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03 斬新な「いないいないばあ」

 私が次に、日をまたぐことなく帰宅したのは、流星群の日から2週間後だった。

 私の妻、ハルカからのLIME(リーメ)で知らされた。
「部屋になんか、茶色いのが居る。ブンちゃん早く帰ってきて、退治して。あとジャスミンティ買ってきて」

「今日は同僚と飲み会なんだけど?」
「飲み会と家の平穏、どっちが大事?」
 メッセージと一緒に、銃を持った熊のスタンプが送られてきた。いや、どちらも大事なのだが。

 熊というだけで強いのに、さらに銃を持っている。おまけに、ソレを送り込んできたのは嫁だ。とても勝てるとは思えない。仕方がないので電車に乗って帰宅すると、息子も嫁も、すでに現実から脳内空間へと旅立っていた。夢というバーチャル空間では、どんなイベントが起きているのだろうか。スースーと寝息を立てている。

「すまんな。いつも会えなくて」
 まぶたを閉じた、私よりやや縦長な丸顔の息子に、小さく声をかけた。

 起きてはしゃぐカナタの姿を、流星群の日以来見ていない。新しい言葉をどのくらい覚えただろうか。たまにLIMEでハルカから送られてくる動画で、断片的に知っているだけだ。

 この間の動画では、カナタは戸棚のお菓子を勝手に食べ、妻に怒られて泣いていた。その次の動画では、息子は風呂のフタの裏に隠れて「いない」と言っていた。妻がやって見せた「いないいないばあ」を気に入った息子は、ついに自分の方から「いないいないばあ」を仕掛ける事を覚えていた。

 風呂のフタの隅から、隠れる息子の膝が動画には映っている。居ることはバレバレだが、それを幼児に指摘するのも興を削ぐ話なので、妻は「どこに行ったの?」と探すふりをしていた。すると、にこやかに顔を出すのだ。風呂のフタに、頭をぶつけながら。

 動画はもうひとつ送られてきた。布団の上にパジャマ姿で息子は目をつむり、「いない」と言っていた。
「ぷっ」
 隣部屋の佐々木さんと同様に、妻が吹き出すのが、その動画には記録されていた。
 「いないいない」と妻から身を隠すために、フタの裏に隠れるのはわかる。まぶたを閉じれば隠れたことになるのか? 「息子から」妻は見えなくなるが。

 寝室の扉を閉めて、書斎で1人、ウイスキーのグラスを傾ける。明日も早い。1杯だけにして、風呂に入って寝よう。
 なにやら、こそっとした音がした。
「ん?」
 椅子から立ち上がり、音のした辺りを確認する。部屋の隅の、本やら着替えやらが積んであるところだ。
 着替えと書類とをどけると、円盤ディスクが何枚も落ちていた。ディスクは息子がパッケージから出して遊んだものだから、完全に傷だらけになっており、研磨しないと中に入った動画を再生することは出来ないだろう。後でまとめてやらないといけない。そのディスクの右端あたりに、焦げ茶色のものが見えた。

(ん? こんなところにまんじゅうが)

 連日の深夜残業で血の気の失せた私の顔より、よほど茶色くて、私の顔よりもエッジの効いた楕円系のまんじゅうが、床にポトリと落ちていた。その上部には焦げ茶色の照りがあった。

(3秒ルールは……適用できないだろうな。これはもはや、食べ物ではない)
 ティッシュでくるんで捨てようと、机に手を伸ばした時に、それは起こった。

 スサッ。

 まんじゅうが小さな音をたて、なんと、移動を始めたのだ。
「うおっ?」
 思わず音を立ててしまった私は口を両手で塞いだ。今の声で、妻が起きてきてしまったら、間違いなく彼女は不機嫌になる。そのまんじゅうをよく見ると、小さかった。手のひらに、2、3個は乗る感じだろうか。薄茶色のボディから、なんと四肢が生えていた。
「また、斬新なヤツが出現(ばあ)してきたな」
 見たことのない、虫? だ。嫌な汁が背中を伝った。

「ぬるぽ案件だな」

 Null Pointer Exception。プログラムのバグのことだ。眼の前にいるのは、文字通り、バグ。虫。アダムスキー型と形容すれば良いのか、俵型と言えばいいのか、おまんじゅう型の。嫁がLIMEで言っていたのはコイツのことか。
 ソレを「ガッ」と叩き潰すべく、玄関に戻ってハエたたきを探したが、その途中で、食器棚に足の小指を「ガッ」とぶつけてしまった。

「うおおお……」
 苦悶の声を押し殺す。まるで弱った虫のように。騒ぎを起こしてしまうと、妻が起きてくる。そうしたら、どんな罵詈雑言が浴びせられるかわからない。静かに、事を済まさねばならない。

 幸いなことに、動くおまんじゅうは、部屋の隅へと移動した。黒くて細い足がぷるぷると震え、ゆっくりゆっくり進んでいる。私はティッシュを2、3枚シュッと取り出し、それ越しに、その虫の背中をつまもうとした。

「いてっ、噛んだな」
 指を軽くつままれた程度の痛みだったが、ビックリして手を振ると、ポトリと床に落ちた。再び拾って扉を開け、外にポイと投げると庭に消えた。あとはマンションの管理人が、かたづけてくれるだろう。燃えるゴミの袋にでも入れるだろうか。

 この判断を私は後悔することになる。そして今、私の指の噛まれた箇所は、地味に熱さを感じさせていた。


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次回:検体「OMJ」

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