昔とは、悪なのか

「女性が活躍できる社会を!!」「男性にも育休を!!」だったり、または会社の飲み会がなくなったり、男性でもお化粧好きな人はしてもいいし、女性のヒール、スカートも強要はほぼ無くなり、本当に多様性が認められつつあって、素敵なことだと思います。
こうなるまでに本当にたくさんの人達が社会と戦ってきたことでしょう。私のような若造にとって、とてもありがたい方向に社会が進んでいます。

この平等を求めるまでの長い歴史の中で、たくさんの「とりあえずの結論」があったと思います。
家で奥さんが家事をして、父が外へ稼ぎにいく。男とは強くあるべきで、女はおしとやかに、また我慢強くあるべき。上司に呼び出されたら予定を変えてでも従う、学校の先生に悪さがみつかり、こてんぱに殴られて家に帰る。
今相手に言ったり、したりするとすぐ問題になるものばかりですね…(笑)でも、両親や近い大人に聞くと、昔は普通だったよ、と言います。

そうだと思います。だってやっぱり殴れば怖いからその場ではやめるだろうし、最後に本当に命を宿し、産むのは所謂女性の身体だし、そういう意味では家でおとなしくしておくのは、動物の巣籠もりのようなもので、とりあえず一番安心といえるでしょう。でもやっぱり、それで本当にいいのだろうか、と問題提起しているのが今ですよね。

「男の子育ての意識がなさすぎる」「行きたくもない飲み会に行くなんてほんと時間の無駄、なんで誘ってくるの」
といった意見をテレビ等で見る度に最近、そんなに昔は悪なのかなぁと思うのです。
今、本当に物が充足している状態の時間の使い方と、昔の、今より少し不便な時の時間の使い方は大きく違って然るべきだと思うのです。携帯が今ほど普及していない時代に、果たして飲み会は無駄だったのでしょうか。
女性が全然正当な報酬を受け取れない時代は確かに長過ぎたと思います。が、その中で働いてきたお父さんは、家庭を全く考えていなかったのでしょうか。

年代の違いの中で、価値観が大きく違うのは当たり前です。頑固な老人、頭が固い大人と言われる中で、若者側もまた理解されるための行動が大変乏しいような気がします。
だめだよ、古いよ。の一言で、40年50年の人生の価値観を変えてもらおうと言うのも傲慢なものだなぁと私自身はそう思います。察しろよ、というのでは今までと内容が変わっただけで結局手段は踏襲しています。
そう思うと、会社の飲み会は上司がパワハラ、新人が無視など極端なことをしない限り交流の場として最適ですよね。

いつも文が長くなってしまうの、どうにかしたいのですが、とりあえず言いたいことは、昔の考えを完全に否定しないと次の考えに進めないというのは、あまりに寂しいんじゃないか、ということでした!
最近悶々と考えてることです。

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