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2021年1月下旬の記事まとめ+制作日記

はじめに

一月の制作日記をまとめました。読みやすいように、どの記事と日付が対応しているのかを、まとめました。

普段、読者への配慮というものを全然意識していない私ですが、先日note交流会に参加して、「読者への配慮」がある記事を読ませていただきました。リンクの貼り方などが適切で、文章がわかりやすかったです。それを参考にしてみました。

散文を文字通り書き散らかしている私にできることは、とりあえず並べてみて、どんな気持ちで書いていたのかを添えるぐらいです。もともと、まとまりがないものなので、こうして並べてみるだけでもこれ以上ない「たくみん」のまとめ記事になっていると思います。

それぞれの「制作日記」は記事を書いた後に、疲れた手で書き残したものです。言葉は適当ですが、いい感じに素が出ていると思います。逆に、制作日記に力が入っていると不完全燃焼だったのかもしれません。

お時間ある時に、気になった記事を読んでみてくださいませ。

2021/01/15

ずっと書いていたプロジェクトが終わる。「わたしではないわたし」。さっぱりしたけど、書きごたえが変わってしまったのを感じる。書くときは、やっぱりそのテーマに体重をかけていたのだな、と思った。

特に「わたしではないわたし」は自分を、思いっきり体重をかけて書いていた気がする。自分のどうしようもない部分から出る言葉を書くことができた。

それが今日から、新しい何かを書かなければいけないということで寂しい気分になっている。「新しい書き方って何?」どうして、自分を新しくしなければいいのかわからない。

だからタイトルに迷いが出ていて「タイトルを決めるところから」みたいなタイトルになった。これから「記事」を作っていくのだな。としみじみしている。「記事」から離れて「書くこと」を追求していたのだけれども急に、何か形になるものを作らないといけない気がしている。

今までも、そういう書き方をしていたと思うのだけど、一周回って別の何かを作っている感じが強い。書いているときの口調も何かを「考えて」いる文体だったと思う。これから何が書かれるのだろうか。それだけではなく、何をわたしは書くつもりなのだろうか。

昼食を食べた後、隙間時間に書く。

思い切り書くとか、すごいものを作ろうとか思わずに、散歩するように書いた気がする。何が書かれてもいいから、とにかく歩いてみる。歩いている感触を味わってみる。

多分、「テーマ」を追いかけていた頃よりも弱い力で前に進んでいる。

そうだ、もっと弱い力で進みたいんだ。とわたしは書いているうちに気がつく。

(1/16日は制作日記を書き忘れたようです。)

2021/01/17

きのうは頭の中で書いていた。弱い力で進んでいくこと。

それで、今日も書いてみた。ああ、わたしはかんたんな言葉で考えたいのだな。ときづく。おもっていたとおりにはならなかったけれど、いつもの自分とはちがうけれど、あんしんする場所を見つけた気がする。

ひらがながおおいだけで、なんとなくあんしんする。

むずかしいことはかかなくていいのだとあんしんする。引用しないのも、誰かの言葉を借りないのも、わたしはだれにでもわかることばで書きたいからなのかもしれない。

いったんことばを、たいようのもとにさらしてみる。むずかしいこりや、漢字のふくざつな線をほどいて。自分がなにをかんがえていたのか、かんじていたのかをさらしてみる。からだをのばすみたいに。おおきく、いきをすうみたいに。へたなものはへたなままでいい。

そうしたら、いつものゆるいらくがきが、にあう文章になるだろう。


2021/01/18

きょうは、ゆるい「え」がにあうように、ぶんしょうをかいていたのかもしれない。

いちいちひらがなに、へんかんした。へんかん、というとおかしいきぶんになる。わたしのぱそこんは、かってにことばをかんじにする。だから、わたしはひらがなへとことばをへんかんする。それが、おかしい。

さいごは、えをかいた。せんだけのえ。なにかがひらいていく、ようす。それがおかしい。どんなえをかきたいのか、かけるのか、わたしはしらなかった。それでも、さいごにゆるいえをかけるように、わたしはかいた。ゆるくかいた。

くろーぜっとにとじこもって、かいている。「ひらいていく」というだいめいなのに。それもおかしい。


2021/01/19

noteのiPad版がリリースされたようで、それでワクワクしながら書いている。アプリ版ということで、画面がスッキリして気持ち良い。これからもたくさん書いていきたい。

だんだん、絵が自分の記事の主体になってきている気がする。「書くこと」と自分の関係について、どう考えているのだろう。「絵」ってなんなんだろう。

ゆるい絵に合わせて書く。合わせるというか、ゆるい絵が、後から描かれるということを頭に入れて書く。そうすると、言葉で全てをどうにかしようとするのがどうでも良くなってくる。

「しかたない」という声が、自分の文章の奥にある。それにどうやって触れていくか。仕方なくあくびが出てしまう。晴れていたら、散歩に出たくなってしまう。そんな自然さで、文章を書きたい。


2021/01/20

随筆らしい随筆ってなんだろう。「段」という概念について書いてみた。最初のタイトルをどう書こうか、迷ったのだけれども結局、今日は「段」にわけて書くと決めていたので、こんな書き方になった。

自分の中にあるものが、文章によって引き出されていく感じを覚える。それが気持ちよくて、いつまでも書いて行けるような気がした。

無理して書くのではなく、自然と文章が飛躍していく感じを久しぶりに味わうことができた。

その中で、普通なら文章の中に現れない一言の呟きのようなものも挿入できたし、フィクションとか、詩もその中に入れていい。短歌も、俳句も。
文章間の飛躍を、一つの記事にまとめるやり方はとてもよく、多分明日もそうやって書くと思う。


2021/01/21

「さみしさの音」というタイトルにした。

明確に、違う書き方をして、一つ一つ言葉を探るように書いた。
一時間時間があったから、休み休み書いた。

この書き方もいい。

長い時間走ったような気分で、書き終えた達成感がある。小説のような気もするけど、随筆のような気もする。

文章を飛躍させると長く走れる、と知っていたから、今日は別の場所に行ってみたかったのだと思う。

自分の中にあるものは、今、出した方がいいよ。と他の人に言ってもらったので、「作品」を書くことにした。
でも、普段やっている「書く」ことの延長にあるもののような気がする。「書く」以外のことはやっていないような気がする。

どれだけ説明するか、どれだけ書くのか、考えていた。考えなくなるまで、書いてみたい気もする。

昨日と同じで、この書き方もまた明日すると思う。


2021/01/22

iPadのnoteのアプリだと、文章の形が特殊になる。
改行が、デフォルトになっており、段落を変えないで文章を区切ることができる。

ブラウザで書くときも、自分でそうやってそうすればいいと思うのだが、自然にそうなる環境で書くことで初めて気がついた。

今日も「書くこと」について、まとめる気がないから、同じことを何度も書いている。
新しい文体を試すために、わかっていることが、その文体ではどう表現されるのかを点検しているのかもしれない。

「イラスト」プラス「記事」という初めに作ったスタイルと、一致するが、文章の中身を見ると、全然違う。螺旋階段で、一回りしたみたいな。「変わった」ってことが、自分でわかる。

昨日のフィクショナルな感じを引きずって、すぐに「論述」から離れたいと思ったのだけど、意外とずっと考え事が続いてしまった。
言葉がそう書かれるべきだったから、わたしもそれに従った感じだ。

初めの雰囲気から、もうすでにフィクションもエッセイらしき物も書けないと思った。
次は、書き出しにも注目してみようかな。


2021/01/23

今日は、なかなか書く気になれなくて、じっと白い画面を見ていた。

書き始めると、時間がかかって、書いているものとの時間感覚がづれていないか不安。

物語を書く、と明確に方向性がさだまった。ので、そこからは考える基準を持てた気がする。書くことは大変だと感じたけど、時間はたくさんあったからいい。

二時間ぐらいかかって、今まで書いていた記事の何倍もの時間を使った。慣れていないのと、そもそも文章を書くことに時間がかかるということ。でも、途中で投げ出したくなかったし、自分の中にあるものを捨てない、という気持ちで書いた。今、腹の中にあるものは、今出さないと忘れてしまうから。

そんな気持ちで書くと、また書けそうな気がしてくる。

書いて、もっと書きたいと思うのは、いい書き方だと思う。


2021/01/24・2021/01/25

昨日、制作日記をつけ忘れたので二日同時にかく。

昨日は、朝に書き始めて途中で書く手が止まった。夕方に書き継いで終わらせる。「物語」風のものを書くことに最近ハマっていて「終わり」という概念が出てきた。

いい加減に終わってもいいや、という気持ちで書き始めるとなんだか書けるようになった。それでも、登場人物が重くてちゃんと書いてあげたいという気持ちになる。

朝に書いて夕方に書き継ぐ、という書き方をするのは久しぶりで大変だった。


昨日の反省から、今日は朝に一気に書き上げるつもりでかいた。ストーリーも考えていないが、書きやすいように自分の経験をもとに書いた。今までこういうことを書いたことがないけど、自分の体験をそとに出せるのがうれしい。

いつもは15分ぐらいで書き終わるのだけど、今日は一時間今日かかった。



2021/01/26

今日は時間が限られていたので、思いつくままに「物語」を構成しようと思っていた。途中で「ナラティブ」の話が出てきたが、随筆と物語の間にあるものがナラティブだと思う。

思いつくままに物事を並べただけでもなぜが「物語」が出来上がる。

ストーリーのような一本の複雑で、とんでん返しがあるようなものはどうしたって書けない。構成するのもめんどくさいし、決まった時間で作るのは大変だ。

だから、随筆的に物事を飛躍させて、飛躍させて、フットワークも軽く軽く物語を展開する。「物語」というしっかりしたものではなく、「語り」であればいいし、情景描写だけでもいい。それで「物語」が作れると思うと、今まで書いていた随筆と同じ感じになる。

そもそも、あたらしい何かを自分の中から捻出しようとしなくてもいいのだと気がつく。書き続けていれば、自分の中から変異していく。


2021/01/27

キーボードで書いていると、「キーボード」の話になる。初めはそうなのだが、つらつら書いていると、話題が移っていく。

とりあえず、タイトルを書くときに思いついたことから書き始めている感じだ。今日の話は物語にはならない。

物語的に書いていた場合、タイトルを物語の展開に合わせて変化させることもあるが、随筆的に書くならば、最初のタイトルを置いたまま(置き去りにして)進んでいくことになる。

内容通り、キーボードをコチコチとゆっくり押しながら書いたのだが、指はあまり痛くならなかったし、スピードも気にならなかった。最近、noteに書く以外にも手書きで書く時間を増やしたので、安定した。妙に焦ることがなくなった。

そもそも、今日取り上げた内容も、昨日手書きでノートに書いた内容が元になっている。下書きがあるからと思えば、気楽にかける。と言っても、そのまま打ち直しているわけではないから、内容も違うし、考えなければ書けない。

面白いのは、昨日書いた時は手書きの文章を中心に考えていた点。何で書いているかで文章の視点が変わる。今日の文章はキーボードでnoteに直接書いているからタイトルも「キーボード」が入っている。

iPadのnoteアプリでかいているのだが、アプリ版では「文字数」が表示されない。なので、終わらせる目安が時間になる。書いていると気持ちがいいので、一時間ぐらい続けて書くようになった。時間に余裕があるから、書くこともゆったりしている。

細かい変化として、「自動変換」の機能をオフにした。言葉の無変換状態を基準にしたほうが自然な感じがするし、誤変換の修正をする手間がなくなる。自分が書いている感じがする。これも「書き味」の話である。


2021/01/28

散文的定義集。

途中、敬語になったが一旦敬語になると抜けようとしても、敬語を抜けられない。

抜けようとして、体言止めとか、話しかける感じで変化しようとしたが、それがむしろ敬語のはばを広げた感じがある。丁寧語であまり書かないので、参考になった。

散文的な辞書があればいいな、と思っていた。国語辞典はあまり面白くない。高校生の時に、言葉の意味がわからないのではなくて、それこそ「愛」とか「恋」についていろいろ悩んで、辞書で「愛」について引いたことがある。結果は、よくわからなかった。

今日書いたみたいな辞書があれば、高校生の自分はいくらか楽になったと思う。

正確に何かを書くとか、何かを考えることとかではなくて、「なんだ、これっておとなもわからないんだ」といういい加減さに対する「安心」も考える上で勇気になる。

「散文」という言葉は、他の人からもらった言葉。昨日note交流会に出席した。自分の文章を読んでもらって、「散文なのか、小説なのか、随筆なのか……」と含みのある感想をいただいた。小説と、随筆、エッセイとジャンルに関する言葉をいろいろ使ってみたが、「散文」という言葉は新鮮に感じて、使うことにした。文字通り、散らばっている。敬語も、高尚な概念も、どうでもいいことも。



2021/01/29

SFを書いた。こんなものが書きたいなあ、となんとなく思っていたものを文字に起こしていくと、こんなふうになった。

思ってたものと違う。でも、思っていたものもちゃんとある。

1日かけて書いた。朝と、昼と、夕方の空いている時間をつかって書いた。とても時間がかかった。これが、今日書くことの限界だと思う。たぶん、限界に合わせて「書きたいこと」も柔軟に変化したのだと思う。

物語を書くことに慣れたいから、自分がどんなものを書くことができるのかを色々試している。物語にすることで、語れるようになったものもある。

いろいろ書いて疲れてしまった。
書いたものがどんなものか、よくわからない。


2021/01/30

小説? を書いた。アイデアは頭にあったが、やはり実際に書き起こすと全く具体的なものになる。メタ的な文体は、正直言ってマッチしている。随筆と同じ感覚で書ける。

わたしが饒舌な嫌いがあるが、まあ、随筆だと思って読むか、小説だと思って読むかの違いだろう。今更、小説っぽいものを書こうとしても無理である。新しい何かをするのではなく、今までのものの組み合わせで、新しいものを書く。

としたら、2月のターゲットは小説で、小説を今までの文体でどう書くかを模索することにした。


2021/01/31

2月になったら何かを始める。

という予告編。なのか、なんなのやら。メタ小説の形式を試してみただけ。結局は、今まで通りの書き方で行けるような気がする。

というか、小説に慣れていないから、メタ小説にするというのはある。随筆の方から、小説を書くと自然にそうなる。

明日から書くとなるととてもワクワクしている。

二時間ほどかけてバーの下りを書いたが、まあ、これでいいだろうという感じだ。

そもそも、わたしは物語自体の感動よりも、「書くこと」を見せたいのだと思う。だから、メタ的になるのかなぁ、と色々考える。

最後の方は、記事を書くのに精一杯で制作日記があやふやになっている。まあ、ポートフォリオ的に記事をまとめておく意味があると思う。

めんどくさいけど、この二週間で書いた記事をまとめておく。

「わたしではないわたし」を書き終えたあとの、クールダウン期間であった。結果、最初の方にnoteに投稿していた、「ゆるい絵」+「記事」という形式に戻ったのは面白い。

さらに、随筆というジャンルを固めたのと、同時に「物語」っぽいものに手を出したこと。その勢いで、来月はメタ小説を書こうとしていること。なかなか、変化があった二週間である。この密度で二週間だったのかと、驚愕している。二週間前のわたしと、今のわたしはおそらく、話も通じないほどに別人である。

一応、これで1月の制作日記を終える。


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最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!