「わたしではないわたし」制作日記2021/01/06

最近は、「書いている間」についての文章を書き続けている。のだけれども、「書き始める瞬間」もそれと同等か、それ以上に興味がある。

今わたしが書いているのは、どうしてだろう。書き始めたのはどんな、理由なのだろう。そう考えると、書いている間のこと以上に謎が深い。

人間がどんな時に、文章を書きたくなるのか、言葉を紡ぐのか、歌を詠むのか。それがわかれば、苦労はない。むしろそれはわかるためではなく、今までわかっていることを覆すために、あえてわからないままにしているのかもしれない。

この歌は、この状況で、こんな思いが込められて歌われた。そう解説されるけれど、本当にそうなのかな。とわたしは思う。その言葉を発した人の本当の状況など、逆算することでしかわからない。解釈することで、なんとなく「理解」することはできるけれども、それが本当のことなのかは怪しい。

げんに、この文章を書いているわたしは、なぜ書き始めたのかをうまく書くことができない。単純に時間があったから? それとも夕ご飯を食べてお腹がいっぱいになったから? 退屈だから? 誰かに自分の文章を読んで欲しいから? 寒かったから? 寂しいから? 本を読んだから? なぜ書き始めたのか、一つに決めることができない。

それでも、文章が存在する。展開していく言葉。これらはどこに向かって、どこから来たものか。どんな目的を持っているのか。全くわからず、これも「わかろう」とすることが不適切で、ただ遊んでいるだけのような、無意味な存在なのかもしれない。

よって、「書くしかない」といつもここに帰着する。それが寂しくて、それでいいのかわたしはまだ不安に思っている。「書くしかない」と書いた後を、何度も考える。「書くしかない」と考えたのに、その間に起こったことをもう一回書き直す。「書くしかない」と何度も書く。「書くしかない」と書いた後に、「書くしかない」と書く。

謎がないことが謎。考えることができないことを、考えたい。そのためには、考えることそのものになるしかない。いつもの「日記」にも書いたけれども、書くことはこの体自身が考えること。考えることの当事者になること。頭の中の出来事と、世界で起こっていることは、普通は違う。けれども書くことと、頭の中にある言葉は一致している。書く上ではこうだけれども、言葉の上では違うということは、たぶん……ない。だから、書く間には考えてはいけない。別のことは考えてはいけない。考えること自体が、書くことを乱してしまう。だから、書くことに集中する。

今日は、音楽を聴きながら気ままに書き続ける。いつもは、タイマーをセットして20分だけ書く。なぜか、今日はそんな気持ちになった。散歩をしていないからかもしれない。それとも、どこかで何かが起こったからかもしれない。どうとでも言える。

言葉は落ち着いていて、いかにも淡々と書いているような気がする。考えているような気もするけれど、あまり考えていない。難しいことを書いている気もするけれども、結局言いたいことは「書くしかない」ということだから。構わず書き続けている。

書くしかない。書くしかない。書くしかない。書くしかない…………

わたしは、こういう文章を本当は書きたいのではないか。それをどこかで退屈に思っているから、あたかも知っている文章に擬態して読むに堪えるものを書こうとしているだけなのではないか。一旦気が済むまで、「書くしかない」と書いた方がいいのではないか。馬鹿らしい気がするけど、さあ。

書くしかない。書くしかない。書くしかない。書くしかない。書くしかない。書くしかない。書くしかない。……飽きた。

じゃあ、結局何が書きたいのかよくわからなくなってしまった。

最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!