見出し画像

唐草模様のように繋がって

梨木香歩の小説『からくりからくさ』は唐草模様がひとつのキーワードとなって、世界を一つの布にまとめあげてしまう、という物語である。これは比喩的な意味でもあり、実際の意味でもある。

4人の女子大学生が共同生活をするなかで、因縁というものがちらりちらりと顔を覗かせ、混沌と秩序のあいだを行ったり来たりするのである。

因縁といえば生々しいが、どう頑張っても世界から切り離して個人を考えることは難しい。

文学を研究する身として、エクリチュールだったり、インターテクスチュアリティなる概念について勉強しているのだが、文学理論を知れば知るほど「個人」の書く文章と世界を分離することは不可能だと知る。

大学に入るまでは、素晴らしい文章は個人の能力によって作られるのだと思っていたが、実はそうではないと気づいた。

だからなのか、「わたし」が書く文章の意義を見失いつつある。論文は「わたし」の気配をできる限り消して書く文章なので、問題ない。いままで恥ずかしげもなくインターネット上に公開してきた「わたし」のエッセイである。

恥ずかしくて昔書いていたブログはいったん閉鎖した。
去年書いた小説は、「わたし」の生い立ち、欲望をきわめて濃く反映したものであるので、読み返したくもない。

惜しげもなく「わたし」を露呈させた文章が極めて恥ずかしい。世界に対するポジショニングが偏っているし、ちいさな世界に「生か」されていることを明らかにするからだ。

大学で文学を研究している「わたし」の通ってきた轍を振り返ると、ある種の特権的なものがあると思う。少なくとも、大学で研究を続けるにあたり、どうしてもその特権的なものは否定できないだろう。特権的なものを見てみぬふりをして、社会に対して問題提起するなんて、おこがましい。そんなことを思ってしまったのである。

大学受験のための国語読解法は、評論読解の道標を示す一方で、思考法に制約を設けているように感じる。

その典型例が「二項対立に着目して読めば、内容把握が容易になる」ことではないだろうか。

逆接の接続詞が出てきた後は重要だよ、と何度も言われたので、一般論と筆者の主張を二つに分けていた。

評論って、対比によって主張をあきらかにするものが多いので仕方ないだろう。

でも、二項対立の論展開は比較しているようで比較していないこともままある。

ほんとうに両者を比べる意義はあるのか、詭弁になっていないだろうか、と考えることが評論読解の理想形ではないかと考える。

高校までほとんどクリティカルシンキングというものを教え込まれなかったので、大学にいって批評やら論文やらを書くのは難しい。書かれているものの把握はできても、その先の考察に向かえないのだから。

まぁ、ある程度のリテラシー教育は大切なので、現代文の読解法を否定するつもりはないが、どっぷり浸かってしまうのも良くない。

高校の時の国語教師が言っていた言葉を思い出す。
「私としては、なんでも二項対立で読み解くのはよくないと思いますね。確かに有用な読解法ですが、二項対立によって捨象された事物にも目を光らせる必要があります」

当時の私は、この言葉が飲み込めなかった。
ただ単に現代文の読解法を知らないのでは、と生意気にも思っていた。

今ならわかる。先生が言いたいのはテストで点を取るための方法ではなく、テクストを読む本質的な方法だったのである。

小学生の頃、ピアノの発表会でドビュッシーのアラベスク第一番を弾いた。冒頭の流麗な旋律に魅せられ、この曲を選んだ。右手と左手の拍が違うのでなかなか上手く弾けなかったのだが…。

アラベスクが唐草模様を意味しているとは知らなかった。これがオリエンタリズムの系譜に位置づけられるのは明らかだが、オリエンタリズム!というラベルを貼ってこの曲を鑑賞するのも違うなと思う。

物事は光の当たる方向によって違う顔を見せるので、一義的な解釈はやめたほうがいいのかもしれない。二項対立もそう。表層的なところを掬って、詭弁のような比較をしても意味がない。

世界は私たちのあずかり知らぬところで繋がっているから。地中の根を見ることなく、地上の花ばかりをみていては分からない。

根をはる。根差すこと。バナキュラーな事物を見る際に有用な方法だろう。ただ、それだけでは外は見えない。
蔦のように絡み合うその世界の姿を見ていきたい。

授業を聞いたり、本を読んだりして知ったことの受け売りのような記事となってしまった。

でも、個人的なことで悩みすぎて近眼になってしまったときに有用な思考法かもしれない。

わたしー他者と二分していては見えない世界の姿。
時には言語などの境界を超えて、見ていくと個人の問題も小さくなるかもしれない。かといって矮小化しすぎず、地に足つけながら自分を「俯瞰」すること。
矛盾するようだが、これからの世界をサバイブするために、忘れないようにしたい。

小説『からくりからくさ』は、二項対立を扱うようでいて実はそうではない物語。生と死、日本と海外、東洋と西洋。実は蔦のようにつながっている。世界は一枚の織物だ、というメッセージ。

おすすめしたい物語である。

注 冒頭の画像はみんなのフォトギャラリーに拠るものです。ありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?