書き重ねる:2020/11/17

毎日同じテーマでものを書いたら、何か変わるだろうか。そんなテーマで書き始めた。

しかし、逆にいくら書いても変わらないものはなんだろう。と逆を考えても面白い。

なぜ、私は書き続けることができるのか。どうしたら書き続けることができるのか。その答えは、変わることと同時に変わらない確かなものを起点に答えられるものだと思う。

だいいち、同じテーマで書き続ける、と決めた日に、今日の私が書き続けていることは想像できただろうか。実はあまり考えていなくて、目の前の文章をただ書いてみただけかもしれない。結果、今日の自分は書けているとしても昨日の自分の考えを踏襲しているわけでもない。ただ、今日かけるものを書いているだけだ。だから明確な繋がりなんてなくて、ただ書いている目の前の一文字だけにしか目を配っていない。しかし、それを何度もかさねると続いていることになる。

書き重ねる。どうして、毎日同じテーマで書き続けているのか?その説明をする記事を毎日書いている。だんだん、わかってきたような、書くたびにわからなくなるような。どちらもある。

もうテーマなんて、どうでもいいんじゃないかと思える時もある。書かれている内容は、同じようでいて散らばっている。テーマを絞ることで、浅く広く書いている自分のやり方を変えようと思ったけれども、結局変えられない部分なのかもしれない。

気分で書いているものに、浅いとか広いとかもないとも言える。ただ、気分で書いていると言う事実だけがあって、その中に浅さや広さを考えても仕方がない。

むしろ、書くきっかけが欲しいだけで、毎日変わる題名や絵や語る題材のテーマはどうでもよかったのかもしれない。ただの文章。ただ書かれている文字。ただ書いている時間。私が欲しいのはそれだと言える。それで満足している。

そんなふうに自分を振り返ってみるけれども、やっぱり振り返った時点で過去の自分だ。今まさに書いている自分は分析も、予測もできない。ふとした時に書くのをやめてしまうかもしれないし、次に書かれる文章は私自身も知らない。

それはわかっていたはずなのに、それはそうだと納得できたはずなのに、どうして毎日同じテーマで書くなんて考えたのだろう。今までそれは私はわかっていて、その説明を毎日しているつもりだった。しかし、本当に正確なところは思い出せない。

ただ、テーマだけを残して、その周りであれこれやっている自分を見たかったのか?それとも本当に書きたい何かがあって、それはどうやっても1日で書くことができないから、毎日書くことにしたのか?

「毎日書く」と決意した私が、変化せずにそのまま書き続けた文章と、毎日のくだらないことや、真剣になることに影響を受けて変わった私が、「毎日書く」と過去の自分に背中を押されて書く文章は違う。

石をまっすぐ投げても、いづれ落ちてしまうように、意志がまっすぐ飛んで行くことはない。宇宙空間なら、あり得ることだし頭の中で、綺麗な軌道を思い描くことも簡単にできるけど、実際のところはそうならない。放物線を描く意志を、もう一度拾って投げ直したり、蹴り上げたりあるいは別のものを拾ったりしてまた投げる。

最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!