書き重ねること:2020/11/10

同じものを何度も書く。それを「書き重ねる」ことと名付けた。同じテーマで、毎日書き続ける。

単純なことだが、書いている私はそう簡単でもないことに気がついた。毎日、「書き重ねる」ことについて、説明する記事を書いている。記事で何を書くかは決まっているが、どう書くかは決まっていない。そもそも、「書き方」なんていうものがあるのかどうかわからなくなってきている。昨日の自分が書いたやり方はどうして、そのやり方だったのか。決まった理由がはっきりしないのだ。

書きたい考えや、横道にそれるようなアイデアは色々あるが、整理した方が良さそうだ。

「書き重ねる」ことについて、毎日説明する。それ自体が、書き重ねる方法で書かれている。日々、色々な背景や思いを持って説明するから文章が違ってくるが、純粋に説明するだけなら、背景や思いはカットできる。そうでないと、「書き重ねる」と言っても、余計な情報が加わるだけだ。洗練や、シンプルさをもたらすためには、素直に説明に入った方がいいのではないか。

「書き重ねる」とは、私が作った新しい言葉(数なくとも私は初めて聞く)だから、説明が必要だろう。明確な辞書に書かれたような定義がまだない。

「書き重ねる」とは、毎日同じテーマについて書くことで、そのテーマについて完結に述べるための文章を作り上げる方法である。

とか、

「書き重ねる」とは、推敲や校正をする代わりに、頭から文章を書き直すことで文章の質を高める方法である。書いてから、次に書き直すまでには一定の時間がおかれ、1日ごとに書かれるのが一般的だ。(一般的というか、私しかしてないので、一例として、1日ごとに書かれる、とするべきだろう)。

そんなふうに、定義を述べてから、なぜ私が書き重ねる方法を採用したのか、書き重ねることで文章が整理されていくメカニズムなどを書いていくといいだろうか。

……何だか、普通の説明文になりそうである。まあ、新しいコンセプトなのだから仕方がないのかもしれない。

「書き重ねる」こと自体は、どのような方法にもマッチするだろう。概念を説明する場合は、よりシンプルでわかりやすい方向に進む。それは、説明文のよい形がシンプルである方がいいからだ。もし、物語や小説、詩を書き重ねたらどうなるのだろう。それは、シンプルというよりも複雑で豊かな方向に進むのかもしれない。

「かもしれない」と書いたが、結局これは私の意思次第でもある。たまたま今日の自分が、説明は簡潔に、と思い至っただけで明日の自分が、今日の記事のような構成でまた書き直すとは限らない。むしろ、そうしない可能性の方が高い。シンプルな説明を退屈だと思う自分がいる。複雑に散開していく説明、書き重ねることの、言い切れないような複雑さを、書き重ねることで書くことも可能なはずだからである。

とりあえず、書き続けることで「書き重ねる」ことの説明や、定義が揺らいで、更新されていく。まるで、生き物のようだ。

毎日書いているのだから、毎日書けるだけの形に変化するのかもしれない。量や、形も私の日常、指の動き、心の動きに合わせて変化するだろう。

最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!