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書かなければ何もない

どんなにささいなことでも書かれる価値がある。というより、書くことでそれが価値あるものになる。書かなければ何も始まらない。書く前から、素晴らしいかどうかとか悩まないようにする。書き始めることだけに私は集中する。

初めて何かを書いた時のことを覚えている。学校の課題だからではなく、誰にも言われたわけでも書き始めた時のことだ。ふとした時から、誰にも読まれることのない小説を毎晩書きはじめた。

書くということが、自分に世界への目線を開いてくれた。

目の前の出来事全てが、小説の世界のネタになった。悲しいことも、辛いことも言葉にすればそれが何か意味のある形になる。それだけでよかった。誰に評価されなくても、書くことが自分に与えてくれるものだけで私は満足できた。

その時、楽しみながらも私は別の思いで必死になっていた。書かなくてはいけない、とも思ったのである。いつか失われる今の自分を、どうしても書き残したいと思った。

高校生だった私は、直感的に今の自分がいつまでも同じではないことを感じ取っていた。そして、二度と今の自分は帰ってこないだろうということも。だから私は、今しか書けないものを書こうとした。

書くジャンルや、内容はこだわらなかった。こだわりようがなかったというのが正しい。小説では、物語の流れがある。それに組み込むことができない日々の感情は、独立したエッセイとして書いた。どうしても、感情が静かに表せない時、夜に寝付けなくて、長く書く体力もない時は詩を書いた。内容はどうでもよかった。物語の構成や表現について細かく考えてはいたが、結局書くことができたのは、今の自分の手元にあるものだけである。その面では、迷いなく書き続けることができた。机に向かって、ノートに何かを書けばそれが今の自分だった。

私は自分なりに、自分を愛していたのだと思う。書いているうちに、これを書くことができるのは自分だけなのだ、という思いが強くなった。それは、今に至るまで続いている想いである。

自分のことを書かなければ他に誰が書くのだろう。そう思うと、読むよりも書くほうが好きになった。書かなければ、失われてしまう。意味がなくなってしまう。だから私は、自分が生きていることを確かめるように書いていた。だから、書いておしまい。ということはなかった。書き続けなくてはいけなかった。今日には今日の自分があり、文章があるからだ。

書かなくては何も始まらない。

書かれるべきものなどはない。ただ、書かれたものが全てである。それが、どんなものであってもいい。書くべきかどうか迷う必要もない。他の人に読ませるかどうかは、そのあとで考えればいい。

そうした単純な考えが、私の書くというものの根底にある。だから、これから書きたいと思っている人にアドバイスをすることもあまりできない。私はただ書き慣れているだけだから。でも、そんなふうに書くことができると知って「私も」と書き始めてくれる人が一人でもいたら嬉しい。

大切なのは、書くことを自分のものにすることである。書いてきた時間は、かけがえのない財産として私の中にある。私は書くことで自分を作り上げてきたのだと思う。そしてこれからも、そうであろう。

最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!