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最終話 2のn乗のまんじゅうこわい

 人類は、未曾有の「まんじゅうこわい」に直面した。

 落語どころの話ではない。文字通りの恐怖だった。その初期段階において、まんじゅうの形をした栗ーチャーは、戸棚の奥などから突然現れた。まるで、買っておいたのを忘れて、賞味期限が切れた事に無言の抗議をするが如く。

「冷暗所が好きなのか?」
 などと、同僚は悠長な事を言っていた。

 コーノード・チャカテキン博士の特効薬はすばらしい効果を発揮した。栗ーチャーからクリムシンを引き出して、薬をスプレーで振り掛ければ良い。それで動きも増殖も止まった。薬の効能について問われると、博士は自慢こそしなかったが、ふふふと小さく笑い、自身の功績に満足しているようだった。

 ただ、我々科学者が忘れていることが一つあった。
 それは、人間は楽をしたい動物である、ということだ。

 そのことに気づいたのは、妻からのLIMEが来たときだった。
「戸棚が歪んで開かなくなったんだけど? ガタガタいってるんだけど?」

 パンドラの箱は、蓋ではなく戸棚の扉を備えていたのだ。中に居るのは、焦げ茶色の背中を持つ災厄。
「私が戻るまで絶対に戸棚を開けるな。カナタにも言っておいてくれ」
 珍しくそう厳命し、帰宅した私が見たのは、内側からの圧迫で破壊された戸棚と、家をうろうろする焦げ茶色の群れと、所在なげにうろうろする嫁、そして焦げ茶色を右手に掴んだ息子の姿だった。

 特効薬優位から均衡へ。そして。
 特効薬は増産され、設備はフル稼働だった。しかし、均衡状態を一度突破した栗ーチャーは、ついに爆発的に増殖しはじめた。特効薬が追いつかない。ショーギでプロ棋士を負かしたAIのように、人間の処理能力を完全に超えていた。

 世界はこげ茶色になった。
 人が死ぬのを何度見たことだろう。もう、慣れてしまった。やつらは、動きこそ緩慢だが、群れをなして襲ってくる。集団で人体にまとわりつき、人の皮をついばむ。残されるのは骨だけ。

 それでも、私たちは生きていた。グリーンティの産地、カシズオ・シティを最後の砦として。

 情報を真っ先に入手できるという研究者特権を使い、私は、いち早くこのシティに家族を避難させていた。栗ーチャーに腹を突き破られて死んだヒロの、娘たちと一緒に。私の息子であるカナタと、ヒロの娘とは、横に並んで座り、そろって互いの顔を互いの手でふさぎ、「いないいない」「いないいない」と言っていた。しかし、この恐ろしい現実は、もうすでに「ばあ」していた。

「まんじゅうこわい」
 などと落語的に言っていられるのは、こちらがまんじゅうに対する捕食者である場合に限られる。一般市民は皆、まんじゅうの海に飲み込まれた。いまや我々は「食べられる側」だ。陸をうごめくピラニアの群れにのまれ、骨だけを残して死んでいく。

 栗ーチャーの波に追い立てられるように、後から、後から、逃げ惑った一般市民がカシズオ・シティに押し寄せてきた。しかし、カシズオ・シティに急遽築かれた、壁の上からの、銃弾の雨が、彼ら彼女らを出迎えた。

「どうしてひどいことをするの?」
 物が乱雑に散らばった、臨時の研究施設で、息子のカナタは泣きながら言った。私は努めて冷静な顔で応えた。
「彼ら彼女らを中に入れると、カシズオ・シティが、おしくらまんじゅうになってしまうからだよ」

 壁のその向こう。焦げ茶色の地平線から、焦げ茶色の面が、我々に向かって広がり続ける。まるで、近づく波のように。波の手前の、焦げ茶色の小円は、巨大化しながら他の焦げ茶色の小円とくっついてゆく。まるで、ラーメンのスープ上の油が、広がりながらくっつくかのように。まるで地平を、焦げ茶色に染め抜こうとするように。

 その先にどんな結末が待っているのか、私は理解していたが、家族には黙っていた。嫁と息子にとっては、ソレは「いないいない」で良い。

 カシズオ・シティでの私は毎日、特効薬の増産作業を手伝っている。無益な抵抗だと知っていながら。その報酬としての特効薬を目当てにしながら。そして、短い余暇時間は、宇宙船の手配に費やしていた。

 当然ながら、宇宙船には数に限りがあった。この壁の中に入ることを許された「選ばれた民」の中でも、さらに一握り。私のような一般階級の手に届く席は、本来ならば無い。しかし、特効薬の値段は、異常な程に高騰していたのだ。

 特効薬を闇で売り、貯めに貯めたその金と引き替えに、私たち家族は、宇宙船に乗り込むことができた。哀れなヒロの娘たちも一緒だ。

 母星を、宇宙船に備えられた望遠鏡で眺めると、真っ暗な空間に浮かぶ、こげ茶色の球体、いや円形に、ほんの少しだけ、青い点が数箇所、シミのように残っていた。

「母星は、青かった」
 かつての宇宙飛行士の言葉を、私はつぶやかずにはいられなかった。

 宇宙船に乗った子供たちは顔を両手で覆い、「いないいない」と言いつつ、その手の中指と薬指との間は離れていた。斬新な「いないいないばあ」は、子供たちの間で増殖し、そして「いないいない茶(ちゃー)」へと進化していた。まるで、あの焦げ茶色の栗ーチャーのように。

 栗ーチャーは今後、どの程度のスピードで増殖するだろうか?
 栗ーチャーの増殖によって母星の直径が増大するとして、その増大速度は、光速を超えるだろうか? もしそうだとしたら、宇宙船の速度では、とうてい逃げ切れるものではない。

「高濃度のチャカテキナーゼを精製できる星を探す」
 特効薬の開発者、コーノード・チャカテキン博士の提案で、宇宙船は、まだ認識してすらいない星を目指すことになった。

 栗ーチャーが、茶から抽出された特効薬『チャカテキナーゼ』を怖がっているうちは、まだ大丈夫だ。ソレに対する耐性をも身に着けてしまった場合は話は別だが、そんな最悪の事態を、私は考えたくなかった。都合の悪いことは「いないいない」で対応したい。なぜなら我々には、ソレ以上の対応策が「ばあ」して来ないからだ。

 栗ーチャーの増殖速度は、はたしてどうか。
 息子のカナタを、宇宙の彼方まで逃がしてやることができるのか。カナタが生を全うするまでは、なんとか「もって」欲しいところだが、はたしてどうだろうか。

 しかし。事態は、私が思っていたよりも、ずっと早い速度でやってきたのだ。

 宇宙船のベッドから起きると、妻の隣には、私に良く似た人間が居た。まるで、鏡に映っているかのようだった。丸顔の私より、若干縦長のその輪郭は、間違いなく。
「カナタ?」
 カナタではある。しかし、何かおかしい。

「いないいない」
「ばあ」
「きゃははは」
 カナタは、かつて妻のハルカからLIMEで送られてきた動画で見たよりも、「いないいない茶(ちゃー)」よりも、更に斬新な、いないいないばあをしていた。

 右のカナタが、「いないいない」を、
 左のカナタが、「ばあ」を、
 それぞれ同時にしていたからだ。

「増えたのか……。今度は、カナタが」

 哀れな研究員のヒロは、栗ーチャーに敵認定されて、腹を突き破られた。かつてチャカテキン博士はそう言っていたらしい。中途半端な濃度のチャカテキナーゼが含まれた、お茶としては濃い緑茶を飲んだから。

 では、甘いものが好きで、戸棚から良くお菓子を出してつまみ食いするカナタは。

 栗まんじゅうの如き楕円形の顔をした、カナタは。

「うちの子、双子みたいになっちゃったね」
 こういう時に、大雑把なO型の妻、ハルカの天然っぷりは心の救いになる。
「2人のうちは、なんとかなるな。私ら大人も2人居るから」

 栗ーチャーの中に居たコアは、クリムシンだった。

 カナタの中に居るコアは、一体何だろうか。ビスケットだろうか?

 ともあれ、親として。私が息子に対して思うことは、1つきりだった。

 今度は、熱い「2のn乗」杯の、茶がこわい。

〈了〉

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