会話

お笑いコンビ「ぺこぱ」さんの否定しない漫才は
「普通、人が否定する普通じゃない行動を難しくても擁護する様」が新しく面白いということで、それは
人は自分の普通の範疇を超えた人や物を否定するのが普通だということを普通に思っているということになる、と
今日お風呂に入りながら思いました。大事なことだと思ったので簡単にノートに書こうと思います。

差別や偏見は、この普通の中身がよく似た人たちが集まって大きくなっていると思うのです。それぞれの人生の中で拾い集め、それぞれが必ず持つ「普通」の容器の中に少しずつ入れていくのが人格においての人生なのかなぁと思います。で、やっぱり皆地球以外で生きたことは無いので、どうしてもよく似た普通ボックスを持つ人間はいます。その中の1人が力を持ちます。力を持った人間が教育する側にまわると、よく似た普通ボックスの人たちが大きな声で支持を表明します。少し違う普通ボックスの人の中にも、力を持った人の考えに興味を持ち、力を持った人の普通ボックスを真似する人も出てくる。力を持った人が◯◯が嫌いというと、自分で考えず力あるものに自分も合わせていく。そして自分が強いものと同じだと思い込む。私にとっての差別や偏見の生まれ方の認識はこんな感じです。

これは私の考えで、これが普通だとは思いません。でも、いや、そうじゃなくてこうですよ、と言いきって反論してくる人がいると、その人は自分にとっての普通を押し付けてることに気づいていないんだろうなぁと思います。

普段会話で、私は友人に愚痴を言います。考えが合わなかった人との戦いのストレスを、それこそよく似た普通ボックスを持つ友人に聞いてもらい、慰めてもらったり同調してもらったり、たまに怒られたり(笑)しながら自分を落ち着かせます。この行為は、相手の不可解な行動や発言を、私や友人が持つ言葉にわかるように変換しているんだと思います。理解できないものは大袈裟に言えば脅威ですから。

大事なことなのに簡単に書きますと言ったのは、この話は私一人で結論がでることではないからです。思い立ったので、これを中途半端でも言葉にしなければと思ったから、こんな突然な終わり方になってしまいました。

何が言いたかったのかというと、普段の会話から私達は絶対に、人のことを悪く言ってるし、自分と違うと感じた人間をあるかどうかわからない理由で排除しようとしたりしているなぁということです。差別や偏見、誹謗中傷、心を痛めるからやめましょうの一言でどこまでの人に伝わるのか...

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