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Day 15 : 呵呵大笑

「わたしを、日本一のお笑い芸人にしてくれ。」

舞は言った。

「いいよ。」

光乃もその時はただ、そう答えた。

あまりにも大きすぎる言葉の輪郭を掴むように、舞はまた言う。

「日本一やで。一応、世界一とは言わん。」
「うん。いいと思う。」
光乃は頷く。普通に茶を飲んでホット一息つく。
「じゃあ、頼むや。料金は出世払いでええか。」
「もちろん。」
「じゃあ、よろしく。」
「ああ。」

光乃は立ち上がると、一旦事務所から出ると、下から紙を一枚持ってきた。契約書のようだった。腰を曲げてローテーブルに置かれた紙に、ボールペンで記入する。

舞はあまりよく見ずにそれにサインした。光乃もあまり説明しなかった。だから、名前を書く欄と連絡先を書いてそれきりだった。ハンコがなかったので、サインで「津込」と書けばそれでよかった。

「よろしくね。」
光乃に差し出された手を、舞も握り返す。

途中にそんな日があったぐらいで、特に今まで変わりはない。舞は次の日も三猿に通い続けた。石田もハルもボクも普通に事務所で駄弁ってその日を暮らしていた。あの時何の仕事をしていたのか、舞が書いた契約書を石田も見たのか、よくわからない。

「そろそろ、サスペンスが起きないかなぁ〜」
退屈そうに光乃が伸びをする。

「めんどくさい。」
石田が腹を掻きながらあくびをする。

『面白さのことは考えなくてもOK』
ハルがPパッドに表示する。

「ゲームしてればいい。」
ボクがいつもの通り、ゲーム機にがっつきながらそう呟く。

「毎日毎日、同じことの繰り返しやなぁ」
舞は、スマホを見る。さっき自分がした投稿に「いいね」が一つついている。辛口の批評なのか、ただの人格攻撃なのかきついコメントがその倍以上ついている。時にはファンらしきユーザーの応援コメントもある。

「漫才しにいくか。」

舞は立ち上がって、巨大なあくびをした。
「お前らも暇ならこいや。」

駅前。人々が忙しく行き交う駅前。時間は昼。オフィスで働く人たちがスマホを見ながら効率的に昼の栄養補給をする時間。

「はーい、みなさんやってまいりました! 津込舞でございますぅ!」

真っ黄色のジャージをきた女芸人が音の出ないマイクの前に立って、声を張り上げる。迷惑そうにイヤホンをつける人。チラリと見てすぐに立ち去る人。歩きながら写真を撮り、どこかに投稿する人。立ち止まる人は、いない。

「新宿の皆さん! 腹減ってませんかね。美味しいネタありまっせ。と言っても腹は膨れんがな。ただ笑って腹減るだけや。」

『おもしろーい』

ハルが遠くからPパッドで感想を伝える。三猿は遠巻きに舞を見守る。ボクは立ちながらゲーム機から目を離さない。事務所よりも機嫌が悪そうである。石田はスーツのポケットに手を入れて、退屈そうにあくびをする。

「えー、ではひとつおもろい話させてもらいますわ。わたしが高校生の時やねん。」

こうして話をすると、どれだけ一人の人間ができることがいかに小さいのかがわかる。どれだけ大声で話しても、ビルは動かない。空は晴れない。風も吹かない。ゴミも片付かない。サラリーマンはスマホから顔を上げない。若者は顔を背けて通り過ぎていく。

石田があくびをする。退屈すぎて、あくびをする。あくびをしすぎて、顎がいてえ、と石田は言っていた。

夢を見るのが好きになった。

将来の夢とか、「やりたいこと」とか、起きている時に見る夢ではない。ただ、眠っている時に見る夢。大人になるまでは、人間の三大欲求の「睡眠欲」がよくわからなかった。眠くなる、というのはわかるけれど、自分から「眠りたい」と思う理由は特にないと思った。

「うちの高校、修学旅行どこやったと思う? 九州? 日光? 広島? 沖縄?  北海道? 実はそんなんちゃうで、四国一周やで。おかしない?」

その問いかけに答えるものはいない。本屋に並ぶたくさんの本のように。世界に溢れかえるくだらない情報、言葉のように、やり過ごされ、通り過ぎ、踏み倒されていく。

だから、舞は想像する。口は勝手に動く、話ならいくらでもできる。それで人は笑うかどうかは知らない。けれど、音の出ない偽物のマイクに向かって話していれば、ここにいる理由はできる。昼間の街に立って、一人売れない芸人として、白昼堂々、とっぴな想像をすることができる。

街の人は気づかない。舞が想像していることに。

「あたしを、日本一のお笑い芸人にしてくれ。」
「うん。いいと思う。」

想像の中では、舞は日本一のお笑い芸人だった。

「舞さん、おめでとうございます。史上初、ピン芸人にも関わらずM1優勝。」

「いや……私の力でないで。笑いの力や。」
「笑いの力、と言いますと。」
「笑いには世界を変える力があるからなぁ。」
「なるほど、すなわち人の心を動かす力のことですね。」
「そや、そや。わかっとるなぁあんたは。人間、笑ってればええんや。どんな時にも、笑ってらそれでええんや。それだけ。特別なことやないで。」
舞は誇らしげに、インタビューに答える。
「さあ、みんな笑え! 笑ってまえ! あはははははははっ! つまらなくても笑えや! そしたらおもろなってくるから! お笑いのなぁ、技術とか面白さとか何も関係あらへん。そもそも、人に笑わせてもらおうちゅうのがアカン。おもろなくても笑えや。それでええんや。それでお前もチャンピオンや。アタシはそれが言いたいだけや! あははははははははっ!」



「あははははははは!」
舞が、いつまで経っても売れないのは、漫才に入り込みすぎると自分自身も笑ってしまうからだった。
「あはははははっ! ちょ、待てやお前。あはははっ! ああ〜おーかしいっ!」
舞は腹を捩って笑う。膝をつくと、コンクリートの硬さが痛みとなって、膝から脳天に突き刺さる。よろよろと、手を付く。昼の太陽に温められたコンクリートの温度を、舞はよく知っている。


「あははははっ! ははははっ! フッ、ふはははははは! ヒィーーーーーーーッ! ふぅ、フィ、フハハハアハハハハッハッハッハッ! おかしい、あかんでそれ! あかん。フハハハハハハッ! ちょお待てや! アカンあかんアカン! ギャハハハハハハっ。ギャーーーーーーーーハッハッハッハッ!
ちょお待て、死ぬうーー。笑いすぎて……ファ、ファ、ファあッアハアアア! ハッハッハッハッ!ヒフウー、ヘッヘッヘッ。やめぇ!やめえってホンマ。やめぇッて、ボケとんのはアタシや!
ブフッ。ブアーーッハッハッハッ!アハハハハハハハハハッ!ヘッ。ヘグッ。ヘグッ。プヘッ。プッ。ハハハハハハハハハッ。ハハハッ。グフッ? チョッ、ちょっ、キューーーーーーーーッ!クククククくっ。…………クククククククっ。はぁ。ハアッ! ヘッ! クッ! プフフフフフフフフフッ! やめぇ! アカン。グハハハハハハハ! ハハハハハハハハハハハハハハハ! フェッ、チョッ、ぷーーーーーーーーっ!あかんあかんあかんあかん、ブヒッ!アカン。アカン、あかん、オカン。オカンゆうてもうた……アカン! ブヒューーーーーーーーッ!……って!なんや……ねん!

あああああハハハハハ死ぬうーー。死ぬうーー。死ぬうーー!フィッ! フィッ! フィッ! フッ、ハハハハハハハハハハハハハハハッ!アカン……アカンって、おい! おほほほほほほほほほほほほほほっ! ウヘヘヘヘへへへへへへへへへッ! チョッ、クッ、へへへへへへへ! 誰かぁ!助けぇ!

ガァーーーーーーファッファッファッファッ!グフフフフフフッ……、おかしなっとる……、ヘッ……クッ。ちょっ、だから……ちょっ……フフフフフフフフ! どないやねん……。どないなっとんねん! ほんともう!やめろやああああああ!ハハハハハハハハハハ!ヒィーーーーーフッフッフッフッ!ヒィーーーーーハァ、ハァ……ハァ……、もう、笑いとうない……はぁ……

はあ、はぁ、はあ……へっへっへっへっ。くぅ!
ヒッ!
はぁ、ハァ。グス、グス、グス、グスッ、ゲホッ。へぇ、へえ、へえ……グヒッ……へぇ、へぇ、へぇ……。へぇ、へぇ、へぇ……へぇ、へぇ……へぇ……へえーーーーーーーー。へぇ……、へぇ……ぇ。ふうううううううっ! へぇぇぇぇぇぇエェッ! ほおおおおおっ! ふう、ふう、ふう、ふう……ふう……ふう、ふう。ふう。ふう。ふう。ふう。ふう。ふう。ふう。ふーーーーーーーッ!くっ!

くはあっ!

はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁはぁ……はぁ……はぁ!……はぁ……。

んんぅ……はぁっ!クハッ! んんぅ、はぁっ!

……はぁ。グスッ!……はぁ、アカン。はぁ……、もう立てん。はぁ。はぁーーーーーっ。はぁ……」

舞はガードレールに寄りかかって、肩で息をする。力尽きて、そのまま道路に倒れる。

空は青い。ビルの表面がきらりと太陽の光を集める。目に突き刺さる光を、遮るように腕を閉じた目に乗せる。固い地面に体を預ける。なんとなく、地球が丸いような気がした。

なんで自分がこんなことをしているのか。よくわからなかった。でも、あのとき自分がなんで何も持たずに植え込みの中に倒れ込んでいたのかが、わかったような気がした。多分、酒を飲んだまま漫才をしたのだろう。チラシが配れなくて、チケットが売れなくて、最後にはきっと自分の芸を見せようとして植え込みの前で漫才をしていたのだ。

夢を見るのが好きになった。

コンクリートの底で。人々が通り過ぎる世界で。ビルの谷間で。青い空の下で。笑い疲れて、気を失う。

それでも、人は目を閉じて意識を失った果てに夢の世界を見る。どんな現実の中でも、心の中に安らかな世界を見る権利を持っている。

最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!