマンションに同棲したり、理想と真逆な経験をしたりして理想に近づいているのです。その過程で、学びが終わり別れが来ますが、それはあくまでも理想と違った人(結婚という学びではない人)ということです。

ここでいつまでも、感情(過去)に囚われていると思考は、「もう二度とこんな素敵な人に会えない」「あんな良い思い出は作れない」「あの楽しい日々が続かない」となったままです。

このままでは、いつまでも「子供のいる温かく穏やかな家庭で、田舎でのんびり戸建て暮らしをしたい」なんて理想を描くことはできません。

永遠に「あの楽しい日々が続かない」という過去(感情)に囚われた思考が未来を創り出すということです。

3.災い転じて福となした事件

これはまだ、私が宇宙の仕組みなどに目覚める前の話ですが、理想を手に入れた事例です。
今振り返ると、学びが満載だったので記録と共有のために書こうと思います。

私の仕事は当直があるシフト制で、当直がある時は、当直、明け、休み、(休み)がワンセット。
当直明けの日(当直の次の日)は、朝帰宅するので眠いし、体もだるくてシャキッとしない感じです。

次の日は休みですが、頭が痛かったり眠かったり、少し引きずる感じで、なるべくゴロゴロしていたいという日になります。
今思えば…なんかやりたくても、出かけると疲れるし、氣力も湧かない「休みの日はゴロゴロしないと仕事に支障が出る」と思っていた悪循環の日々でした。

そんなある明けの日(土曜日)。妻と子供2人の3人で、遊びから帰ってきました。夏休みでもない普通の土曜日には珍しく遠出をしたとのこと。息子の提案で2つくらい離れた街の大きな公園まで行ったらしいのです。(過去に2度ほど行ったくらい)

するとたまたま、パンフェスティバルがやっていていたらしく私にパンフレットを見せて、楽しかったことを話してきます。
地域のパン屋が出店を出していたこと。様々なワークがあり、息子は手染めのハンカチを作って来たこと。娘は妖精の羽を作りたかったが営業時間が終了してしまっていたので、また明日行って来るということでした。

次の日(日曜日)は、休みですがこの時は月曜日が仕事でした。1日しか休みが無い場合、いつもの私なら絶対に出かけませんでしたが、パンフレットを見て、パンフェスティバルに魅力を感じました。
でも心も体もヘトヘトで、出かけたくありません。

いつも通り悩みましたが、この頃の私は、悪循環の毎日を変えたいと思い始めてました。
趣味が無くてせっかくの休みにも熱中するものがなく、家族ともワイワイできるモノがない。「家族で楽しめる何かが無いかなぁ〜」なんだかモヤモヤした毎日を過ごしていました。

そのため家族と楽しく過ごしたい思いが募っていた事と非日常を味わいたいという氣持ちが勝り、疲れはなんとかなるだろうと、珍しく出かけることを選びました。

心は楽しいを求めていました。思考は、明日出かけたら疲れるし、行かない方が良いと言ってきます(過去の疲れた経験に囚われた思考です。)
よくスピ界などでは、心に従えと言われますがこの時は心に従えたことになります。

パンフェスに着くと、TVに出たことのあるバンド(私は知らないが妻が知っていた)が、午後から演奏をすることを知ります。でも妻は私を氣づかい観なくても良いと言います。
午前中に娘の予定を終わらせたら、帰るつもりだった私は選択を迫られましたが、妻の喜ぶ顔が見たいので観ることに決めました。

しかし、お昼に事件が起こります。しゃがんだ瞬間、太もものつけ根辺りでズボンが破けたのです。こんな恥ずかしいことはありません。いい加減帰りたくなりました。妻も私を氣づかい「帰ろうか」と聞いてきます。
また選択を迫られましたが、家族の氣持ちを確認します。子供もまだ遊びたいと言います。
そこで私は、歩く時はバッグで隠せば見えないだろうと、フェスに残ることを選択します。

私の帰りたい氣持ちが、ズボンを破る現実を創り出したのか、氣持ちを試すために創り出したのか…。恥ずかしくも不思議な現象です。
いつもの私ならイライラして帰っていましたが、この時は、変わろう変えようという氣持ちが芽生えていたのだと思います。

すると妻は、私が子供達お店に連れて回るから、ライブ会場で場所取りも兼ねて、座っていてくれると助かると言ってくれました。座れば破れを氣にする必要はありません。
私はその提案をありがたく受け入れ、ライブを待つことにしました。

私はそれまで、フェスというものに参加したことはありませんでした。音楽も人並みに聴きますがそこまで興味はありませんでしたし、なにより野外フェスに参加する人達に、頭の沸いたパリピー的でロクなヤツはいない。などと歪んだ感情を持っていました。

失礼な表現ですみません。
後々わかりましたが、要は羨ましかったのです。私も騒ぎたいし、楽しみたかったのです。

待っている間も、他のバンドが演奏をしていました。とても、穏やかな時間が流れ段々と生演奏に魅力にハマっていきます。
そして2時半近くにお目当のバンドの演奏が終わります。
帰宅は、1時間〜1時間半かかります。明日のことを考えれば帰りたくなる時間です。
そこで私は帰ろうとしますが、子供達はまだ遊びたいといいます。
じゃあ、あと30分ということで私は誰もいないライブ会場で座って待つことにしました。(次のバンドまでの空き時間)

妻と子供が離れ、しばらくした時、リハーサルの演奏が始まり、あまりにも素晴らしい演奏とハーモニーに心を奪われました。

すぐに妻に電話し、呼び戻しました。本番は、家族みんなで聴きくことにしましたが、たまたま踊りなどもあり子供も楽しめ、ファミリー層に受け入れられる楽曲が豊富なバンドでした。

すっかり魅力された我が家は、一ヶ月後、ライブに行くほどハマっていました。
今でも、家族で応援し配信ライブは欠かさず観ています。

そうです。
知らぬ間に感情(過去)に囚われた思考「休みの日はゴロゴロしないと仕事に支障が出る」から抜け出し、理想の「家族で楽しめる何か」が、訪れていたのです。

4.おわりに

今ではすっかり休日に対する氣持ちも変わりました。1日しかない休みでも、平氣で遊びに行きます。次の日は、意外と疲れない日もあるし、疲れていても何とかなることが多いです。

それよりも、楽しく過ごせた休日の方が何よりも嬉しくてたまりません。

感情に囚われると過去に囚われた未来しか創り出されません。
感情に囚われた思考を抑え、本音に従ったとき、理想の未来が訪れます。

感情を沈め思考を抑え本音を探る方法として、瞑想はなどを取り入れ、一時的な感情に流されずに、あるがままを受け入れることをオススメします。

すべては理想の未来へ向かう必然です。必ず楽しめる未来が訪れます。今を信じて、楽しく生きていきましょう。

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