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1-02. 押すなよ! と言われると

 声優の養成所を出た私が、西新宿でお弁当屋のバイトをしていた時。お客の中に、キヨくんこと、今田清太郎(いまだ・きよたろう)さん二十九才(当時)がいた。

 印象的だったのが、雑談中に彼が職業を「ひよこ鑑定士」と名乗ったことだった。ひよこ鑑定士は、オス、メス、オス、メスとひよこを選り分ける仕事だと思うけれど、彼の左手には鍵付きのアタッシュケースが握られていた。

「珍しいお仕事されてるんですね」
 と応対しつつ、私の興味は、アタッシュケースの中に向いていた。ケースの中から「ピヨピヨ」と鳴き声が聞こえて来るかもしれない、と思ったから。

 結局、ひよこ鑑定士というのは違った。当時のキヨくんは、面倒だからと、大ざっぱな説明で済ませたのだそうだ。

 本当は「地球外技術鑑定士」という、覚えづらい、長い名前のお仕事をしていた。地球の技術と、外星の技術とを選り分けるんだそうだ。地球、地球外、地球、地球外といった具合に。

 そのお客様ことキヨくんは、脱いだ背広をアタッシュケースの上にブランとかけて現れ、ニコニコと笑顔を振りまいて、お弁当を買っていくのが常になった。伸びた背筋は素敵だったけれど、その伸びた背中が、生活を共にするうちに丸くなっていき、猫背になったキヨくんがノートパソコンをカチャカチャ、と、やけに現実じみてきた。

 目をパチリと開ける。目の前には板目の天井があって、白カーテンからは朝日がさし込んでいて、夢から現実に戻ってきたことを告げていた。右横からは、ふごーふごーと鼻詰まりのいびきが聞こえる。キヨくんは花粉症だった。

「朝だよ。仕事に行かないと」
 肩を何度もゆすり、濃いコーヒーをいれてあげる。

「何時ぐらいまで作業してたの?」
「四時くらいかなぁ。まだ寝足りない」

「うわぁ」
 キヨくんの夜ふかしネットサーフィンは、良く言えば「好奇心旺盛」なんだろうけど、悪く言えば「自堕落」だと思う。結婚前は、キヨくんいろんなことを知っているなぁ、と感心したものだったのに。

 私の表情を読み取ったのか、キヨくんは
「僕だけじゃないよ。すべての人間は、生まれつき、知ることを欲するのさ」
 と胸を張って返してきた。アリスとテレスっていう、二人組のお笑い芸人か誰かの受け売りらしかった。しかも片方が「アリス」で、私と同じ名前っていうね。

 結婚後に明らかになったのは、キヨくんはとにかく「働きたくない」のだった。

「株の仕込み時なんだよね」
「値上がりしか考えないようじゃ駄目で、下がるときにも儲けられるようにならないと。でも心配しないでね、あーさん。レバレッジは大きくしてないから。負えないリスクには手をだすべきじゃない」
「最近の人口減少のことを考えると、不動産に手を出すのは、もうちょっと先かなぁ」

 と、私がよく分からない事を早口でしゃべっていた。
 そしてキヨくんは、全くと言っていいほど家事を手伝わない。今朝だってそうだ。

「男は偉い。アリストテレス先生 はそう言っていた」
 なんて言い訳をして、朝のゴミ出しすら拒否する。

「またアリスとテレスさん? 結局どんな芸人なの?」
 と聞くと、キヨくんは渋面になり、声のトーンを下げて聞き返してきた。
「アリストテレスも知らないのかい? 古代ギリシャの、偉大な哲学者だよ?」

「ふうん」
 興味が湧くわけがない。上から目線で言われて、良い気がするわけがないでしょうに。

 とにかく、朝ご飯を出す。昨夜の残りの、一晩寝かせたあのうまさのカレーだ。痩せの大食いとは良く言ったもので、キヨくんは猫背のまま、カレーをスプーンでつっついて、バクバク食べながら、「考えることって、大事だよ」と、また言ってきた。

 白い小皿にはヨーグルト。その上には、残り物のブドウをジャムにして乗せてある。キヨくんはデザートスプーンでそれをパクつきながら、「人間は考えるアシだからね」と言い出した。

「足?」

「葦(あし)ってのは、草のことだよ。精神には三段階あってさ、営養の精神と、知覚の……」
「キヨくん?」
 また小難しい話になりそうだったから、話を遮った。

「人間が考えるアシっていうなら、ロダンの『考える人』は、頭痛が痛い、みたいになるんじゃないの?」
 と私が言ったら、キヨくんは
「アハハハ、けっさくだ」
 とゲラゲラ笑い始めた。

「要は等式だから、人を考える葦(あし)に置き換えると、考える葦(あし)として存在するロダンが制作した、考える考える葦(あし)か。二重定義だ。あーさん、いいところに気がつくじゃないか」
 と、鼻の穴を大きくしていた。子供か。バカりこうめ。

 アタッシュケースを持たせ、まだ眠い目をしている背広姿のキヨくんを送り出した。そして、ゴミ捨て、掃除、買い物、食事の準備。午前中に済ませて、午後はお出かけがしたかった。

 洋室に掃除機をかけて、二つの机をチェック柄のクロスで拭く。キヨくんの机の、風水的に西側に置かれた「金運アップ用」の黄色いのほほん人形の頭も、きれいに拭き拭き。そして、私の机の上の「スイッチくん」も。

 スイッチくんは、声優養成所時代の同期からもらった。白い猫耳モフモフの、○リキュアの第一話に出てきたら、「ブサかわいいのがなんかきた」と言いたくなるような人形だった。

 左右のフックに赤と青のコントローラーをぶら下げて、モフモフ耳の間の、頭の上にはガムテープで封印がしてあり、「押すなよ! ぜったいに押すなよ!」と書いてあった。

 禁止されると押したくなるのは、どうしてなんだろう?

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