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街に出ると、いつもあの空気が漂っている。もう慣れたはずだが、意識すればそこにあることがはっきり分かる。みんな世界が終わると思っている。そして、「みんな世界が終わると思っている」ということを、それぞれみんながお互いに知っている。そして、横目でそれぞれの思っていることを確かめ合う。

スピーカーからは、擦り切れてもう意味がなされなくなった「お願い」が繰り返される。「いつも通りの日常を送ってください」そもそも、そんな言葉に含まれる意味などほとんどないのだ。言葉を放ったという事実の方が、意味よりも遥かに大事だ。そして、その事実をもって街の空気がさらに見えなくなる。

その様子を見ると「いつも通りの日常」は、もういつも通りじゃなくなってきている。決して戻ることができない「いつも通り」。わたし達はそれを覚悟する暇もなく、了解させられる。けれど、どこか納得できない。頭ではわかっているのかもしれない。すくなくとも、体のどこかではわかっている。そして、みんな朝を迎えて街に出る。

「こんなふうになるんだったら、もっと早く星が来てくれればよかったんだわ」

真十さんはコーヒーカップを軽く机に置いた。液体を扱う優雅な動きと、陶器が机に当たる音が組み合わさって、ピアノのような音がした。わたしは、また同じ形のコーヒーカップに入っているホットプリンのさめごろを待ちながら、ほのかな湯気の香りを聞いている。コーヒーも紅茶も、プリンも、コーヒーゼリーも、カップケーキも全部同じ形のカップにのせられる。丸みを帯びた白磁の取っ手のないカップだ。コーヒーならミルクと砂糖が添えられる。紅茶なら、ソーサーに乗せられる。プリンだっらカラメルの入ったちいさなガラスのカップが一緒に出される。カップケーキはカップをはみ出して生クリームの山が見える。

「いつ頃」

「そうね……あと10年早かったら、悔しがって死ねるわね。今来てもダメ。ディストピア風に陰湿な空気になるだけ。わたし達は来るところまで来てしまった。ってね」

真十さんは少し芝居がかかったふうに、手を開いて上を見た。背中にかかる髪の毛が揺れる。ふとほおにかかる髪の毛が気になった。寝ている間じゅう、のびっぱなしだったから、毛が外側に跳ねている。

「髪切ろうかな。」

「いいじゃない。」

真十さんは即答する。いう前からわたしの考えていたことがわかっていたのかと錯覚するほどの間だった。

「それにしても、暇ね。新技庁……。虚しい名前。もはやもう新しいものじゃなくて、今まであったものしか慰めがないじゃない。」

彼女の「いいじゃない」は、どっちでもいい、という意味なのだ。どっちにせよ、彼女は彼女のまま、わたしの前にいるということ。愚痴を言っている真十さんは昔から変わらない。わたしはそれを見て、少しほっとした。

世界が終わろうと、爪が伸びたら床にうずくまって爪を切る。髪は少し伸ばしてみようと思う。

最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!