悲しみから見つけた「人生のしくみ」

悲しいことがありました。
この8月上旬、私はある音楽セミナーに参加する予定だったのですが、急な緊急事態宣言の影響と、全国知事会(?)の他県の往来の自粛呼び掛けにより中止になってしまいました。
中止が決まったのはセミナーが始まる3日前でした。

随分久しぶりに、自身の傷心を感じました。いや、もしかしたらはじめてかも、この気分の沈み方。

セミナーには、お金を払って参加します。仕事ではないので、儲けにはならないし、なんなら若干高額でもありました。が、そのお金を払ってでも参加したい理由があったし、何より久々にみっちりオーボエと向き合えるとワクワクしておりました。中止になったことでお金は返ってきましたが、なんというか、だからよかったじゃんとは思えません。
このセミナーに参加することにより、奏者として力を付け、自身に勢いをつけ、がんばろう!という思いがメキッとへし折られました。
母に「そんな見るからに落ち込まんといて」と言われるくらいには全身から悲しみが溢れていました。



中止が決まったその日の晩のことです。
以前にお仕事でお邪魔したオーケストラのオーボエ奏者さん(以下Oさん)からメールがありました。
普段から頻繁に連絡をとっている方ではなかったので、なんだなんだと急いで開きました。

「太田さん、○○セミナー申し込んでた?」

Oさんは私が中止になったセミナーに参加することを知っておられました。すぐに返信しました。参加予定だったが中止になってしまったことと、何故ご存知なのかと。
「いやー、Hさんとさっきまで仕事しててね!太田さんが参加することを楽しみにしてらっしゃったんだよ!」とのお返事が。
Hさんは、私が今回のセミナーでオーボエを教わるはずだった方です。まだ一度も面識はないのに、どうして私のことを気にかけてくださっているんだろうと疑問を持ちました。Oさんがご連絡くださったのは、Hさんの、「中止が決まってしまったがこのまま縁が切れるのは悲しいから太田に連絡先を伝えてあげて」という嬉しい提言を私に教える為でした。

その後、連絡先を受け取り、Hさんにメールをしました。くださった返信には、こうありました。
「今回のセミナーは定員の2倍の応募があり、書類で選んでいたところ、師事していた先生の欄にAさんのお名前があったから、是非会いたいと思いました。」
Aさんは、私の大学時代の師匠です。4年間オーボエを教わっていた先生です。

ぶわっと鳥肌がたちました。
私は今までお世話になった方々のおかげで生きているんだと強く強く実感しました。
オーケストラでお世話になったOさんだって、Aさんがオケに呼んでくださったから知り合えたのです。


未来の作り方は人それぞれで、例えば過去に辛い思いをされた方が過去を完全に断ち切り、新たな自分として生きていくこともあるでしょう。
しかし少なくとも私は、今まで出会った全ての人の助けの上に生きているんだと確信しました。私のこれまでの人生は、私を助けてくれた方々のおかげであり、これからの人生もきっと、これまでと密接に繋がった道をゆくのでしょう。

飲食店の方や医療関係者の皆様のご負担を考えるとそう易々と吐露できる悲しみではないかも知れませんが、やはり本気であればあるほど急に無くなることは悲しかったです。コンクール等で負ける悲しみは悔しさと反省の延長にありますが、機会が無くなるという悲しみは2020年にもなんども経験したのに、ここにきて堰が切れたようです。

しかしこの悲しみのおかげで、周りの方々がどれだけ私を気にかけてくれているかを知ることができ、これは私の大きな財産となりました。今までも感謝の思いを持ったことはありますが、今後より深くなるでしょう。私の人生のしくみを垣間見れた気がします。


急に時間は空いてしまいましたが、まだ控えている本番や仕事の準備期間と思い、とにかく健康第一に過ごそうと思います。皆様もどうか、ご自愛くださいませ。


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