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ノブレスオブリージュ

原体験パート2ということで、私の考え方や想いが形成された過去の出来事を振り返ってみようと思います。

人事というか、「人」に対しての問題意識はこの出来事は外せないかなと思っています。

それは大学2回生の夏、小学生ときからの友人から誘いを受け、フィリピンはマニラ・スモーキーマウンテンで生活している人会ったこと、マニラ市内の路上で生活しているストリートチルドレンに会ったこと、その経験たちです。

「彼らがどうこうじゃない、環境がそうさせている」

【スモーキーマウンテン】

スモーキーマウンテンというのは写真のようにゴミ山のこと。そして暑さから地中が温められ、化学反応が起き、ゴミが燃える=煙が出るという由縁。

そして、そのゴミ(金属やプラスチックなど)を集めて生計を立てている人々がいる。(もしかしたら、1か月前くらいにTVで異色の“グルメ番組”「ハイパーハードボイルドグルメリポート」・ケニアの話を見た人もいるかもしれない。いわゆるスカベンジャー)

ゴミ捨て場なので、とにかく臭い。腐敗臭、アンモニア臭、プラスチックが燃える匂い、たぶん、生き物が死んでいて、いろんな刺激臭が混ざって鼻がやられる。これがマジでキツイ。

そして、そこで生活をしている家族(本当の家族ではない)と出会った。一番小さい子はまだ2歳。稼ぎ頭は11歳。続くのは9歳と5歳。足を悪くしたお母さん的な人は40歳くらい。

いろいろなところを連れて行ってもらった。家はもちろん、いつもの仕事場、落ちたら絶対に病気になるドブに掛かる危ない細い裏道、遊ぶところなどなど。一通り一緒に時間を過ごした。

「将来、何したい?どんな仕事をしたい?」

彼らと会話をしたくて何気なく、そしてありきたりな言葉だったけれど聞いてみた。それまでの他の質問にはすぐ笑って答えてくれていたけれど、このときはハッキリとトーンが落ち、なんだか悲しそうな眼をしていたのを覚えている。

彼(9歳)の答えはこうだった。

「わからない。今、考えるのは明日の晩御飯が食べられるかどうか。明日のこともわからないのに、もっと先のことなんかわからないよ......。」

(だいぶ経ってから)「本当は学校に行って、学校の先生になりたい。ここには勉強をしたくても、できない人もいるから、、ね」

なんか、もう、月並みの表現かもしれないけれど、恥ずかしくなった。自分は学ぶことが当たり前になっていて、その価値がどれほど貴重なことかを忘れてしまっていた。TVで見ている世界が一気に現実というか、目の前にやってきた。

彼らと別れた後、近くにある海の見えるところで、僕たち二人は何も話さず一時間くらい、海を見ていた。お互いに会話はなかったけれど、だいたい何を考えていたかはわかる気がする。

ーー もし、自分がフィリピンで生まれていたら?自分の一番の友達がスモーキーマウンテンで生活していたら?

【ストリートチルドレン】

別の日の夜、止まっているホステルの前で、たむろしている人たちに話しかけられた。中には若いコだと5歳くらいの子もいたし、成人しているリーダーっぽい人もいた。

「 fire ?」

いきなりだったから意味がわからなかったし、ストリートチルドレンは怖いイメージがあったので、カツアゲ&ボコボコにされると思った。

けれども、ちゃんと耳を傾け、話を聞いてみると、ライターで火を着けるジェスチャーを手でしている。要は「タバコを吸いたいからライターを持っているか?貸してくれ」という意味だった。(当時は喫煙していたこともあり、持っていたので貸すことに。)

それがきっかけで話をすることになった。日本のタバコは美味いのか?マニラには何をしに来たのか?食べ物はないのか?スポーツはするのか?オレたちと話していると周りからあんまり良いと思われないぞ、良いのか?変なやつだな、とかとか。

実際に、近くの売店の人からは、あの子達とつるまないほうが良いと言われた。

彼らと話していると何でもない、普通の子達。しょうもないことで笑い、ふざけあって話している。一緒に行った友人と私の関係な感じ。

リーダーっぽい人と話をしていて印象的だったのは、以下のようなこと。

「物乞いや、レストランに残った食べ物をもらいに行くことはある。でも、モノを盗むことや暴力は逃げだ。クスリもできるならしない方がいい。やって良いことと悪いことがある。彼ら(年下の子たち)にはできるだけ、ちゃんとしてほしい。オレはもうできないけど、、、」って。

左を見れば、彼らがいる。

右を見れば、高層マンションから出てきたいかにも裕福そうな子供がいる。

カオスの中にある秩序ってこういうことなんやろうか。

その夜は友人と話して、予定していた晩ごはんをやめた。代わりに、ハンバーガー10個くらいを買って、ケチャップをほっぺたに付けてもお構いなしで、彼らとワイワイしながら食べた。フィリピンで一番うまかった飯かもしれない。

今回、感じたのはいくつかあって、

・何をするかじゃなくて、誰とするか
・環境が行動の8割くらいを決めてしまう
・誠実さは、失われることはない

ということ。

a piece of cake! とは違って、「人」ということにすごく焦点が当たった、出来事だった。

ーー 彼らがもし自分だったら、、、?

日本に生まれて、大学で学ぶことができて、好きなときに自分の好きなことができている。でも、そうじゃないだろって。お前はそういう、我の人生楽しむだけに生まれたんじゃないだろって。カミナリに打たれたとは言わないまでも、バコンと頭を殴られたような感覚になった。

これは、何か還元?社会に貢献しなければいけない、自分にできることはまだまだたくさんある。

人生をかけてでも、それをしないといけない。

と、我がの想いを形成する、そんな原体験が私にもありました。

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そのすぐ後、大学の研究室を決める時期が来た。大学に入る前から、この研究室で学びたいと思っていた。くわえて、この出来事を経験したからこそ、ココしかないと強く思った。

「 decent work 」

この話は、また次にでも、、、!

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