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どこからでも書き始められます

お弁当の醤油の袋に、「どこからでも開けられます」とあるが、日常というパッケージも同じで、どこからでも切り込みを入れることができる。

小賢しいことに、どこからでも開けられるのだが、わたしたちは醤油を注ぎやすい先の方を破いて注ぎやすいようにする。真ん中から袋を開けると、指に醤油がかかる。だから、本当はどこからでも開けられるのだが、都合の良い場所を開けてしまう。「どこからでも開けられる」というのは、「開けやすいところで開けなさい」という命令でもある。別に開けることで自己表現をしろと言われているわけではない。醤油の袋を開けるたびに芸術的なインスピレーションを使ったりはしない。

書くこともそうで、いつなんときでも、人生のどのタイミングで書き出してもいい。いつやめてもいい。だから、ある意味では難しい。よく、若いうちから書き始めていたりすることが、書くことの資格であるように語られる。本が好きだったり、他の人がしていないような独特な経験をしていたり。これはまさに、書くことがあまりにも自由だから、特別に「開けやすいところ」が目立っているのだろう。もちろん、そのように書かれることの方向性が決まっていくのは当然の流れである。

本当は、どこからでも書き始めることができるのである。人生というやつは。日常というやつは。書いたときには、やはり指は汚れる。自分の自意識で、他人に認められたいという欲で、あるいはペンのインクで。それでもなお、書き始めることはできる。

書きたいと思ったときに、書くべきだった時に戻ることはできない。自分が今いる場所で、書くしかない。昔のことを思い出して、これからのことを想像して、今の自分が書くしかない。書くのに、ふさわしいタイミングなど本当は誰も選ぶことはできないのかもしれない。書きたいと思う衝動が生まれてきてしまったら、しょうがない。生まれないのであれば、書かないまま通り過ぎてゆくのもよし。うまいところで切れ込みを入れて、上手に吐き出すことができればいいのだけれども、時は遡れないから、ほとんど理不尽に汚れることになる。

仕方がないので、格好よく自意識にまみれてしまおうか。どうしても、どうしても書きたいのだもの。まき散らしてあげるので、ついでにどなたか一緒に汚れましょう。今から書くのも楽しいですよ。

最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!