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Day 16 : ゲンショウ・原初・現象

さて、言葉でどう踊るか。なかなか難しい問題だ。なかなかむずっかしい問題だ。そもそも言葉は踊るためにあるものではないからだ。言葉は言葉の意味を伝えるためにある。

そうだろう。

だから私たちは言葉を推敲する。言葉を滑らかなものにする。言葉を忘れさせ、意味を届けることをただ、遂行する。

宅配便が届くことをイメージする。中のものが大事であって、包装は大事ではない。だから、不恰好な茶色い紙に包まれていたとしても、中にあるものに感動する。言葉も同じ。

言葉は包装紙。

意味を包むためだけの。意味が私たちの中にスッと入り込む瞬間。それは、言葉が忘れられる瞬間である。

「おはよう」

意味のない挨拶を交わす時のこと。私たちの頭の中には、「おはよう」という言葉が浮かんでいるのではない。もはや、「おはよう」は「おはよう」である必要はない。「ヨンペイ」であってもいい。ただ、あなたが朝起きたことを誰かに伝えることができればそれでいい。

言葉は心の中に現象していない。

ことばがつっかえる。ことばが出てこない。うまく書けない。うまく言えない。

私たちが言葉をあえて意識するのは、包装紙としての機能が失われるとき。これは足が痛い時に、初めて歩くには足が必要であることに気がつくことと同じだ。誰かがいなくなって、初めてその人のはたしていた役割に気がつくことと同じだ。

言葉がない。

痛みと無理解。曖昧さと、無意味さ。不可解。退屈。

言葉を現象させる最も簡単な方法は、無意味な言葉を表すことだ。何もないものを入れてはじめて包装紙は「そこにある」とみんなに認められるものになる。

しかし、何も入れない包装紙ってなんの役に立つのだろう。

破り捨てられる。

包装紙のメタファーはもうやめよう。

私は書く。そのまま書く。書いたことをそのまま書く。意味を伝えたいわけじゃないから。

書いたという事実をただ、ここに残しておきたいだけだから。

書く、ことができれば、日本語でなくてもいい。文字でなくてもいい。

くだらない小説で、あってもいい。

これは『三猿ベイベー』という小説だ。その、一幕。


石田は、ビルの屋上に立っていた。この世界の任意のビル。さて、「この世界」とはどの世界のことか。書かれた小説の世界のことか。それとも、ただ思いつきで書かれた小説にはその内部の世界など空想する価値はないのか。この問いかけ自体にも、答えたり、真剣に考えたりする価値はないのか。

石田は、そんなむしゃくしゃした気持ちでビルの屋上に立っていた。この世界を見下ろす場所。

見下ろすといえば……

彼は夜なのにサングラスをかけている。真っ黒なサングラスをかけている。その目の奥は見えない。しかし、奥が見えないほどの濃いサングラスであるということは、石田側から見る世界も真っ黒であるはずである。

風が吹く。風は見えないものだ。

明かりが走り去っていく。夜は光るものがよく見える。空の星。車の流れ。ビルの窓。電波塔。具体名を言うならば、スカイツリー、東京タワー。そして、レインボーブリッジ。看板。大型ディスプレイ。

また風が吹く。なまぬるい風が吹く。匂いがする。様々なものが混じって、ノイズのような匂い。元が何だったかわからないが、この都市が吐き出したものであることは確かだ。

石田は息をする。吸って、吐く。ノイズにまた一つ彼の匂いが加わる。

そう言えば、面白い話がある。ノイズから一つ取り出しても、それはまだノイズなのか。ノイズを構成する雑多な出来事。それらは元は単純で鮮明な出来事だったはずだ。それらはいつからノイズになるのか。

社会という複雑なノイズは、それに生きる人間一人一人によって生み出されている。

「はあああ〜」

石田は息をする。

「変わったなぁ……東京も。」

風が吹く。

石田は息をする。

「探すか。」

彼はサングラスの縁を摘んで、上にあげた。彼の目が開かれる。その瞬間、彼の体はわななく。しばらくの間だった。息を止めていた。普段サングラスで隠れている目は、描写するのには難しい形をしていた。それは普通の目ではない。色も形も。しかし、ここでは見た目は関係ない。小説なのだから。言葉だけ。彼は特殊な目を持っていた。

再び息を吸って石田はサングラスをまた鼻にかけた。黒い視界が戻ってくる。

「見つけた。」


「舞ちゃん。」

「ふ……ふあ?」

いつものように舞は路上で漫才をしていた。そして、いつものように自分のネタで自分で笑い崩れてコンクリートの上で力尽きていた。

「大丈夫?」

光乃の声。目を開けると、地面に触れていた体の面が痛い。骨の隙間から脳に伝わってくる電気信号。痛い。心がそう理解する。喉は乾いて粘膜が張り付き剥がれる。これもまた痛い。

「すまん。また……」

「いいよ。」

光乃は手を差し伸べる。舞は、膝を立ててなんとか手を伸ばす。起き上がる。しっかりと掴まれた手は強い。

「ヨイショ。」

目線が合わさると光乃の着物からお香の匂いがした。舞は軽く黄色いジャージについた埃を払う。地面に寝そべっていた。細かいチリがまとわりついている。舞の目には見えないが、何かがまとわりついているのだろうと思っていた。

「すまんな、今何時や。」

「3時。」

「そか。」

二人は歩き始めた。

「わたし、舞ちゃんの芸いいと思う。」

「そか?」

光乃の言葉に、舞は横を向く。光乃は笑って、それが本当だと示す。その言葉は自然な心から発されたものだと、舞は理解する。

「特に、スベりまくっているところが。力尽きて最後ぶっ倒れるところとか。」

「それ、一番悪いところやがな。」

「ううん。一番悪いところが、一番の武器でもあるのよ。」

「そか?」

「そう。」

光乃はまた笑う。

最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!