書き重ねる:2020/11/30

よくわからないが、書きたいので、書こうとする。甘えるような気持ちで、言葉を探る。よく知っている言葉、よく知っている言い回し、癖のようになってしまっていて、面白くはないが、とにかく今日も書けるだろうと安心する。

毎日書いていると、どうしても書こうとしても書けない日があるのではないか?と思う。誰に聞いたわけでもないが、自分に対してよくも毎日かけるなあ?と少し疑いの目で問いかけてみたくなる時がある。だって、人間なんだからたまには書くことを投げ出したくなる時もあっておかしくはない。

今のところ続いているが、「続いている」と考えることも「どうして続けられるのか」と疑問に思うことも鬱陶しい。書けないとか、思いつかないとか悩みをすっ飛ばして書き始めてしまうことにためらいがないわけではない。もうちょっと葛藤した方が、面白いものができるのではないか?

いつも書く前には葛藤していなくて、書いてからいろいろ考えているのだ。書いてから、自分が書いたものはなんだったのか?考え始めている。

気がつけば、自分語りをしているなあ。そう言えば、自分だって、自分で作り出した出来合いのものだろうと、普段の私なら切り捨てるところだったと思う。

ここから仕切り直すのも面倒くさいので、仕切り直すとかそのまま開き直るとかも面倒くさいので、まあとりあえず書き続けることにしよう。

自分の思っていることをなんでも書くことができればいいなあ。文語体から離れて、話口調に近づいている気がする。話すよりかはもっとゆっくりとしたリズムなのだけれども、心の中の私は語っている。書くよりも。

そうだ、そう言えば最近わかってきたことがある。私は書きたいのではなく、たぶん「書いている」ことを感じていたいのだ。文章を作りたいのではなく、ただ文章が体から流れ出る感覚を味わっていたいのだ。だとしたら、よくあるような「これぞ文章」というものを書いている必要はない。むしろそんなものを書いたら、自分の中の心の声を無視することになるじゃないか。

最近わかってきたことがある。私は、私を頼りにして繰り返す。言い直すように繰り返す。さっきまでの自分を忘れてもらうために繰り返す。私は多分、文章が意味するところではなくて、言葉の深いところではなくて、言葉が広く広がっているところが知りたい。私が何を書いて何を言っているのかではなくて、私が書いているこの瞬間を、上から見下ろしたい。私はここで書いていると、強く信じたい。私が書いているこの言葉が生まれる瞬間を、言葉の上から見下ろしたい。その言葉がどこに行くのか、どう響くのかどうでもいい。

なら、書くことに拘る必要はない。「書くこと」に拘る必要はない。おそらく、ペンを持つ必要も、指を動かす必要もないとは思うのだけれども、とりあえずこうして書いているだけだ。どういうことなのだろう?なんの血の迷いだろう?書きながら、顔は紙ではなく、上を向いてしまっている。地面にペンを突き立てたまま、上に広がっている夜空から目を離せない。いやしかし、この道具では空を飛ぶ事はできない。仕方なく、私は書きかけの線の続きを書く。

ああ、詩的な宇宙ならあの水平線までまっすぐ行ったら空が広がっているはずだ。いや、もしかしたらペンを振るって疲れて、疲れきれば精神だけは高いところにぶっ飛んでいくのかもしれない。それははたから見れば変なふうに思えるけれども、私は確かにペンを使って飛んだのであり、そこに文句のつけようはない。



あれ、書き重ねるってなんだっけ?そう言えば最近、枕が本編になってきて、肝心のコンセプトの説明が疎かになってきてる気がする。そう、私はこのコンセプトのおかげで書いていられるのだった。

ある時私は、毎日同じ文章を書くことを思いついた。毎日同じことを書こうとして、文章を磨き上げるのだ。まるで、画家がデッサンをするときに何度も線を書き直すように。定まった狙いをちゃんと描く力が欲しいと思った。確かにそのとき「欲しい」と思ったのだけれども、今思えば、子供の頃の「ほしい」みたいにいつかは忘れてしまうようなものだったのかもしれない。でも、その時は地面に体を打ち付けたくなるほど欲しくて、仕方がなかった。それに文章の上ではなんでもできるから、やってみればいいと思った。

しかし、毎日毎日書き重なる文章は、真っ直ぐには積み上がらなかった。ねじれて、地面に潜り込んだり、あるいは、別の柱を打ち立てたり、今までに書かれたものを全て押しつぶしたり。これじゃあ、毎日別のテーマで書いていることと変わらないなぁ。とこっそり思ったりした。しかし、一ヶ月やると決めたらやるべきだろう。私は何故か、文章の日にちだけにはうるさい。毎日書くことは守っている。そのノリで、一ヶ月続けるということは守れそうだ。守りたかったから、まあマガジンを更新している。

しかし、毎日毎日書き重なる文章は、いろいろなことを私に教えてくれ、いろいろな書き方がこの世にはあると教えてくれ、少しばかり自信をもたらした。自由な文体を試す機会を得た。同じテーマであるから、あるいは続けて読めばわかるだろうという読者への甘えから少しだけ自由に書くことができた。今までよりもほんの少しだけ。しかし、その少しの自由が尊い。

だから、明日も懲りずに書き重ねるだろう、それだけは確かに思えることだ。

最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!