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能力差別社会をどうとらえるか?

現在、この世界は「能力差別社会」である。

能力差別社会とは、能力によって人を当たり前のように差別する社会のことだ。それは厳然たる事実で、気づいている人もいるにはいるが、まだ少数だ。多くの人が、実は気づいてさえいない。

なぜ気づいていないかといえば、それは「差別してはいけない」とするポリティカルコレクトネスの思想と矛盾するからだ。しかし、多くの人が能力差別社会(それは言い換えると「能力主義社会」)でないと世の中が上手く回らないと知っている。だから、そこのところを見て見ぬ振りをしているのだ。

しかし、それは早晩見て見ぬ振りできなくなるだろう。なぜなら、そういう見て見ぬ振りは社会の矛盾を拡大し、さまざまな問題を引き起こすよからだ。
実際、今ポリコレやリベラルを中心に、さまざまな問題が噴出している。それは、彼らが見て見ぬ振りしてきた社会の矛盾が、それがためにかえって拡大し、もはや無視できないレベルにまで達してしまったからだ。

だから、「能力差別社会」もそのうち顕在化して、多くの人が知るところとなるだろう。多くの人が認めざるを得なくなる。
そのとき、社会は一つの選択を迫られる。それは、能力差別社会は維持したまま、差別された人々救済する——という社会の構築だ。世の中は、おそらくそういう方向にシフトする。

そのため、能力差別社会の痛み自体は軽減されるが、差別そのものはより一層加速する。つまり、能力差別社会——能力主義社会が、より一層顕著になる。

そのため我々は、今のうちから能力差別がより一層顕著になった世界でどのように生きていけばいいのか、考えておく必要がある。今のうちから考え、予防策を講じておくのだ。

では、どのように備えればいいのか?

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